この倒産は、外形だけを追えば過剰出店と借入金の膨張という古典的な行き詰まりに見える。ただ、社内で200店が限界と共有されていながら出店が止まらなかった事情と、輸入制限を迂回するために味を犠牲にした乾燥肉の判断は、いずれも牛丼一品という商品の条件を、拡大の都合が上回った結果と推察される。再建で最初に戻したものが店舗数や人員ではなく生タレであった点は、その裏返しとして読める。
支援者の選定にも偶然が絡んだ。制度としての会社更生法が飲食企業に適用されるかも、当時は自明ではなかった。日銭が入る商売であること、店を開け続ければ現金が回ることが更生を支えたとすれば、この再建は業態そのものの性質に助けられた面もある。24年後にふたたび看板商品を失ったとき、同じ会社が財務の余力を厚く保っていたことを思えば、1980年の経験が何を残したのかを考えさせられる。