この判断の核心は、最も儲かっている時に、あえて攻めを手控えたことにある。神武以来と呼ばれた好況のただ中で見込み商いを断ち、現金を厚くして反動に備えた構えは、勢いに乗って商いを膨らませる同業とは逆を向いていた。それでも避けきれなかった暴落に対しては、紡績業との信頼で債務を整理し、経営陣そのものを平均35歳へ入れ替えて再出発した。攻めの抑制と、危機での思い切った若返りが、同じ経営者の中で両立していた点に、この再建の性格がうかがえる。
危機を境に根づいた堅実主義は、その後の伊藤忠が荒波を越える拠りどころになっていった。もっとも、堅実に徹する経営は、銀行や紡績の不興を買うように、時に成長の勢いを削ぐ側面も併せ持つ。好況で退き、恐慌で若返るという一度の経験が、どこまで会社の性格として受け継がれ、どこからは時代ごとに問い直されていったのか——二代伊藤忠兵衛氏が34歳で下した再建の決断は、危機との向き合い方をめぐる問いを、後の伊藤忠にも残していたと思われる。