秩父セメント 秩父工場の若返り選択 常務会が決めた新工場建設案を翌日に覆しての、既設設備の刷新
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何をなぜ決めたか
- 概要
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1949年上期、戦後復旧が回転窯3基の運転まで進んだ段階で、常務会は新工場建設案で決着した。翌日、諸井貫一社長がこれを覆し、秩父工場の若返り整備計画に着手する。核心工事の期別番号から社内では⑧工事と呼ばれた。
- 背景
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秩父工場は回転窯5基に対しボイラーが実質3基分しかなく、共通煙道の操作で運転していた。増産にはほとんど新設に等しい大改造が要る状態だった。
- 内容
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諸井社長の理屈は、ここで新工場に取りかかれば旧工場の再建整備の機会は永久に失われる、いま若返り整備を講じれば能力は倍増し、そのうえで新工場にかかれば準備と余裕をもって当たれるというものだった。
- 含意
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1952年秋に回転窯5基の並列運転を実現し、1954年5月には月産7万2,000トンで国内最大の工場となった。資金はすべて社内に留保した利益でまかなった。
いつ何が起きたか 8件
筆者の見解
常務会を覆すという決め方について
4常務が賛成して出た結論を、翌日に社長が一人で覆した。手続きとしては危うい決め方である。それが正当化されるのは、覆した側が理由を数字で示したからだった。若返りなら能力は倍増する。新工場を先にすれば旧工場の改造機会は失われる。順序を入れ替えるだけで両方が手に入る、という論理に反論は出なかった。
判断の当否は、結果からだけでは測れない。朝鮮動乱で増設に走った同業は短期の需要増を捉え、秩父セメントの生産高の伸びは同業他社をやや下回った。若返りを選んだ側が得たのは、月産7万トンの工場と、新工場を建設する資金と時間である。1954年に着工した秩父第二工場が回転窯4基・月産10万トンに達したのは1958年で、動乱の需要にはとうてい間に合っていない。速い方法を捨てた判断だったことは記録しておいてよい。
Yutaka Sugiura, 2026年8月
業績の推移
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参考文献
- 秩父セメント五十年史(秩父セメント、1974年)第5章第2節 再出発 1.生産復旧
- 秩父セメント五十年史(秩父セメント、1974年)第6章第3節 秩父工場若返り整備計画
- 秩父セメント五十年史(秩父セメント、1974年)第6章第3節(社報特集号 1968年6月 大友恒夫「重大なデシジョンの瞬間」)
- 秩父セメント五十年史(秩父セメント、1974年)第6章第4節 創立30周年