決断
石炭を失う前提で、代わりの事業を本体の外に設立した。1950年4月の過度経済力集中排除法で金属部門が太平鉱業として分離され、三菱鉱業には石炭だけが残った。1952年2月に置いた調査部は肥料・海運・ガス・コークス・セメントを比べ、三菱グループ各社と競合せず保有技術を応用でき、石炭の安定した需要先にもなるセメントを選ぶ。1954年2月には三菱系各社の共同出資で三菱セメントを設立している。工場建設に要する10数億円を石炭不況下の本体では調達できず、一事業部門とすれば炭労傘下の組合が生まれる恐れもあったためである。1969年9月には石炭生産部門を三菱高島炭砿・三菱大夕張炭砿へ譲渡した。政府の助成を受ける限り配当ができなかったため、石炭を外へ出したこと自体が1971年3月期の復配の条件になった。
1973年 豊国セメントと合併
豊国セメントと合併石炭からの転身を進めた三菱鉱業が、1971年3月期の復配で財務面の前提を整えたうえで、子会社として育てた三菱セメントとその子会社である豊国セメントを本体へ吸収し、セメントを当面の主力とする総合資源会社へ組み替えた合併同じ経営論点に直面した企業 | 経営統合・合併業績の推移1972 1973 1978 売上高(億円) 500 586 1,716 税引利益率(%) 0.9 1.3 1.6 1969年5月 三菱高島炭砿を設立
三菱高島炭砿を設立第四次石炭対策が石炭部門と非石炭部門の経理区分を求め、助成下では配当もできないなか、国家管理的な再編に巻き込まれる前に石炭生産部門を分離して商号と本体の自由を残す判断同じ経営論点に直面した企業 | 構造改革・リストラ業績の推移1968 1969 1974 売上高(億円) 387 370 1,356 計上利益金率(%) -3.6 -2.6 1.7 1953年8月 三菱セメントを設立