上場企業の経営論点>ガバナンス・経営体制
雇用の維持
日本企業の雇用維持は、理念ではなく配置の問題として処理されてきた。1949年、国鉄は9万5018人の人員整理に踏み切り、下山事件と三鷹事件を招いた。その反動から、産業の転換期には人を外へ出さない方法が探された。宇部興産は祖業の石炭鉱業から撤退する際に約7,000名を他部門へ配置転換し、常磐興産は坑内に湧く温泉を観光資源へ転じた。構造不況下では方法が変わり、住友重機械工業は造船と製鉄機械で1,700人の希望退職を募った。日本アイ・ビー・エムが1993年の初の赤字で三次にわたる人員削減へ進んだころから、希望退職は平時の調整手段になっている。現在はホンダが退職特別加算金429億円を計上して早期退職を優遇し、青山商事は創業以来初の希望退職に踏み切った。雇用の維持は、社内に移し先を作る努力から、退出の条件を金額で示す実務へ変わった。
財務諸表のどこを見るか
「従業員の状況」を年ごとに並べる。従業員数だけでなく平均年齢と平均勤続年数の動きを見れば、採用を絞ったのか退職を促したのかが分かれる。セグメント別の人員は、撤退した事業の人員がどこへ移ったかを示す。削減を伴う年度は特別損失に事業構造改革費用や割増退職金が計上され、注記に対象人数と募集期間が書かれる。退職給付に関する注記の退職給付債務の増減と、男女別賃金差異・育児休業取得率も併せて確かめたい。
2020年代
2010年代
杉江俊彦氏が社長昇格 大西洋社長の電撃辞任を受けた社内からの後任のトップ選出 バーバリー喪失後の改革 岩田功社長の主導による百貨店依存からの脱却と構造改革 高橋まつりさんの死と社長交代 新入社員の過労自殺を機とした働き方改革と社長交代 社外チャレンジワーク導入 複業を届出制で認めることによる、会社に閉じない自律的な人材への転換 すき家ワンオペ問題 過重労働の露呈と第三者委員会の設置による労務体制の見直し アクリフーズ事件で持株会社解消 農薬混入事件への危機対応と、グループ6社を事業会社へ束ねる純粋持株会社体制の解消 社内通貨Will導入 個人単位まで踏み込んだ管理会計への移行 現職トップの解任 取締役会による創業家出身・服部真二氏の社長登板
2000年代
生産革新SPSの確立 自社で作り上げた生産方式の全社展開と、現場運営の作り替え コムスン全介護事業を譲渡 指定取消相当の通知を受けての介護事業からの全面撤退 クリスタルグループ買収 請負最大手を投資ファンド経由で取り込む一方でのデューデリジェンスの省略 横浜など4店を閉鎖 大阪・枚方・倉敷を含む不採算店の整理と早期退職の実施、新設合併による連結欠損金の一掃 国立病院機構の保育受託 院内託児の一括請負による新規事業の柱づくりと、14年後の撤退 藤田晋の終身雇用宣言 長く働き続けられる雇用方針の打ち出しと、離職率低減に向けた人事改革 青井浩の下で撤回された制度改革 組織制度改革——希望退職・成果主義・システム刷新の同時断行と撤回 非上場と社員持株の継続 株式を公開せず、社員が株主であり続ける資本政策 問題解決型インターン導入 問題解決能力の発掘を狙った、採用の物差しそのものの作り替え 青色LED特許の囲い込み ライセンス供与の拒否、2001年の方針転換と発明対価訴訟の和解
1990年代
1980年代
1970年代
経営情報の開示で再建 大隈孝一社長の引責退陣と、大隈武雄社長への交代 豪州・英国・米国に工場設置 販売会社中心の海外展開から現地生産体制へ切り替える方針の転換 スト権奪還ストの中止要請 条件付きで争議権を認める案の表明と、実力行使への歯止め 豊国セメントと合併 三菱セメントを加えた3社の一体化と、三菱鉱業セメントへの商号変更 ニクソンショック後の生産移転 変動相場制移行を機とした海外工場建設と生産の国外移転 U-Bixで事務機参入 電子複写機の投入に合わせた八王子工場のカメラからの転換 大型工場へ生産集約 小規模工場を関連製品で自立させる第1次体質強化策の実行 生産性向上運動の中止 全国展開した労使協調路線の、不当労働行為認定による撤回