「社外チャレンジワーク」による副業解禁と自律的な人材への転換

上場企業で例の乏しい副業解禁を、経営方針ではなく社員の発案から——ロート製薬は成熟期の人材をどう作り替えようとしたか

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時期 2016年2月
意思決定者 吉野俊昭山田邦雄 ロート製薬 社長・ロート製薬 会長
論点 人材と企業文化
概要
2016年2月、ロート製薬は新しい企業理念「NEVER SAY NEVER」を掲げると同時に、入社3年目以降の社員に業務時間外の副業を認める社外チャレンジワーク制度と、社内で別部署を兼務する社内ダブルジョブ制度を導入した。上場企業で副業の容認がまだ稀だった時期に、社員の発案から雇用慣行の枠を広げた経営判断である。
背景
国内の大衆薬市場が成熟し、スキンケアを軸に総合ヘルスケアへ広がるなかで、ロート製薬は規模の拡大より新事業を生み出す人材の力に成長の活路を求めていた。上場しながら創業家が主導権を保つ独立性が、踏み込んだ人事制度を選ぶ下地となっていた。
内容
社外チャレンジワークは入社3年目以降を対象に、業務時間外・休日に限って報酬を伴う社外の仕事を届出制で認める制度で、社内ダブルジョブと二本立てで運用した。2016年6月時点で60人強が応募し、薬剤師のドラッグストア勤務や地ビールの製造・販売会社の設立といった例が生まれた。
含意
外部資本に縛られない同族経営であればこそ選べた人事の逆張りであり、上場企業の副業解禁の先行例として波及した。一方で、社外で得た経験が本業へどれだけ還流するかの検証は、その後の課題として残った。
筆者の見解

外部資本を持たない会社の、人事の逆張り

社外チャレンジワークの核心は、副業を認めたこと自体よりも、社員の発案をそのまま制度へ移し、企業理念ごと挑戦の側へ振り切った点にあるとみることができる。成熟した国内市場で規模の拡大が描きにくくなるなか、ロート製薬は成長の源を設備や買収ではなく人の質に求めた。会社の外で得た経験を本業へ持ち帰らせる回路を開くことは、人材を一つの職務に囲い込む従来の雇用観を静かに崩す試みでもあった。上場していながら創業家が主導権を保ち、市場の短期の評価に縛られにくい独立性が、この逆張りを可能にした面がうかがえる。

もっとも、制度が人材と業績にどこまで実を結んだかは、なお見きわめが続いている。導入から二年後の2018年には吉野俊昭社長が急逝し、創業家の山田邦雄氏が会長兼社長へ復帰して、以後は販売促進費を抑え利益率を優先する運営へと軸を移した。挑戦を掲げた人事の制度が、成熟期の収益効率を求める経営とどう両立していくかは、その後に残された課題であった。副業で外へ開いた社員の経験が、本業の新しい事業や文化にどれだけ還ってくるのか——その答えは、制度の年数が積み上がるなかで測られていくとみられる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

成熟した国内市場と、独立した同族経営

ロート製薬は目薬や胃腸薬といった大衆薬で知られ、2000年代以降はスキンケアの肌ラボを育てて総合ヘルスケア企業へ幅を広げてきた。もっとも国内の大衆薬市場は成熟し、既存事業の延長だけで成長を描くことはむずかしくなっていた。会社は規模の拡大よりも、新しい事業を生み出す人材の力に活路を求めるようになっていた。吉野俊昭社長は、新しい事業を企画するにはこれまで培ってきた知識だけでは足りないと語り、社員が社外の経験から学ぶ必要を説いていた。成熟した本業を土台にしつつ、人材の幅をどう広げるかが経営の課題となっていた[1]

ロート製薬は1899年の創業以来、山田家による同族経営を続けてきた。株式を上場しながらも創業家が経営の主導権を保ち、四半期ごとの市場の評価に過度にとらわれず長期の判断を下せる独立性を備えていた。会長の山田邦雄氏は、人材の可能性を引き出すことこそ経営の責務だと述べ、社員一人ひとりが自らの意思と力で立つことを重んじる考えを掲げていた。外部資本の圧力が薄く、目先の効率より人の成長に資源を割ける立場が、後の踏み込んだ人事制度を支える下地となっていた[2]

社員の発案から始まった制度

制度は経営陣の号令ではなく、現場の社員から生まれた。若手社員が自発的に集まって明日のロートを考える社内の活動から、働き方を広げる提案が持ち上がり、会社はそれを制度として受け止めた。副業を認めるという判断が、人事部や経営企画からの一方的な施策ではなく、働く当人たちの発案から立ち上がった点に、この決定の性格がよく表れている。上意下達ではなく、社員の側から会社の枠を問い直す動きを、経営が押しとどめずに形にした[3]

決断

二つの制度による副業の解禁

2016年2月、ロート製薬は新しい企業理念「NEVER SAY NEVER(不可能は絶対にない)」を掲げると同時に、社外チャレンジワーク制度を導入した。入社3年目以降の社員を対象に、平日の終業後や休日といった業務時間外に限り、報酬を得る社外の仕事を認める内容であった。許可制ではなく届出制を採り、本業に支障をきたさないことを条件とした。国内の上場企業で副業を正面から容認する例がまだ稀だった時期に、製薬会社が先んじて雇用慣行の枠を広げた判断であった[4]

あわせて社内ダブルジョブ制度も設けた。所属する部署に籍を置いたまま、別の部署や事業の業務を兼務できる仕組みで、社外へ出る副業と、社内で役割を広げる兼務との二本立てとした。社外チャレンジワークが会社の外の経験を持ち帰る回路であるのに対し、社内ダブルジョブは部門の壁を越えて人を動かす回路であった。人材を一つの職務に固定せず、本人の意思で活動の場を広げられるようにする点で、二つの制度は同じ方向を向いていた[5]

理念ごと「挑戦」の側へ振り切る

背後にあったのは、人材を管理の対象としてではなく、自ら立って組織を動かす主役として遇するという考え方であった。「不可能は絶対にない」という理念のもとで、会社は社員の挑戦を制度で後押しする側に回った。吉野俊昭社長は、事業環境の変化のなかでより新しい挑戦をする必要が出てきたと語り、社外での学びを本業へ還す流れを重んじた。効率や統制を優先しがちな人事の常道からすれば、副業の解禁は逆を行く一手であり、理念と制度を同時にそろえて挑戦の側へ振り切った判断であった[6]

結果

応募の広がりと、先行例としての波及

2016年6月14日、ロート製薬は2月に導入した副業制度へ社員60人強が応募したと明らかにした。薬剤師の資格を持つ社員がドラッグストアで店員として働く例のほか、生産管理を担っていた奈良県出身の社員が同県で初となる地ビールの製造・販売会社を立ち上げる例も生まれた。当時ロートには約1,500人が勤めており、副業を始めたのはその一部であったが、社員が本業の外で事業を起こす動きが具体的な形をとって表れた[7]

制度の利用はその後も広がった。翌2017年の時点で、社外チャレンジワークには約63名が応募して20名あまりが実際に兼業し、社内ダブルジョブには約100名が応募して約30名が兼務を始めていた。政府が働き方改革のなかで副業や兼業の容認を促すより前に制度を敷いたロート製薬は、上場企業における副業解禁の先行例としてたびたび取り上げられた。人材の外部経験を本業へ還流させるという当初の狙いは、他社が追随する形でも輪郭を得ていった[8]

出典・参考