上場企業の経営論点

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プロ経営者の招聘

日本企業が経営者を内部昇進させてきたのは、慣行というより仕組みの帰結である。長期雇用のもとで社員は一つの会社に長くとどまり、その会社でしか通用しない知識を蓄積した。取引先との関係、工程の勘所、稟議の通し方。いずれも他社へ移れば価値が下がる。

とりわけ意思決定の通し方は文書化されていなかった。稟議は誰の印を先に取るかで結果が変わり、根回しは制度ではなく慣行であった。根回しと調整の簡素化が繰り返し課題となりながら集団主義から抜け出せなかったのは、この手順が会社ごとに異なるためである。したがって、社内の経歴を持たない人物は、意思決定を通す経路を持たない。外資系の手法をそのまま持ち込んでも機能しないと見られていたのも、同じ理由による。処遇は在社年数と結び付き、経営者の候補は社内でしか育たなかった。外部に経営者の労働市場が成立しない以上、招聘という選択肢そのものが乏しかった。日本的経営として総括された長期雇用と年功処遇は、経営者の供給源も社内に限定していた。

例外は、資金を出した金融機関が人材も送る場面である。主力銀行は融資先の経営に責任を負い、支援の見返りとして人材を派遣した。1965年の証券不況では、日本興業銀行が日高輝氏を派遣して山一證券の再建責任を引き受けた。1982年、朝日麦酒は住友銀行副頭取だった村井勉氏を迎えて組織を立て直した。銀行からの派遣は招聘というより、取引関係の内側での人材の融通に近い。社外の人物へ権限を集中させたのは、会社が破綻に瀕したときであった。1999年のルノーとの資本提携と2010年の稲盛和夫氏による日本航空の再建は、その典型である。社内の序列を無視できる条件は、その序列を作った経営の失敗に限られた。

2000年代半ばには、経営人材の流動化が語られるようになった。会社を移る経営者は、失敗の帰結ではなく一つの職業選択と見られ始めた。2010年代に入ると、招聘は平時の人事へ移った。資生堂は魚谷雅彦氏に、武田薬品工業はクリストフ・ウェバー氏に経営を委ねた。カルビーの松本晃氏のように、危機のない会社が収益管理の手法ごと経営者を招く人事も定着した。

内部昇進が前提だった時代、社長人事は社内の誰を選ぶかの問題であり、基準は序列が代わりに示していた。しかし外部から招くなら、序列は使えない。何ができる人物を何のために招くのかを、招聘の前に言語化しなければならない。

財務諸表のどこを見るか

「役員の状況」の略歴欄を最初に読む。前職の社名と在籍年数が書かれるため、社内で育った経営者か外から迎えた経営者かを判別できる。次に役員報酬を見る。外部招聘では固定報酬の比率が下がり、業績連動報酬と株式報酬の設計が細かく書かれるので、算定指標、支給の上限、報酬1億円以上の個別開示を確かめたい。新株予約権の発行要項に権利行使条件が載れば、在任年数と株価への連動が読める。指名報酬委員会の構成も併せて見る。

2020年代

2010年代

2019年ロート製薬杉本雅史氏が社長就任創業家が会長として代表権を残し、執行を武田出身の社外人材へ委ねた交代2019年MTG京セラから会長を招聘不適切な会計処理を受けた取締役会の刷新2018年東芝車谷暢昭氏が会長CEO就任生え抜きによる社長継承の打ち切りと、10年で5人が替わった経営トップ人事2016年カルビー収益体質改革の断行松本晃氏の主導による、数字で管理する経営への転換2016年シャープ鴻海精密工業傘下での再建経営体制の入れ替えと、構造改革による自己資本の立て直し2016年ヤマダHD山田昇氏の三度の社長交代創業者が社長を託しては引き取る、9年におよぶ交代と復帰の反復2015年タカラトミーハロルド・ジョージ・メイ氏が社長就任創業家が執行を外部のプロ経営者へ委ね、2年7か月で引き戻した社長人事2015年ヤマダHD「店舗効率向上」改革による54店閉店量の拡大から自社競合の解消による店舗効率の向上への転換2014年武田薬品工業クリストフ・ウェバー氏が社長就任グラクソ・スミスクライン出身者へのCOO職とCEO職の段階的な委譲2014年資生堂魚谷雅彦氏が社長就任外部のプロ経営者に経営を委ねる決断と、「VISION 2020」の始動2014年ベイカレントSunrise主導のMBO創業者の持分縮小と、投資ファンドを主導役に据えた資本の組み替え2014年ワークマン「データ経営」への転換土屋哲雄氏の参画と、あわせて掲げた「しない経営」への転換2012年クリエイトSDHD医薬品と食品の併売店へ転換創業家によらない外部プロ経営者への継承と、店舗の型の刷新2012年ベイカレント萩平和巳氏が社長就任創業者・江口新氏の退任と、経営コンサル出身者を迎えた外部登用2011年LIXIL藤森義明氏がCEO就任米GE出身の経営者を迎えての創業家からの経営権の移譲2010年太陽HD佐藤英志氏が社長就任公認会計士出身のトップ登用と、持株会社制への移行による統治の組み替え2010年日本航空会社更生法による再建株式の消却と債務削減、京セラ創業者の下での部門別採算への転換

2000年代

2009年カルビーカーライル・ペプシコとの資本提携外部資本を迎え入れた業務提携と、東証一部への上場2009年ソニーストリンガー氏が社長兼務CEOと社長を一人に集約し、エレクトロニクスとゲームを一体で動かす体制への転換2008年日本板硝子スチュアート・チェンバース氏が社長就任買収先出身者と外部招聘による外国人社長2代の起用と委員会設置会社への移行2006年BIPROGY米ユニシス株の全売却保有株の全売却による日米合弁体制の解消と独立経営への移行2006年ライフコーポレーション岩崎高治氏が社長就任社長職の世襲を退け、自己株式の処分と引き換えに三菱商事から後継を迎えた承継2005年トレンドマイクロエバ・チェン氏が社長就任創業者チャン・ミンジャンからの社長兼CEO職の引き継ぎ2005年西武HDサーベラス出資での再建後藤高志氏の招聘と、持株会社体制への移行によるグループ再建2004年ベイカレントSIerから上流コンサルへ転換発案者が自ら事業を立ち上げる社内独立の風土の醸成と、事業構造の転換2003年日本マクドナルド藤田商店との提携解消創業者の退場を経た、米本社による直接統治体制への移行2003年そごう西武百貨店と経営統合かつての商売敵との統合による、ミレニアムリテイリング傘下入り2003年あおぞら銀行米サーベラス筆頭株主化ソフトバンク保有株の売却を経た普通銀行への転換と再上場2003年りそなHD公的資金1.96兆円受入預金保険法102条の初適用と細谷英二会長のもとでのリテール再建2002年第一製薬第一サントリーファーマ設立酒類大手の医薬品事業部門を分社化して受け止める共同出資会社の発足2002年三菱自動車エクロート氏の構造改革ダイムラー主導で進んだ、聖域を設けない再建計画の断行2002年ファーストリテイリング玉塚元一氏が社長就任柳井正氏の社長退任と経営の世代交代2001年セブン銀行アイワイバンク銀行設立金利差ではなくATM受入手数料を収益源に据えた銀行の設計2000年そごう西武との合併構想破綻処理から再建へ——興銀が招いた和田繁明氏が描いた百貨店再編の設計図

1990年代

1980年代

1970年代

1960年代

1950年代

1930年代

1870年代

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