サンドラッグのローコスト高収益モデルと20期連続増収増益

2013年実施

創業家の外から来た二代目社長は、なぜ20年にわたり増収増益を続けられたのか——才津達郎が磨いた低コスト経営

時期 1994年8月
意思決定者 才津達郎(社長)
論点 経営モデルと収益性
概要
1994年、創業家以外から初めて社長に就いた才津達郎が、徹底した低コスト運営と教育・業態開発を軸に、住宅地・郊外の高収益ドラッグストアを全国へ広げ、就任からの20期連続増収増益を実現した経営判断。
背景
才津は専務時代から「粗利を削ってでも価格を下げ、販売量を増やす」安売りと、2人店長制などの人材活用でチェーン随一の売場効率を作っていた。1980年代の物流・POS投資が、低い販管費構造の土台にあった。
内容
繁華街ではなく住宅地・郊外に出店を絞り、情報システム投資で販管費比率を大手最低水準に抑えた。同時に月次の販売研修とPB強化で対面の推奨販売力を高め、「利益を出すのが当たり前」を経営の原則に据えた。
含意
就任時279億円の連結売上高は2013年度に4,478億円へ16倍に伸び、営業利益も12倍以上に拡大した。低コストと高収益を両立するこの型は、後年のドラッグストア各社が追う一つの原型になった。
筆者の見解

派手さのない型を、長く回し続けた

この経営判断の核心は、創業家の外から来た二代目が、派手さのない一つの型を長く回し続けた点にある。才津が持ち込んだのは新しい商品でも新しい市場でもなく、住宅地・郊外に立地を絞り、費用を切り詰め、人を育てて売場の力を上げるという、地味な運営の徹底だった。小売業は何も新しいものを生み出していない、だから利益を出すのが当たり前だと言い切れたのは、利益が幸運や好況ではなく、日々の運営設計から生まれると信じていたからだろう。20期という長さは、その信念が一過性でなかったことを示している。

もっとも、低コストと高収益の両立には裏の顔もある。競合地域で価格を下げて譲らない姿勢や、卸へのきびしい取引条件は、効率の高さと表裏だった。規模が大きくなるほど、この型をどこまで保てるかは重くなる。実際、後年のサンドラッグは業界の大型統合とは距離を置き、ダイレックスによる二業態化やゆるやかな資本提携で独自の道を選んでいく。規模を追う競争のなかで、才津が磨いた低コスト高収益の型をどう受け継ぐか——この問いは、創業家外の経営者が去った後の同社に残されている。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

専務時代の才津が磨いた安売りと売場効率

サンドラッグのローコスト経営は、才津達郎が社長に就く前からその形をとっていた。1992年、専務だった才津は、強さの秘訣を「徹底した安売りを貫いていること」と語っている。同社の基本戦略は粗利を削ってでも価格を下げ、販売量を増やすことにあり、単なる薄利ではなく、大量に売る仕組みと組み合わせて利益を残す点に特徴があった。東京西部を地盤とする一チェーンにすぎなかったこの時期に、後年の高収益モデルの骨格はすでに置かれていた[1]

安売りだけで抜きん出た売上を確保できたわけではない。才津は店長の役割を「店舗責任者」と「販売責任者」に分ける2人店長制を敷き、平均年齢25歳という若い社員に専門分野を絞って力を注がせた。販売責任者は接客と若手の教育を受け持ち、対面での推奨販売の技術を鍛えた。人材を厚く配置してもなお、1990年度の売上高経常利益率6.9%は、大手医薬ディスカウントストア9チェーンの中で首位だった[2][3]

物流・POS投資と創業家外初トップへの交代

高い利益率を支えたのは、早い時期のシステム投資だった。サンドラッグは1985年2月に売上と受発注情報のオンライン化を始め、1986年には物流センターにピッキングシステムを備え、1991年11月には全店にPOSレジを入れた。ドラッグストア業界でこれらの本格導入がまだ一般的でなかった時期の先行投資であり、店舗あたりの取扱品目と回転率を引き上げ、低い販管費比率の土台をつくった[4]

低コスト運営を実務で組み上げた才津が、会社全体の舵を握る時が来た。1994年8月19日、サンドラッグは日本証券業協会へ株式を店頭登録し、資金調達の道を得る。そして同じ年、専務だった才津が社長に昇格した。1957年の創業以来、経営は創業家の手にあったが、ここで初めて創業家以外の人物がトップに立つ。多田幸正が築いたチェーンの骨格の上に、才津のローコスト経営が全社の戦略として据えられていくことになった[5]

決断

低コストを会社全体の戦略に据える

社長となった才津は、専務時代の売場運営を会社全体の戦略へ引き上げた。狙いを定めたのは、繁華街ではなく住宅地、それも駅前から一歩外れた幹線道路沿いの郊外立地である。人が自然に集まる一等地を避け、集客の難しい場所で低コスト運営によって採算を取る。この逆張りの立地政策を、才津は挑発的な言葉で言い切った。放っておいても人が集まる場所なら誰が店を出してもうまくいく、繁華街に力を入れる企業はライバルと見ていない、と[6]

低コストは、費用のかけ方の一つひとつにあらわれた。マツモトキヨシの派手なテレビ宣伝を横目にしても、地元の主婦を主要顧客とするドラッグストアには必要ないと退け、費用対効果に合わない出費は避けた。一方で生産性に直結する情報システムには惜しまず投じ、販管費比率を大手で最も低い水準に抑えた。競合と重なる地域では価格を下げて譲らず、ある医薬品卸の幹部は、サンドラッグが先に価格競争から手を引くのを見たことがないと証言した[7][8]

教育と業態開発で人を作る

才津の低コスト経営は、人を削るのではなく人を育てることで回った。本人は経営の仕事で最も好きなのは教育だと語り、次に商品開発、業態開発を挙げた。店舗の販売員には定期的な研修を課して対面の推奨販売力を磨き、独自のプライベートブランドを厚くして利幅を確保した。稼働計画システムや自動発注の仕組みで店舗作業を標準化し、入社まもない社員でも店長が務まる体制を整えた。利益を出すのが当たり前という原則を、才津は現場の人づくりに落とし込んでいた[9][10]

結果

20期連続増収増益と全国展開

数字がモデルの実力を裏づけた。才津が社長に就いた1994年度に279億円だった連結売上高は、退任する2013年度に4,478億円へと16倍に伸び、営業利益は22億円規模から280億円へと12倍以上に拡大した。就任からの20期連続増収増益は、小売業でも突出した記録として語られる。販管費比率を20%以下に保ち、2009年時点の経常利益率は6.5%に達した。低コストと高収益をともに満たすという、言葉にすれば矛盾しかねない両立を、才津の期間は続けて示した[11]

成長は自前の出店だけでなく、地方の中堅事業者を束ねる形でも広がった。1996年のタイセーホームエイド子会社化を皮切りに、栃木・神奈川・新潟・愛知・北海道などの地域チェーンをフランチャイズや子会社化で取り込み、本社が一律に広げるのではなく既存事業者をネットワーク化して全国へ届いた。2009年にはディスカウントストアのダイレックスを子会社化し、第二の業態を加えている。すでに2000年、ある証券アナリストは、投下資本利益率でマツモトキヨシを上回る効率の良い経営だと評したうえで、規模を広げながら効率を保てるかを次の課題に挙げていた[12][13]

出典・参考