創業家の関与
戦前の日本では、同族が持株会社を通じて傘下の事業会社を支配する体制が大企業の標準であった。本社が資金を調達して傘下へ配分し、役員も本社が派遣した。創業家は株主であると同時に経営者でもあり、所有と経営の分離という論点そのものが成り立たなかった。財閥に属さない創業企業も構造は同じであった。創業者が株式を保有し、投資の可否を会議にかけずに決めた。成長が続くかぎり、この意思決定の速さは業績によって正当化された。
同族と経営の結び付きは、三度、外から断ち切られている。断ち方はそれぞれ異なる。一度目は、制度が持分そのものを剥奪した。持株会社は解散させられ、同族の保有株は放出され、役員の座も失われた。会社の機関が働いた結果ではなく、会社の外にある占領政策が持分と役職を同時に剥奪したのである。日本セメントは浅野一族を役員から退けた。
二度目に使われたのは、取締役会と株主総会という会社が元から持っている機関である。戦後、企業集団は株式の持ち合いで再結集したが、そこへ同族の持分は戻らなかった。これに対し、解体の対象にならなかった創業企業は、持分と経営権を保持したまま高度成長期を通過した。しかし成長が止まると、創業者の意思決定の速さは説明を欠いた独断として問題になった。1990年前後に同族経営への批判が強まったのは、創業家の統率力が会社の業績を説明しなくなったためである。大林組は45年続いた同族支配を非同族の社長へ移譲し、ヤマハは解任動議で川上家の支配を終わらせた。いずれも取締役会と株主総会で決着が付いた。
三度目は資本市場による押し出しである。持ち合いが解けて外国人株主が増加すると、持分比率そのものが交渉の対象になった。出光興産は創業家の持株比率を公募増資で希薄化させ、昭和シェル石油との合併を成立させた。小林製薬は紅麹の健康被害で創業家を経営から後退させた。一方で、市場から離れる逆向きの選択もある。大正製薬ホールディングスは総額7,100億円のMBOで上場を廃止し、経営を創業家の内側に収めた。上場廃止によって市場の評価から離脱する論理を、同族の持分に適用した事例である。
つまり、問われているのは持分の多寡ではない。持分に見合う説明責任を果たせるかどうか。上場を続けるかぎり、その説明は毎年の株主総会で求められる。大正製薬ホールディングスは、説明を求める株主そのものを減らす選択をした。
財務諸表のどこを見るか
まず「大株主の状況」で、創業家個人と資産管理会社の持株を合算する。名義が分かれていても住所と社名から辿れる。次に「役員の状況」の所有株式数欄を見て、経営に残る一族と株式だけを持つ一族を分ける。関連当事者情報の注記には役員及びその近親者が支配する会社との取引が出るため、賃借料や仕入の金額と条件を確かめる。コーポレート・ガバナンスの概要には、支配株主がいる場合の少数株主保護の方策が書かれる。