鯉沼久史氏への社長交代 ── 襟川夫妻が15年かけた引き継ぎ計画

創業家はなぜ、血縁ではなく「一番稼いでいる」生え抜きに経営を託したのか

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時期 2025年2月
意思決定者 鯉沼久史・襟川陽一(前社長兼CEO・現会長) 新社長執行役員CEO
論点 創業家からプロパー経営者への権限移譲と、本業・資産運用のガバナンス分離
概要
2025年6月、創業者の襟川陽一氏が社長兼CEOから代表権のある会長へ退き、1994年入社の生え抜きである鯉沼久史氏が代表取締役社長執行役員CEOに就任した経営判断である。妻の襟川恵子氏も会長職を退き、2013年から続いた襟川夫妻のトップ体制が約15年で交代した。
背景
鯉沼久史氏は1994年にコーエー(現コーエーテクモゲームス)へ入社し、専務・副社長を経て2015年に同社代表取締役社長、2021年に持株会社の代表取締役副社長を歴任するなど、段階的に権限を委ねられていた。
内容
2025年2月10日に鯉沼久史氏の社長昇格が内定し、6月の株主総会・取締役会で正式に就任。同時に襟川恵子氏は新設のコーエーテクモコーポレートファイナンス社長へ、本業の経営権限と資産運用のガバナンスを分離する形の交代となった。
含意
光栄創業から約47年、持株会社設立から16年を経て、創業者2人が直接経営する体制から、鯉沼久史氏を中心とする生え抜き経営体制への移行が完成した。
筆者の見解

「稼ぐ人」に託すという原則

この交代の核心は、創業家が自らの血縁でなく、開発現場を知る生え抜きに経営を託した点にあるとみることができる。襟川陽一氏が語った「一番稼いでいる彼に託す」という言葉は、同族経営にありがちな血縁優先の承継とは異なる原則を示している。もっとも、その原則が15年という長い準備期間を経て初めて実行に移された事実は、実力主義の承継が一朝一夕には作れないことも同時に物語っている。鯉沼氏が「決戦」の開発現場で示した仕事ぶりから信頼が育つまでの過程は、この会社が学歴や肩書きよりも現場での実証を評価してきたことをうかがわせる。

一方で、本業の経営権限と資産運用のガバナンスを同時に分離したことは、単なる世代交代を超えた組織再設計でもあった。ゲーム開発の勘所を知る鯉沼氏に本業を委ね、資産運用に長けた襟川恵子氏を専業子会社へ移すという役割分担は、それぞれの得意分野に経営資源を集中させる合理性を持つ。ただし、創業者夫妻が二人三脚で担ってきた「襟川流経営」を、開発出身の社長と運用専業の子会社という分かれた形でどこまで伝承できるかは、今後の業績が示すことになるといえる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

15年前から意識された後継候補

鯉沼久史氏は1994年にコーエー(現コーエーテクモゲームス)へ入社した生え抜きである。2000年に発売した歴史アクション「決戦」の開発で、当時社長だった襟川陽一氏と直接タッグを組んだことが転機になったという。襟川陽一氏は後年の取材で、不眠不休で開発を間に合わせただけでなく、ハード側の不具合をソニーと協議しながら直した鯉沼氏の仕事ぶりに触れ、そこから信頼を築いていったと振り返っている[1]

その後、鯉沼氏は「無双」シリーズでクリエイティブとビジネス双方の力量を示した。社内では2006年に執行役員、2011年に専務取締役、2013年に取締役副社長と段階を追って昇格し、2015年にコーエーテクモゲームスの代表取締役社長(COO)に就いた。2021年には持株会社コーエーテクモホールディングスの代表取締役副社長も兼ね、事業会社と持株会社の双方で経営の中枢を担う立場に置かれていった[2]

2013年から続いた襟川夫妻のトップ体制

創業者・襟川陽一氏(当時社長兼CEO)と妻・襟川恵子氏(当時会長)による夫妻トップ体制は2013年から続いていた。襟川陽一氏は光栄の創業者としてゲーム開発の現場感覚を持ち続け、襟川恵子氏は資産運用でグループの収益を支える、二人三脚の経営が長期にわたって続いていた。この体制のもとで後継者育成は静かに進み、対外的な発表を伴わない形で権限移譲が積み重ねられていった[3]

襟川陽一氏は2023年のCEDEC取材で、営業利益の世界順位が30位程度から17位まで上がり、世界一を目指す道筋が描けてきたと語り、創業時から掲げてきた世界一という目標への到達経路を、初めて具体的な数字とともに示している。経営体制の刷新は、この目標に向けた次の段階として準備されていたとみることができる[4]

決断

「一番稼いでいる彼に託す」

2025年2月10日、コーエーテクモホールディングスは鯉沼久史氏の社長昇格内定を発表した。4月1日付でコーエーテクモゲームスの代表取締役社長CEO兼COOに就き、6月の株主総会・取締役会を経て、持株会社の代表取締役社長執行役員CEOに正式就任するという二段階の日程が組まれた。襟川陽一氏は代表取締役会長に、襟川恵子氏は取締役名誉会長に退き、両氏はコーエーテクモゲームスとコーエーテクモウェーブの役員からも退任して、経営の監督に専念する立場となった[5]

襟川陽一氏は後年の取材で、この決断の理由をこう語っている。「株主は、一番経営者に向いていて、稼いでくれる人に社長になってもらい、会社の成長性と収益性を上げてもらうことを期待する。何でそうじゃないのかという疑問が生まれるような会社にしたくないので、一番稼いでいる彼(鯉沼氏)に託す」。創業家の血縁ではなく、実績で選ぶという原則を明言した言葉であった[6]

資産運用のガバナンスも同時に分離

この社長交代は、単独のトップ交代ではなく組織構造の再設計を伴っていた。同じ2025年2月、グループ財務機能を分離する新会社「コーエーテクモコーポレートファイナンス」の設立も発表され、襟川恵子氏はこの新会社の代表取締役社長に就任した。ゲーム事業の経営権限は鯉沼久史氏へ、資産運用のガバナンスは襟川恵子氏へと、本業と非本業を切り分けたうえでの世代交代であった[7]

襟川陽一氏は「45年間、経営者としてゲームの開発をしてきた。ゲームのことを本質的にわかっている人間でなければ、ゲーム会社の経営はできない」とも述べており、後継者選びの基準がゲーム開発の現場理解にあったことをうかがわせる。開発現場を経験した鯉沼氏を選んだことは、この基準に沿った帰結であった[8]

結果

生え抜き経営体制への移行

2025年6月、鯉沼久史氏は正式に代表取締役社長執行役員CEOに就任した。光栄創業(1978年)から約47年、コーエーテクモホールディングス設立(2009年)から16年を経て、創業者2人が運営に直接関与する体制から、鯉沼久史氏を中心とする生え抜き経営体制への移行が完成した。鯉沼氏は2023年のファミ通の取材で「1000万本クラスのタイトルを創出するという目標があります」と述べ、コンソール・PC分野の3カ年累計販売本数3,000万本を第4次中期経営計画の柱に据えている[9][10]

襟川夫妻はそれぞれグループ子会社(コーエーテクモアセットマネジメント・コーエーテクモコーポレートファイナンス)の代表として運用部門のガバナンスに集中し、本業のゲーム事業は鯉沼久史氏率いる新体制が運営する分業形態となった[11]。就任後の鯉沼氏は「海外で戦える体制に」を目標として掲げており、統合以来拡大してきた海外売上比率をさらに押し上げる方針を示している。もっとも、社長交代からまだ日が浅く、新体制の業績への影響は本文の時点では確認できていない。

出典・参考