紅麹サプリ健康被害の引責と創業家経営陣の退任・統治刷新
死者を出した危機対応の遅れを、創業家はどう引き取り、統治をどう作り替えたか
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- 概要
- 2024年7月23日、小林製薬は、紅麹原料を含むサプリメントによる健康被害への対応が遅れた責任を取り、小林一雅会長と小林章浩社長という創業家出身の二人が退く人事を発表した。後任社長には山根聡専務が昇格し、1886年の創業以来で初めて創業家以外からトップが立った。法曹三者出身の事実検証委員会の検証を踏まえた、取締役会主導の判断であった。
- 背景
- 2024年3月22日に紅麹関連商品の自主回収を公表して以降、死亡例を含む健康被害の報告が相次いだ。最初の症例報告は1月15日、社長への報告は2月6日、社外取締役への共有は3月20日夜と、社内の情報伝達に大きな遅れがあった。ガバナンスの優等生とされてきた同社の危機対応が問われた。
- 内容
- 取締役会は事実検証委員会の報告書を受け、創業家の会長・社長を退任させた。一雅会長は特別顧問へ退き、章浩社長は代表権のない取締役として補償を担当する。二人と山根新社長は役員報酬の一部を自主返上した。新体制は紅麹事業からの撤退を表明し、社外取締役の関与を強める方向へ転じた。
- 含意
- 効率や成長ではなく、消費者の生命にかかわる品質と情報開示の失敗が、約140年続いた創業家経営に区切りをつけさせた。翌2025年には社外から大田嘉仁氏を会長に迎え、脱・創業家依存の統治改革が続いた。もっとも創業家は株式の約3割を保持し、物言う株主も加わり、刷新の実質はなお定まっていない。
効率ではなく信頼を問われた統治交代
この決断が特異なのは、成長や効率をめぐる戦略ではなく、消費者の生命にかかわる品質と情報開示の失敗が、約140年続いた創業家経営に区切りをつけさせた点にある。ニッチな市場を独自の商品で押さえ、全社員が毎月アイデアを出す「小林らしさ」は、同社の高収益を支えてきた強みであった。その同じ社風が、統治や品質管理の面では創業家への集中と外部規律の弱さと表裏になっていたとみることができる。強みの裏側にあった弱さが、最悪のかたちで露呈した事態であったといえる。
引責による経営陣の交代と社外会長の招聘は、統治の担い手を入れ替える踏み込んだ一手であった。ただ、創業家が株式の約3割を握り、当事者の二人が社内に残る構図は変わっていない。物言う株主が「不十分」と迫るなかで、社外の視点をどこまで実質的な規律に変えられるかが、この会社に残された課題となっている。創業家の求心力に頼ってきた企業が、その求心力を手放したあとに何を統治の芯に据えるのか——紅麹問題が突きつけた問いは、危機の収束後もなお開かれたままだとみられる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
紅麹サプリの健康被害と回収の拡大
2024年3月22日、小林製薬は「紅麹コレステヘルプ」など紅麹原料を含むサプリメントの自主回収を公表した。同26日には、腎疾患で亡くなった消費者が生前に同社の紅麹関連商品を使用していたと発表し、製品と死亡の関連が疑われる事例が表面化した。3月末時点で公表していた死亡例は5件であったが、6月末に報告基準を見直して76件を追加し、死亡との関連を調査する対象は最大で81件にのぼった。摂取と死亡の因果関係そのものは確定しなかったものの、被害の広がりは同社の想定を超えていた[1][2]。
被害は同社の製品だけにとどまらなかった。小林製薬は製造する紅麹原料の8割超を他社に販売しており、供給先は173社に及んだ。宝酒造や紀文食品などが商品の自主回収に踏み切り、イオンもプライベートブランドの一部を撤去するなど、影響は食品・流通の各方面へ波及した。回収費用も当初は18億円程度と見込んでいたが、小林章浩社長はそれ以上に広がるとの見通しを示し、全容がいつ判明するかも見通せない状況が続いた[3]。
「優等生」の統治が抱えていた空洞
小林製薬は、コーポレートガバナンスの優等生と評されてきた。早くから社外取締役を導入し、その顔ぶれには企業統治の専門家として知られる伊藤邦雄氏も名を連ねていた。ところが今回の危機では、その仕組みが機能していなかった。同社が最初に症例の報告を受けたのは1月15日、社長に伝わったのが2月6日、そして社外取締役へ事態の概要が共有されたのは3月20日の夜であった。回収の公表までに約2カ月を要した経緯が、形だけの統治ではなかったかという疑いを招いた[4]。
統治の根には、創業家の存在があった。同社は1886年創業のオーナー企業で、当時も創業家が株式の約3割を保有していた。社長の父である小林一雅会長は、社内の反対を押し切ってヒット商品を生んできたカリスマであり、6代目の章浩社長も「会長なしでもやっていけるように会社を変える」と危機感を語っていた。全社員が毎月アイデアを出す独自の文化に代表される「小林らしさ」が強みとされる一方、品質管理の面では、紅麹原料の工場が医薬品の製造基準であるGMP認定を取得しないまま稼働していた[5]。
決断
事実検証委員会と創業家経営陣の退任
危機対応への批判が高まるなか、取締役会は自らの対応を検証する道を選んだ。2024年4月26日、法曹三者出身の専門家からなる事実検証委員会を設置し、委員長には元東京地方裁判所所長の貝阿彌誠弁護士が就いた。検証にあたっては、当事者となる一雅会長・章浩社長・山根専務の三名を審議・決議から外し、利害から距離を置いた体制を組んだ。約3カ月の調査を経て、委員会の報告は7月23日に公表された。自社の失敗を外部の目で洗い直す手続きが、経営陣の進退を判断する土台となった[6]。
委員会は、危機に際して経営陣が主体的に動かなかったと指摘した。会長・社長は「率先して製品回収や消費者に対する注意喚起といった対策を実行に移す判断や指示を行うことはなかった」とされ、危機意識の欠如が問題の根にあるとみなした。この検証を受けて7月23日、取締役会は創業家の二人が退く人事を決めた。報道はこれを事実上の解任と受け止めた。経営責任を曖昧にせず、統治の担い手そのものを入れ替える判断であった[7]。
140年で初の創業家外トップと責任の明確化
後任の社長には、山根聡専務が昇格した。1886年に小林忠兵衛が雑貨店を開いてから約140年の歴史で、創業家以外からトップが立つのは初めてであった。一雅会長は退任と同時に取締役も退いて特別顧問となり、章浩社長は代表権のない取締役として残り、被害者への補償を担うこととなった。社長交代は8月8日付で実施された。カリスマ経営者が退き、実務の一部を引き受けながら創業家が一歩下がるという、緩やかだが明確な移行のかたちが選ばれた[8]。
責任は肩書きの移動だけでなく、報酬と事業の両面にも及んだ。章浩氏は役員報酬月額の50%を、山根氏は40%を、いずれも1〜6月の6カ月分について自主返上した。新体制はさらに、被害の震源となった紅麹事業そのものからの撤退を表明した。危機を招いた領域を切り離し、経営陣の処遇にも痛みを織り込むことで、対応の遅れに対する責任の所在を対外的に示そうとした[9]。
結果
社外招聘の会長と脱・創業家の統治改革
創業家出身の社長を挟んだ移行は、そこで止まらなかった。2025年3月28日、小林製薬は山根聡社長の退任と、豊田賀一執行役員の社長昇格を決めた。あわせて、京セラの元役員で日本航空の再建に携わった大田嘉仁氏を社外から会長に迎え、取締役会の議長も担わせた。社外の視点を統治の中枢に据え、内部統制や医療・医薬の知見を持つ社外取締役を加える方針も示された。引責による経営陣の交代から一年を経て、脱・創業家依存を掲げる統治改革が具体的な人事として形をとった[10]。
もっとも、統治刷新の実質にはなお問いが残った。社外から来た大田会長が議長を務める体制のもとでも、一雅氏は特別顧問、章浩氏は補償担当の取締役として社内にとどまった。同社株の約13%を握る香港の投資ファンド、オアシス・マネジメントは、創業家の留任を不適切として継続的に株主提案を行い、2025年3月の株主総会では会社側の一部提案が創業家の反対で否決される波乱もあった。創業家経営に区切りをつける判断が、どこまで実を伴うかは、その後の統治のなかで問われ続けている[11]。
- 週刊東洋経済 2024年4月13日号「ニュース最前線 小林製薬「紅麹」で健康被害 “小林らしさ”はどうなる」
- 週刊東洋経済 2024年7月27日号「機能性表示食品、トクホ、サプリ 小林製薬「優等生」の躓き」
- 週刊東洋経済 2026年4月4日号「トップに直撃 小林製薬 社長 豊田賀一」
- 小林製薬「紅麹関連製品をめぐる当社対応の検証について」(2024年4月26日)
- 日本経済新聞(2024年7月23日)「小林製薬の創業家会長・社長、事実上解任 「危機意識欠如」」
- 日本経済新聞(2024年7月23日)「小林製薬の小林一雅会長・小林章浩社長辞任へ 紅麹問題で引責、後任社長に山根聡専務」
- 日本経済新聞(2025年1月21日)「小林製薬社長に豊田賀一執行役員 山根聡社長は退任」