筆者の見解
危機下の継承という始まり
この判断の核心は、親会社の破産という自らの手の及ばない外部要因と、社長の急逝という内部の空白が、わずか1カ月足らずのうちに重なった点にある。平時の事業承継であれば、後継者選定に時間をかける余地もあっただろう。しかし山九の場合、35歳という若さの中村公一氏が、負債を背負ったまま経営の舵取りを引き継がざるを得ない状況に置かれた。同族経営における継承が、選ばれた継承ではなく、迫られた継承として始まった点に、この判断の特異性がうかがえる。
その後の展開を見れば、中村公一氏は負債処理に追われるだけでなく、グループ再編と海外展開を並行して進め、1990年の岡崎工業合併で一つの区切りをつけている。危機対応と成長投資を同時に走らせた選択は、以後30年におよぶ長期政権の土台を築いただろう。創業家出身の若い社長が、守りと攻めを同時に担わされた1986年の就任は、同族経営がいかに危機に耐えうるかを試す出来事であったといえる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月