山九の決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

発注者の構内から出ないまま、請け負う工程のほうを増やしてきた。1954年11月に戦後の日本企業として初めてユーゴスラビア向けプラント輸出を一貫作業で受注し、梱包・国内輸送・通関・船積みを一社で担う形を実地で示した。1959年7月には社名を山九運輸機工へ改めて機工・建設部門へ参入し、東証二部へ上場して、大型輸送機器や高炉建設への投資を賄う調達手段を得た。1964年から始めた海外進出も単独ではなく、荷主の製鐵所や化学プラントに帯同して現地法人を設立する形をとった。1986年2月に親会社の中村汽船が負債595億円を抱えて自己破産し、35歳の中村公一氏が5代目社長に就任する。1990年10月の岡崎工業との合併で機械据付とプラント保全を厚くし、機工と物流の両輪へ組み直した。一社の構内に張りつく不利は、その構内でできる工程の種類を増やすことで薄めた。

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