山九 の歴史

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創業 1918年
創業者 中村精七郎
創業地 福岡県北九州市若松
創業
1918年10月、中村精七郎氏が福岡県門司で磯部組を買収し、山九運輸を設立した。磯部組は八幡や徳山を地盤に官営八幡製鐵所の構内荷役を請け負う会社で、社名は山陽・九州の頭文字に英語の感謝表現を掛けたものである。創業時の仕事は朝鮮半島や満州からの鉄鉱石・石炭の陸揚げと、製鐵所や海軍燃料廠の構内作業で、発注者の敷地に作業員を常駐させて労務を請け負う形が最初から定まった。製鐵所の操業が拡大すれば荷役量も人員も決まる関係にあり、1932年には八幡製鐵所運搬請負共済組合の代表役員として下請業者の統合に協力している。戦後は1949年に建設業、1950年に通運事業、1952年に貨物自動車運送へ広げた。
決断
発注者の構内から出ないまま、請け負う工程のほうを増やしてきた。1954年11月に戦後の日本企業として初めてユーゴスラビア向けプラント輸出を一貫作業で受注し、梱包・国内輸送・通関・船積みを一社で担う形を実地で示した。1959年7月には社名を山九運輸機工へ改めて機工・建設部門へ参入し、東証二部へ上場して、大型輸送機器や高炉建設への投資を賄う調達手段を得た。1964年から始めた海外進出も単独ではなく、荷主の製鐵所や化学プラントに帯同して現地法人を置く形をとった。1986年2月に親会社の中村汽船が負債595億円を抱えて自己破産し、35歳の中村公一氏が5代目社長に就任する。1990年10月の岡崎工業との合併で機械据付とプラント保全を厚くし、機工と物流の両輪へ組み直した。一社の構内に張りつく不利は、その構内でできる工程の種類を増やすことで薄めた。
現況
売上をほぼ二分する2つの事業の利益率が、3倍離れている。2026年3月期の連結売上高は6,316億円、営業利益432億円、純利益315億円である。機工事業が売上3,075億円・利益310億円で利益率10.1%、物流事業が売上2,953億円・利益98億円で3.3%にとどまり、2事業の利益合計409億円のうち76%を機工が占める。従業員は機工9,578人に対し物流1万8,131人で、人数の多い側の採算が薄い。2016年4月に社長を、2025年4月にCEOを譲る創業家6代目への段階的な承継を9年かけて進め、中村公大氏が2030年度に売上高7,000億円・営業利益率8.0%以上という長期目標を担う。製鐵所と化学プラントの保全という専門技術が参入障壁となり、利益率10.1%の機工が3.3%の物流を支えている。
競合
競争の焦点は同業ではなく、発注者が内製するか外注するかにある。機工事業が請け負う定期修理と機器据付は、製鐵所や石油化学プラントが自前で抱えるか外へ出すかを決める仕事で、価格よりも常駐の実績と技術で選ばれる。1997年3月には重量機工部門で国内企業初のISO9001認証を取得した。一方の物流事業は港湾運送や国際輸送で上組のような専業と重なり、中国景気の減速を受けて2024年3月期は計画に達しなかった。海外でも順序は同じで、日本の製鐵所や化学プラントが操業を始めた先に現地法人を置いてきた。サウジアラビアとインドで日本以外の発注者を得られるかが、帯同という進み方を続けられるかを決める。
山九:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2006年3月期2026年3月期

創業ストーリー 八幡製鐵所構内荷役から始まった「労務請負」の70年 (1918年〜)

創業者の中村精七郎氏が買収した磯部組と「サンキュー」の社名由来

1918年10月、創業者の中村精七郎氏は福岡県門司で磯部組を買収し、山九運輸株式会社を設立した[1]。中村精七郎氏は平戸藩で勘定奉行を務めた中村弥八郎の七男[2]として平戸に生まれ、12歳で北海道に移り18歳で米国へ遊学し、日清・日露の両戦争で軍事輸送に従事した後、1905年に海運業の中村組を興した。[3]買収先の磯部組は八幡や徳山など九州と山陽地方を地盤に官営八幡製鐵所の構内荷役を請け負う会社で、[4]社名は地域名の頭文字『山』『九』に、ロンドン体験で身につけた英語の感謝表現『Thank You』を掛け合わせた。[5]創業時の事業内容は朝鮮半島・満州・山東省からの鉄鉱石や石炭の陸揚げ、無煙炭輸送、官営八幡製鐵所や徳山海軍・光海軍燃料廠などの構内作業で、創業時点から特定発注者の構内で労務を請け負う形態が確立していた。

    • [1]1918年10月 中村精七郎が福岡県門司で磯部組を買収し山九運輸株式会社を設立
    • [4]磯部組は八幡・徳山など九州・山陽を地盤に官営八幡製鐵所の構内荷役を請け負う会社
    • [2]創業者は中村精七郎。平戸藩で勘定奉行を務めた中村弥八郎の七男として平戸に生まれた
    • [3]中村精七郎は1905年に海運業の中村組を興した
    • [5]社名「山九」は地域名「山陽」「九州」の頭文字に、創業者がロンドンで体験した英語の感謝表現「Thank You(サンキュー)」を掛け合わせたもの

社名に込められた『サンキュー』が示すように、創業期から発注者への感謝と帰属を経営理念の中心に据えた。八幡製鐵所は1901年に国営として操業を開始し、1934年に日本製鐵へ移管されるまで日本の鉄鋼生産の中核を担った官営工場で、[6]その構内荷役を担うこと自体が、製鐵所の操業拡大に連動して荷役量と作業員規模が決まる関係を意味した。1932年には八幡製鐵所運搬請負共済組合が設立され、山九は代表役員として下請業者統合に協力[7]する立場となった。すなわち1社の発注者の生産計画が、そのまま山九の業績と人員配置を規定する構造が、創業当初から70年近く続く労務請負業の出発点となった。

    • [6]官営八幡製鐵所は1901年に操業開始、1934年に日本製鐵へ移管
  • 山九 有価証券報告書【沿革】
    • [7]1932年 八幡製鐵所運搬請負共済組合が設立され、山九は代表役員として下請業者統合に協力
    • [1]1918年10月 中村精七郎が福岡県門司で磯部組を買収し山九運輸株式会社を設立
    • [4]磯部組は八幡・徳山など九州・山陽を地盤に官営八幡製鐵所の構内荷役を請け負う会社
    • [2]創業者は中村精七郎。平戸藩で勘定奉行を務めた中村弥八郎の七男として平戸に生まれた
    • [3]中村精七郎は1905年に海運業の中村組を興した
    • [6]官営八幡製鐵所は1901年に操業開始、1934年に日本製鐵へ移管
    • [5]社名「山九」は地域名「山陽」「九州」の頭文字に、創業者がロンドンで体験した英語の感謝表現「Thank You(サンキュー)」を掛け合わせたもの
  • 山九 有価証券報告書【沿革】
    • [7]1932年 八幡製鐵所運搬請負共済組合が設立され、山九は代表役員として下請業者統合に協力

戦中の519名戦死と戦後復興、ユーゴスラビアへのプラント輸出

1942年、創業者の中村精七郎氏から2代目の中村勇一氏に社長を譲ったが、[8]太平洋戦争下の南方派遣部隊598名のうち519名が戦死するという甚大な人的損失を被った。[9]1948年に創業者の中村精七郎氏が77歳で逝去し、同年から戦後初の陸上トラック輸送に進出[10]した。戦後復興期には新たな事業展開が続き、1949年に建設業、1950年に通運事業、1952年に貨物自動車運送と自動車運送取扱事業、1960年に倉庫業を相次いで開始した。[11]創業以来の構内荷役を本業に据えながら、戦後復興の需要に呼応して周辺領域へ事業を広げる手法を身につけた。

    • [8]1942年 創業者中村精七郎から2代目中村勇一へ社長交代
    • [9]太平洋戦争下の南方派遣部隊598名のうち519名が戦死
    • [10]1948年 創業者中村精七郎が77歳で逝去、同年から戦後初の陸上トラック輸送に進出
  • 山九 有価証券報告書【沿革】
    • [11]1949年建設業・1950年通運事業・1952年貨物自動車運送と自動車運送取扱事業・1960年倉庫業を相次いで開始

1954年、戦後の日本企業として初めてユーゴスラビア向けレーヨンビスコースのプラント輸出を一貫作業で受注し、海外プラント輸送事業の出発点[12]となった。1959年にはブラジルのウジミナス製鉄所建設に協力[13]するなど、戦後初期から海外案件にも踏み込んだ。プラント輸送は重量物の据付・運搬・通関を一括して請け負う領域で、製鐵所構内で培った重量物ハンドリングの技術が国内外で評価された。すなわち戦後の山九は単純な労務請負から、機械据付と物流を一体で提供する『機工』領域へ業容を拡張する基礎を、1950年代のうちに固めた。

  • 山九 有価証券報告書【沿革】
    • [12]1954年 戦後の日本企業として初めてユーゴスラビア向けプラント輸出を一貫作業で受注(海外プラント輸送事業の出発点)
    • [13]1959年 ブラジルのウジミナス製鉄所建設に協力
    • [8]1942年 創業者中村精七郎から2代目中村勇一へ社長交代
    • [9]太平洋戦争下の南方派遣部隊598名のうち519名が戦死
    • [10]1948年 創業者中村精七郎が77歳で逝去、同年から戦後初の陸上トラック輸送に進出
    • [13]1959年 ブラジルのウジミナス製鉄所建設に協力
  • 山九 有価証券報告書【沿革】
    • [11]1949年建設業・1950年通運事業・1952年貨物自動車運送と自動車運送取扱事業・1960年倉庫業を相次いで開始
    • [12]1954年 戦後の日本企業として初めてユーゴスラビア向けプラント輸出を一貫作業で受注(海外プラント輸送事業の出発点)

山九運輸機工への社名変更と「技術とシステムの山九」の構築

1959年、2代目の中村勇一氏が45歳で急逝し、3代目に中村健治氏が就任した[14]。同年7月に社名を『山九運輸機工株式会社』へ改称し[15]、製鉄機械・石油化学装置の据付など機工・建設部門への進出を宣言した。山九運輸機工の名称は、運輸と機工の両輪をバランスよく発展させる経営方針を対外的に示すもので、創業以来の構内荷役・港湾運送と、戦後広げた重量物据付・プラント輸送を統合した事業構造を社名に書き込んだ。1962年3月には東京証券取引所市場第二部に上場し、5月に福岡証券取引所、1966年8月に東京証券取引所市場第一部へ指定替えとなり、[16]社会的信用力と資本市場からの調達手段を手にした。

    • [14]1959年 2代目中村勇一が45歳で急逝、3代目に中村健治が就任
  • 山九 有価証券報告書【沿革】
    • [15]1959年7月 社名を「山九運輸機工株式会社」へ改称(機工・建設部門へ進出)
    • [16]1962年3月 東証市場第二部上場、5月 福岡証券取引所上場、1966年8月 東証市場第一部へ指定替え

上場後の山九運輸機工は、構内荷役を母体とする鉄鋼物流と、機工・建設・プラント輸送を結合した独自の事業構造を磨いた。1969年に国際航空貨物代理店の認可を取得し、[17]1970年に通関業を開始するなど、物流側も総合化を進めた。[18]1974年には大河内記念生産特賞を受賞し、『技術とシステムの山九』[引用元]というコンセプト[19]が定まった。製鐵所構内荷役という労務請負の基盤の上に、機工と物流を二本柱として組み立てる経営戦略は、後の海外進出と多角化M&Aの土台となった。創業時点では官営八幡製鐵所1社の構内作業会社だった会社が、機工と物流の両輪を持つ総合事業体へ転換を準備したのが、この第1期の到達点となった。

  • 山九 有価証券報告書【沿革】
    • [17]1969年 国際航空貨物代理店の認可を取得
    • [18]1970年 通関業を開始
    • [19]1974年 大河内記念生産特賞を受賞、「技術とシステムの山九」のコンセプトが定まった
    • [14]1959年 2代目中村勇一が45歳で急逝、3代目に中村健治が就任
    • [19]1974年 大河内記念生産特賞を受賞、「技術とシステムの山九」のコンセプトが定まった
  • 山九 有価証券報告書【沿革】
    • [15]1959年7月 社名を「山九運輸機工株式会社」へ改称(機工・建設部門へ進出)
    • [16]1962年3月 東証市場第二部上場、5月 福岡証券取引所上場、1966年8月 東証市場第一部へ指定替え
    • [17]1969年 国際航空貨物代理店の認可を取得
    • [18]1970年 通関業を開始

マレーシア・シンガポール・ブラジル ── 製鐵所追随のグローバル展開

1964年4月、マレーシアに現地事務所を開設し海外建設工事へ進出[20]した。これは日本の重化学工業のアジア進出に追随する動きで、東南アジアの製鐵所・石油化学プラント建設に伴う重量物据付と構内物流が需要の源泉となった。1971年11月にシンガポールに現地法人Sankyu[21] Singaporeを設立し、1972年1月にブラジルにSankyu S/A、1973年8月に香港、1974年6月にインドネシア、1979年5月にマレーシアに相次いで現地法人を立ち上げた。1979年8月には中国・宝山製鉄所向け製鉄プラント輸出業務を開始し、総量160万立方メートル[22]の案件を担った。日本の鉄鋼・化学メーカーが海外拠点を整備する際、構内物流とプラント据付を一括で請け負える日本企業として、山九が選好される構造ができ上がった。

  • 山九 有価証券報告書【沿革】
    • [20]1964年4月 マレーシアに現地事務所を開設し海外建設工事へ進出
    • [21]1971年11月 シンガポール現地法人Sankyu Singapore、1972年1月 ブラジルSankyu S/A、1973年8月 香港、1974年6月 インドネシア、1979年5月 マレーシアに現地法人を相次いで設立
    • [22]1979年8月 中国・宝山製鉄所向け製鉄プラント輸出業務を開始、総量160万立方メートル

海外現地法人網は1980年代に入っても拡張を続け、1984年に米国法人、1988年にタイ法人を設立した。[23]海外展開の特徴は単独進出ではなく、既存の主要荷主である日本の製鐵所・化学プラントに帯同する形をとった点にある。発注者である日本のメーカーが海外で操業を開始すれば、その構内荷役と保全を山九が引き受けるという、国内で積み上げた発注者との長期関係をそのまま海外へ持ち込む構造だった。1980年10月には経営の多角化を社名で示すため、社名から『運輸機工』を外し『山九株式会社』に統一した[24]。社名統一は構内荷役・運輸・機工の3本柱のうち、特定領域を強調しない総合化への意思表示だった。

  • 山九 有価証券報告書【沿革】
    • [23]1984年 米国法人、1988年 タイ法人を設立
    • [24]1980年10月 社名から「運輸機工」を外し「山九株式会社」に統一
  • 山九 有価証券報告書【沿革】
    • [20]1964年4月 マレーシアに現地事務所を開設し海外建設工事へ進出
    • [21]1971年11月 シンガポール現地法人Sankyu Singapore、1972年1月 ブラジルSankyu S/A、1973年8月 香港、1974年6月 インドネシア、1979年5月 マレーシアに現地法人を相次いで設立
    • [22]1979年8月 中国・宝山製鉄所向け製鉄プラント輸出業務を開始、総量160万立方メートル
    • [23]1984年 米国法人、1988年 タイ法人を設立
    • [24]1980年10月 社名から「運輸機工」を外し「山九株式会社」に統一

1986年2月の中村汽船倒産と中村公一氏35歳の社長就任

1986年2月25日、創業者・中村精七郎氏が1905年に興した親会社である中村汽船が海運不況に見舞われ自己破産した[25]。負債総額は595億円で[26]、当時の山九の年商を上回る規模だった。中村汽船は山九の親会社として資本面・人事面の中枢を握ってきた存在で、その倒産は山九の経営基盤を直撃した。同年3月24日、追い打ちをかけるように4代目の中村公三社長が67歳で急逝し、創業家から中村公三氏の長男である中村公一氏が当時35歳で5代目社長に就任した[27]。親会社の倒産と社長急逝という二重の危機が同時に到来し、市場関係者からはこれ以上の経営継続は困難との見方も出た。

    • [25]1986年2月25日 親会社の中村汽船が自己破産(海運不況)
    • [26]中村汽船の負債総額は595億円
    • [27]1986年3月24日 4代目中村公三社長が67歳で急逝、創業家から中村公三の長男中村公一が35歳で5代目社長に就任

中村公一氏は親会社の負債を背負う形で再建に着手し、まず岡崎工業との合併によるグループ統合を構想した[28]。並行して中国・東南アジアの現地法人を相次いで増設し、海外売上で国内の厳しさを補う方針を取った。1980年代後半は鉄鋼業の構造調整期にあたり、新日本製鐵をはじめとする主要荷主が合理化を進めるなかで、構内荷役の作業量見直しが避けられない情勢だった。山九は親会社の倒産による資本上の独立と、本業である鉄鋼物流の縮小圧力という二つの危機を同時に抱え、二重の難題に直面した。30代の若き5代目社長が背負った経営課題は、創業以来70年で最も重い水準にあった。

  • 山九 有価証券報告書【沿革】
    • [28]岡崎工業との合併によるグループ統合を構想(合併は1990年に実現)
    • [25]1986年2月25日 親会社の中村汽船が自己破産(海運不況)
    • [26]中村汽船の負債総額は595億円
    • [27]1986年3月24日 4代目中村公三社長が67歳で急逝、創業家から中村公三の長男中村公一が35歳で5代目社長に就任
  • 山九 有価証券報告書【沿革】
    • [28]岡崎工業との合併によるグループ統合を構想(合併は1990年に実現)

連結子会社網の構築と1990年岡崎工業合併への布石

中村公一氏が社長に就任した1986年から1989年までの3年間は、危機対応のなかで次の経営構造の準備期となった。1985年5月にスリーエス・ニッポン運輸へ資本参加し、6月に社名[29]を『スリーエス・サンキュウ』に変更して連結子会社化したのを皮切りに、グループ会社の再編と統合を進めた。海外展開はむしろこの危機期に加速し、1988年2月にはタイにSankyu Logistics & Engineering Services(後のSankyu-Thai)を設立した。[30]タイは日系自動車・電機メーカーが進出を本格化する時期で、構内物流と保全の海外需要が継続的に伸びることが見込まれた。

  • 山九 有価証券報告書【沿革】
    • [29]1985年5月 スリーエス・ニッポン運輸へ資本参加し(6月に)社名を「スリーエス・サンキュウ」に変更して連結子会社化
    • [30]1988年2月 タイにSankyu Logistics & Engineering Services(後のSankyu-Thai)を設立

国内では鉄鋼・化学プラントのメンテナンス需要が定期修理(シャットダウン保全)の形で安定的に発生し、製鐵所構内荷役を補完する収益源として育った。中村汽船倒産後の3年間で山九は、本業の鉄鋼構内物流から派生した保全・据付・プラント輸送・倉庫の各事業を、グループ法人として配置し直す作業を進めた。1990年の岡崎工業合併はこの再編作業の完了であり、『新山九』の体制[31]が整った。創業期の労務請負業から70年を経て、親会社の倒産という資本独立の試練を抜けたところで、機工と物流の両輪を持つ総合産業インフラ請負業へ転換する次の段階に入る準備が整った。中村汽船負債の処理を進めながら本業の構造転換を同時実行した3年間が、第2期から第3期への結節点となった。

  • 山九 有価証券報告書【沿革】
    • [31]1990年 岡崎工業合併で「新山九」体制が整った
  • 山九 有価証券報告書【沿革】
    • [29]1985年5月 スリーエス・ニッポン運輸へ資本参加し(6月に)社名を「スリーエス・サンキュウ」に変更して連結子会社化
    • [30]1988年2月 タイにSankyu Logistics & Engineering Services(後のSankyu-Thai)を設立
    • [31]1990年 岡崎工業合併で「新山九」体制が整った

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山九の沿革1932〜2025年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1918〜1959年八幡製鐵所構内荷役から始まった「労務請負」の70年八幡製鐵所運搬請負共済組合設立に協力
建設業を開始
通運事業に参入
貨物自動車運送事業・自動車運送取扱事業に参入
戦後日本企業初のユーゴスラビア向けプラント輸出を一貫作業で受注

1954年11月、山九(当時・山九運輸株式会社)が、戦後の日本企業として初めてユーゴスラビア向けレーヨンビスコースプラントの輸出案件を、梱包から通関・船積みまでの一貫作業で受注した経営判断。中村勇一社長のもとで、製鐵所構内荷役の技術を海外プラント輸出という新領域へ転用する試みであった。

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★★★
社名を「山九運輸機工」へ改め機工・建設部門へ進出、東証二部・一部上場で資本市場からの調達手段を確保

1959年、2代目社長の中村勇一氏が45歳で急逝したのを受けて3代目社長に就任した中村健治氏は、同年7月に社名を『山九運輸機工株式会社』へ改め、製鉄機械・石油化学装置の据付を軸とする機工・建設部門への進出を宣言した。1962年3月に東京証券取引所市場第二部(5月に福岡証券取引所)へ上場し、1966年8月には東京証券取引所市場第一部へ指定替えとなった。

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★★★
機工・建設部門に参入★★
1960〜1989年海外進出と1986年中村汽船倒産 ── 親会社負債595億円を背負う独立倉庫業を開始
東京証券取引所市場第二部に上場(5月に福岡証券取引所にも上場)
現地事務所を開設
海外建設工事に参入★★
国際航空貨物代理店業を開始
通関業を開始
Sankyu (Singapore) Pte. Ltd. を設立
世界最初の大形自動整理ヤードを建設
内航海運業を開始
中国・宝山製鉄所向け製鉄プラント輸出業務を開始★★
山九に商号変更
親会社の中村汽船が自己破産★★
中村公一親会社・中村汽船の倒産と35歳・中村公一氏の社長就任

1986年2月25日、山九の親会社である中村汽船が海運不況により自己破産し、負債総額は595億円にのぼった。追い打ちをかけるように3月24日、4代目の中村公三社長が67歳で急逝し、創業家から中村公三氏の長男である中村公一氏が当時35歳で5代目社長に就任した経営判断である。

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★★★
中村公一中村公一氏が社長に就任★★
中村公一Sankyu-Thai Co., Ltd. を設立
1990〜2025年機工+物流の両輪型と海外現地法人網による産業インフラ請負業中村公一岡﨑工業と合併★★
中村公一国際航空貨物単独混載事業に参入
中村公一内航コンテナサービス事業に参入
中村公一本社事務所を勝どきへ移転
中村公一執行役員制度を導入
中村公一新物流情報システム(SANKYU-LINCS・EDI-SANCS)を稼動
中村公一西濃運輸と業務提携
中村公一郵政事業庁と業務提携
中村公一グリーン物流パートナーシップモデル事業に参入
中村公一山九プラント工業とサンキュウエンジニアリングが合併し山九プラントテクノとして発足
中村公一日本工業検査の全株式を取得
中村公一中国・青島捷順利達物流有限公司を設立
中村公一C.H. Robinson Worldwide Inc.と業務提携
中村公一Sankyu Mexico S.A. de C.V.(山九メキシコ)を設立
中村公大創業家6代にわたる同族承継——中村公一氏から中村公大氏への社長交代とCEO交代

山九は2016年1月28日、中村公一社長(当時、5代目)が代表取締役会長に退き、長男である中村公大専務が代表取締役社長COOに昇任する人事を発表し、同年4月1日付で実施した。さらに2025年2月27日、会長CEOとなっていた公一氏が代表権のない会長兼取締役会議長に退き、公大氏が社長CEOに昇格する人事を発表、同年4月1日付で実施した。創業家による6代・約100年にわたる同族承継の最終段階である。

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★★★
中村公大山九テクニカルアカデミーをマレーシアに開設
中村公大山陽工業の全株式を取得
中村公大中村公一氏が代表権のない会長に就任
出典・参考

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