この創業の核心は、資金も信用も乏しい学生が、大学の研究室で培った技術を頼りに自前の企業を立ち上げた点にある。設備と言えば間口3間半の借家であり、主力事業も電解コンデンサからpHメータへと二転した。それでも国産初のガラス電極pHメータという確かな技術が、京都財界の重鎮を保証人として引き寄せた。技術を核にした新興企業を、地場の資本と人脈が支える構図が、法人化の時点で既に形をとっていたと推察される。
出資と銀行保証を引き受けた3氏を、堀場雅夫氏はのちにベンチャーキャピタルの先駆と呼んだ。みずからが受けた支援を、雅夫氏は晩年、京都でのベンチャー育成を通じて次の世代へ返そうとした。大学の知を事業へ橋渡しし、地域の資本がそれを支える営みは、今日の大学発スタートアップが向き合う課題と重なる。半世紀以上前の京都で、その原型がどのように成立したのかを、この創業はよく示している。