TKC会計事務所共同の計算センター構想によるTKC創業

時期 1966年10月
意思決定者(推定) 飯塚毅 栃木県計算センター 社長
論点 創業と事業目的の設定
概要
1966年10月、栃木県鹿沼で会計事務所を営んでいた公認会計士・税理士の飯塚毅氏が、宇都宮市に株式会社栃木県計算センター(後のTKC)を設立した。会計事務所の職域防衛と地方公共団体の行政効率向上という二つの事業目的を定款に明記した創業判断であった。
背景
飯塚氏は1962年にニューヨークで開かれた世界会計士会議に日本代表として出席し、欧米の会計事務所を調査してコンピューター利用の必要を痛感した。同じ時期、顧問先への更正決定に端を発する国税当局との係争(飯塚事件)が始まり、会計事務所の独立性そのものが揺らいでいた。
内容
高価なコンピューターを個々の事務所が持てない以上、共同で使う受け皿を会社として立てるという設計であった。
含意
顧客である税理士・公認会計士を会員として組織する『TKC全国会』が1971年に結成され、会社と会員団体が事業目的を共有する構造ができた。創業時の二本柱は、その後半世紀にわたりTKCの事業領域を規定した。
筆者の見解

守るために作った会社という出発点

この創業判断の特徴は、新しい市場を取りに行く攻めの起業というより、自分と同業者の仕事を守るために会社を立てた点にあるとみることができる。飯塚毅氏は当局との係争の渦中で、会計事務所という職業の足場がいかに脆いかを身をもって知った。そこへ欧米で見た電算化の波が重なり、手作業のままでは職業ごと押し流されるという見通しが生まれた。定款の第1号に『職域防衛』という言葉が置かれたのは、その二つの経験が同じ結論を指していたためであろう。

もっとも、守りから始めた会社が半世紀にわたり伸び続けたことは、当初から見通せたわけではない。共同利用という設計は顧客の数が揃わなければ赤字を招き、実際に創業初期は損失が積み上がった。会員組織を作って顧客を事業の内側に引き入れる仕組みが機能して初めて、二つに絞った顧客層は狭さではなく深さに転じた。事業領域を最初に狭く定義することが強みになるのか制約になるのかという問いは、後の多角化をめぐる判断や社長交代の場面で、繰り返しこの会社に差し戻されていく。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

出典・参考
  • TKC公式「創業の経緯と経営の基本方針」(https://www.tkc.jp/company/founder/)
  • TKC公式「沿革」(https://www.tkc.jp/company/history/)
  • 日経ビジネス 1992年4月20日号
  • 証券アナリストジャーナル 1987年8月号(飯塚真玄 講演要旨)
  • TKC 有価証券報告書【沿革】

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