ZOZOZOZO創業——輸入CD通販の家業から受託販売のファッションECモールへ
バンド活動を続ける22歳・前澤友作 氏は、カナダ留学帰りの輸入CD通販をどうファッションECモールへ育てたか
- 概要
- 1998年5月、22歳の前澤友作 氏が、パンクバンド Switch Style の活動を続けながら、出資金300万円で有限会社スタート・トゥデイを千葉県習志野市に設立した。カナダ留学中に集めた輸入CD・レコードを音楽誌広告で売る紙カタログ通販を家業として法人化したもので、2000年のEC化と2004年12月のファッション特化型ECモール「ZOZOTOWN」開設を経て、2007年12月に東京証券取引所マザーズ市場へ上場した。
- 背景
- 前澤 氏は早稲田実業学校高等部の在学中にパンクバンド Switch Style を結成し、高校卒業後は大学進学を選ばずカナダへ約半年間の語学留学に出た。帰国後、現地で集めた輸入CD・レコードを音楽誌「DOLL」「宝島」への小広告で売る通信販売を始め、実家の電話とファックスで受注する家業が口コミで広がって、月商は500万円規模に達していた。
- 内容
- 1998年5月、前澤 氏は出資金300万円で有限会社スタート・トゥデイを設立し、輸入CD・レコードの通信販売を事業目的に掲げた。2000年1月にECサイト「STMonline」で完全にEC化し、同年4月には株式会社へ組織を改め、10月にはアパレルセレクトショップEC「EPROZE」を立ち上げて在庫を自ら抱える買取型でファッション領域へ参入した。2001年に前澤 氏はバンド活動を終え、経営に専念する体制へ移った。
- 含意
- 2004年12月、既存の17オンラインブランドを単一ドメインの「ZOZOTOWN」へ集約し、出店ブランドの商品を預かって販売手数料を得る受託販売型へ転じた。2005年のユナイテッドアローズ出店に有力セレクトショップが続き、2006年8月には物流拠点 ZOZOBASE を稼働させ、入荷から撮影・掲載・出荷までを社内で標準化した仕組みが、後のファッションECモールの競争優位を支える基盤となった。
趣味の延長から始めた者が編集権を握るまで
この創業が示すのは、周到な事業計画からではなく、好きな音楽を売る趣味の延長から起こされた事業が、業態を何度も組み替えながら育っていった経緯である。輸入CDの紙カタログ通販から、CD の EC 化、買取型のアパレルEC、そして単一ドメインのファッションモールへと、前澤 氏は扱う商材と事業モデルを段階的に置き換えていった。固定した青写真を追うのではなく、そのつどの市場の反応に合わせて形を変えていった柔らかさが、初期の成長を支えていたとみられる。
もう一つ見えてくるのは、2004年のファッションモール化で運営側が握った雑誌のような編集権と受託販売の仕組みが、その後の ZOZO の性格を決めていったことである。出店ブランドの体験を守りながら販売以外の作業を肩代わりする提供価値は、ユナイテッドアローズをはじめとする有力店の参画によって業界の信用を得ていった。趣味から出発した個人の事業が、編集と物流を握るプラットフォームの運営会社へと転じたこの初期十数年の積み重ねが、後の成長を支える土台になっていったといえる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
バンド活動の傍らで始めた輸入CD通販
前澤友作 氏は1975年に千葉県鎌ヶ谷市で生まれ、早稲田実業学校高等部に在学していた1990年代前半に、同級生らとパンクバンド Switch Style を結成した[1]。高校卒業後は大学進学を選ばず、音楽活動を最優先に置いてカナダへ約半年間の語学留学に出ている[2]。帰国後は現地で買い集めた輸入CD・レコードを個人で売買し、バンド活動を生活の主軸に据えたまま、好きな音楽を仕事の周辺に置く形で少しずつ収入を得ていった。定職に就かない選択が、後の家業へとつながっていった。
バンド活動を続けながら、前澤 氏は音楽誌「DOLL」や「宝島」に小さな広告を出し、輸入CD・レコードの通信販売の注文を集めた。受注は実家の電話とファックスで受け、現金書留での入金を確認してから商品を発送する紙カタログ通販で、華やかな仕組みではなかった[3]。友人からの購入依頼が口コミで広がるにつれ注文は増え、月商は500万円規模に達している[4]。個人の趣味の延長で始めた売買が、家族を巻き込む家業の規模へと育っていった。
決断
出資金300万円で立てた「スタート・トゥデイ」
1998年5月、22歳の前澤 氏は出資金300万円で有限会社スタート・トゥデイを千葉県習志野市に設立し、輸入CD・レコードの通信販売を事業目的に掲げて家業を法人化した[5]。有価証券報告書の沿革は、この設立を「輸入CD・レコードの通信販売を目的に㈲スタート・トゥデイを設立」と記している[6]。前澤 氏は後年、この起業について「好きなものを多くの人に届けることが基本動機。起業は計画的ではなく自然な流れ」(ベンチャー通信 2010/12)と振り返り、周到な事業計画ではなく趣味の延長から出発した経緯を語っている[7]。
設立から間もない時期は紙カタログ通販が中心だったが、前澤 氏はインターネットへの移行を急いだ。2000年1月にCD・レコードを扱うECサイト「STMonline」を開設して完全なEC化へ進み、同年4月には有限会社から株式会社スタートトゥデイへ組織を改めて対外的な信用を整えた[8]。さらに同年10月、アパレル商材を扱うセレクトショップEC「EPROZE」を立ち上げ、複数の店舗の商品を自ら買い取って在庫として持つ買取型で、音楽からファッションへと扱う領域を広げていった[9]。
17ブランドを「ZOZOTOWN」へ集約し受託販売へ転じる
2001年1月、スタートトゥデイは本社を千葉市美浜区のワールド・ビジネス・ガーデンへ移し、EC化後の事業規模の拡大に備えた[10]。同じ年に前澤 氏はバンド Switch Style の活動を終え、経営に専念する体制へ切り替えている[11]。買取型のセレクトショップECは扱うブランドごとに個別のサイトを運営する形で広がっていたが、在庫を自社で抱える負担と、17に増えたオンラインブランドを別々に運営する非効率が重くのしかかっていた[12]。前澤 氏はこの体制を一つのサイトへまとめ直す判断へ向かった。
2004年12月、スタートトゥデイは既存の17オンラインブランドの運営を打ち切り、複数のセレクトショップが一つのドメインに同居するファッション特化型ECモール「ZOZOTOWN」を開設した[13]。出店者が自由にページを作る方式ではなく、サイト全体のデザインやブランドの並び順、撮影のトーンを運営側で統一管理する雑誌のような編集の設計を初めから採っている[14]。同時に、在庫を自社で抱える買取型から、出店ブランドの商品を預かって販売手数料を得る受託販売型へと事業モデルを転じた[15]。前澤 氏は後年、この時期の判断を「経営は音楽よりもクリエイティブだ」(ベンチャー通信 2010/12)と語っている[16]。
結果
ユナイテッドアローズの出店が開いた受託販売モデル
受託販売への転換は、有力なセレクトショップが出店に応じるかどうかにかかっていた。当時のセレクトショップ業界には、実店舗のブランド体験が損なわれることや、価格訴求のモールと同列に扱われることへの警戒が強く、有力店は第三者のモールへの出店に慎重だった[17]。こうしたなかで2005年、業界トップ格のユナイテッドアローズが ZOZOTOWN への出店を決めている[18]。この取引は前澤 氏と同社社長・重松理 氏らトップ同士の直接の対話でまとまり、業界の先頭を走る店の参画が、他店への信用の裏づけとして働いた[19]。
ユナイテッドアローズに続き、BEAMS や SHIPS といった有力なセレクトショップが相次いで ZOZOTOWN へ出店し、出店ブランドの網は急速に広がっていった[20]。運営側が雑誌のような編集権を握ったまま取扱ブランドを増やす形が定着し、受託販売のモデルはファッションECの一つの型として業界に受け入れられていった[21]。在庫リスクを負わずに取扱ブランド数を伸ばせる仕組みが、少ない自己資本で事業を拡大する経営を支えていた。
物流の内製とマザーズ上場
受託販売のモデルは、出店ブランドから預かった商品を運営側が扱う仕組みを必要とした。2006年8月、スタートトゥデイは千葉県習志野市にプロロジスから賃借する物流拠点 ZOZOBASE を稼働させ、入庫した商品の検品から撮影、採寸、データ入力、サイト掲載までを社内で完結させる体制を整えた[22]。ZOZOBASE では入荷後最短1日で撮影と採寸、掲載を終え、注文後は最短3時間で出荷する運用を組み、出店ブランドに販売以外の作業を任せられるという提供価値を形にしている[23]。
物流の内製化は、後の ZOZO の競争優位を支える中核として長く働いた[24]。撮影や採寸というEC固有の作業ノウハウを持たないアパレル各社に対し、標準化された仕組みで販売以外の業務を引き受ける形が、出店ブランドをつなぎ留める提供価値となった。この事業基盤の上で、スタートトゥデイは2007年12月、設立から9年目で東京証券取引所マザーズ市場へ株式を上場した[25]。習志野市の実家で電話とファックスから始めた輸入CD通販は、物流を抱えるファッションECモールの運営会社へと姿を変え、2012年2月には東証一部への指定替えに至っている[26]。
- 有価証券報告書(沿革)
- ベンチャー通信 2010/12
- Business Insider Japan 2020/11