大塚實氏の経営は長年の経験と勘が生んだ路線で、1975年の製品切り替えも1981年のパソコン参入も、社内の反発を押し切った社長個人の判断で決まっていた。対して大塚裕司氏が入社後に手をかけたのは社内情報システムであり、就任と同時に始めたSPRは、誰に何を提案するかを数字で決める仕組みである。父が築いた営業力を、担い手が代わっても回る形へ置き直した承継であっただろう。
もっとも、その置き直しが交代の年に実を結んだわけではない。2001年12月期は減収で当期純利益も減り、連結売上高が1兆円を超えるのは23年後になる。後継指名が公になった1994年から交代まで7年を要したことにも、渡す側の踏ん切りの重さがうかがえる。そして、仕組みで回る会社を設立した大塚裕司社長が2025年に残る課題として挙げたのは、次の経営者の育成であった。承継という問題の手強さは、二代目にもそのまま残ったといえる。