大塚商会 の歴史

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創業 1961年
創業者 大塚實
創業地 東京都千代田区
創業
1961年7月、大塚實氏が東京都千代田区で複写機とサプライ商品の販売を目的に大塚商会を創業した。同年12月には法人組織に改め、株式会社大塚商会を設立している。大塚氏は理研光学工業を退社したのち、みずから設立した理研紙工業と資金を投じたルミナ閃光電球を相次いで失い、複写機用品を扱う山本商会に勤めたうえで、38歳の三度目の商売として起こした。元手は退職金と生命保険の解約分など約30万円である。資金力のある大企業は先行する商社が押さえていたため、1社あたりの取引が小さく回収に手間のかかる中小企業を顧客に選び、機器を納めたあとにトナーと用紙を届ける接点を持った。1970年8月には電算機事業を始めている。
決断
売上と社員数が同じ速さで伸びる会社を、途中でやめた。1993年、創業者の長男で取締役経営企画室長の大塚裕司氏が経営刷新構想『大戦略』をまとめた。バブル崩壊で人を採っても売上が伸びず、借入金は年商の約半分の868億円へ膨らんでいた。支店ごとに分かれていた顧客情報を営業から経理、サポートまで一元化し、基幹系と情報系をPC-LAN上でつないだ。単体売上高は1993年の2,024億円から2001年の3,036億円へ5割増えた一方、社員数は5,451人から6,251人へ15%の増加にとどまった。2000年7月に東証一部へ上場し、2001年8月には大塚實氏が会長となり、大塚裕司氏が社長に就任した。借入金への危機感から始めた情報の一元化が、人数を増やさずに売上を拡大させ、次の代が数字で提案先を決める営業へ進む条件を残した。
現況
売上の3割は、納めたあとに毎年入ってくる。2025年12月期の連結売上高は1兆3,227億円で、内訳はシステムインテグレーション事業が9,029億円・セグメント利益735億円、サービス&サポート事業が4,198億円・294億円である。後者は1990年4月に始めた会員制サポートを源とする『たよれーる』と、1999年2月に始めた会員制通信販売『たのめーる』からなり、保守契約と消耗品の定期発注が毎年の収入として積み上がる。連結営業利益は899億円、営業利益率は6.8%だった。従業員は1万79人、平均勤続年数17.6年、平均年収1,027万円である。一回の納品で終わる機器の商いに保守と消耗品の反復発注を重ねたことが、設備投資の波が引くたびに売上が沈む体質を薄めた。
競合
29万社の取引先のうち、3分の2はまだ一つの商材しか買っていない。大塚商会は自社ブランドの製品をほとんど持たず、複写機からPC、サーバ、回線、文具までを同じ営業が扱う。事務用品の通販では、電話とファクスの受注をインターネットへ広げたアスクルが同じ中小企業を相手にしている。システムインテグレーション事業の売上は2015年12月期の3,531億円から2025年12月期の9,029億円へ2.6倍になり、連結構成比は58%から68%へ上がった。新たな取引先を増やすより、すでに取引のある29万社へもう一つ売るほうが伸びしろが大きくなったことが、1993年に一元化した顧客データを7種類のAIで解析して次の商材を割り出す営業を生んだ。
大塚商会:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2005年12月期2025年12月期

創業ストーリー 複写機商社からの脱皮──業務用パッケージ「SMILE」誕生まで (1961年〜)

大塚實氏が東京・千代田区で創業し、複写機商社から自社開発ソフトへ

1961年7月、大塚實氏が複写機及びサプライ商品の販売を目的として[1]、東京都千代田区に大塚商会を創業した。同年12月に法人組織として株式会社大塚商会を設立し[2]、複写機・印刷機・サプライ用品といったオフィス機器商社の事業構造で出発した。1962年12月、都内拠点展開の第1号店として東京都品川区に大森支店を開設[3]、1965年3月に大阪市大淀区(現北区)に大阪支店を開設して二大都市での営業基盤を整えた。[4]1968年7月、東京都千代田区に本社ビルが竣工し、本店所在地を移転[5]した。

  • 有価証券報告書
    • [1]1961年7月 大塚實氏が複写機及びサプライ商品の販売を目的に東京都千代田区に大塚商会を創業
    • [2]1961年12月 法人組織に改め株式会社大塚商会を設立
    • [3]1962年12月 都内拠点展開の第1号店として東京都品川区に大森支店を開設
    • [4]1965年3月 大阪市大淀区(現北区)に大阪支店を開設
    • [5]1968年7月 東京都千代田区に本社ビル竣工、本店所在地を移転

1970年8月、電算機事業を開始[6]した。これは複写機・印刷機を中心とするオフィス機器商社から、コンピュータ商社への業態転換の出発点となった。1979年10月、自社開発の業務用パッケージソフト[7]『SMILE』の販売を開始した。SMILE シリーズは中小企業向けの会計・販売管理・給与計算等のパッケージソフトで[8]、当時の業界では商社が販売する完成品ソフトは少なく、同社が自社開発に乗り出した点は業態転換上の節目だった。後に1984年7月設立の大塚システムエンジニアリング株式会社(現株式会社OSK)が SMILE の開発・保守機能を担い[9]、ハード商社からソフト+ハードのトータルベンダーへの転換を行った。

  • 有価証券報告書
    • [6]1970年8月 電算機事業を開始
    • [7]1979年10月 自社開発の業務用パッケージソフト「SMILE」販売開始
    • [8]SMILEは中小企業向けの会計・販売管理・給与計算等のパッケージソフト
    • [9]1984年7月 大塚システムエンジニアリング株式会社(現株式会社OSK)を設立

1981年7月、パソコン及びワープロ専用機の販売を開始[10]した。1980年代の日本のPC市場黎明期から商材として PC を扱い、1982年5月には『OAセンター』の地区展開及び教育ビジネスを開始した。[11]OA センターはオフィスオートメーション機器を地域単位で実機展示・教育付きで販売する仕組みで、PC・複写機・ワープロを『業務改善ツール』として位置付ける提案型の販売手法を採用した。1984年2月の CAD システム事業開始[12]、1985年2月のホテル事業開始[13]、1987年7月のネットワーク事業開始[14]など、80年代後半までに事業領域はオフィス機器全般、業務ソフト、CAD、ネットワーク、ホテルへと多角化した。1990年4月、企業向け会員制サポート『トータルαサービス[15]』(現『たよれーる』保守サービス)を開始。後にストック型サブスクリプション収益の柱となる『たよれーる』の原型が立ち上がった。

  • 有価証券報告書
    • [10]1981年7月 パソコン及びワープロ専用機の販売を開始
    • [11]1982年5月 「OAセンター」の地区展開及び教育ビジネスを開始
    • [12]1984年2月 CADシステム事業を開始
    • [13]1985年2月 ホテル事業を開始
    • [14]1987年7月 ネットワーク事業を開始
    • [15]1990年4月 企業向けの会員制サポート「トータルαサービス」(現たよれーる保守サービス)を開始
  • 有価証券報告書
    • [1]1961年7月 大塚實氏が複写機及びサプライ商品の販売を目的に東京都千代田区に大塚商会を創業
    • [2]1961年12月 法人組織に改め株式会社大塚商会を設立
    • [3]1962年12月 都内拠点展開の第1号店として東京都品川区に大森支店を開設
    • [4]1965年3月 大阪市大淀区(現北区)に大阪支店を開設
    • [5]1968年7月 東京都千代田区に本社ビル竣工、本店所在地を移転
    • [6]1970年8月 電算機事業を開始
    • [7]1979年10月 自社開発の業務用パッケージソフト「SMILE」販売開始
    • [8]SMILEは中小企業向けの会計・販売管理・給与計算等のパッケージソフト
    • [9]1984年7月 大塚システムエンジニアリング株式会社(現株式会社OSK)を設立
    • [10]1981年7月 パソコン及びワープロ専用機の販売を開始
    • [11]1982年5月 「OAセンター」の地区展開及び教育ビジネスを開始
    • [12]1984年2月 CADシステム事業を開始
    • [13]1985年2月 ホテル事業を開始
    • [14]1987年7月 ネットワーク事業を開始
    • [15]1990年4月 企業向けの会員制サポート「トータルαサービス」(現たよれーる保守サービス)を開始

中小企業を面で押さえる、新聞配達店並みの密度の支店網

創業者の大塚實氏は1922年10月、栃木県益子町の焼き物屋の家に生まれた。真岡中学を経て中央大学に進学し、1943年の学徒出陣でビルマ戦線に送られ、九死に一生を得て1947年に復員した。[16]郷里で紹介された理研光学工業(現リコー)の創業社長・市村清氏に一目惚れして入社し[17]、トップセールスとして頭角を現したが、市村体制への反発から社長排斥運動を主導し、闘争に敗れてリコーを去った。その後設立した理研紙工業、続いて資金を投じたルミナ閃光電球もいずれも大手メーカーの参入で倒産し、複写機用品販売会社・山本商会に勤務した後、[18]生命保険を解約した30万円を元手に、1961年7月、38歳で大塚商会を創業した。

  • 日経ビジネス 1989年12月4日号(543号)
    • [16]大塚實氏は1922年10月栃木県益子町生まれ、真岡中学卒業後の受験失敗を経て中央大学進学、1943年学徒出陣でビルマ戦線に送られ1947年復員
    • [17]復員後、理研光学工業(現リコー)に入社し創業社長・市村清氏への退陣要求運動を主導、闘争に敗れてリコーを去った
    • [18]理研紙工業・ルミナ閃光電球の相次ぐ倒産、複写機用品販売会社・山本商会勤務を経て大塚商会を創業

当時のオフィス機器商社は資金力のある大企業を主たる顧客とするのが常識だったなか、幾度もの挫折を味わってきた大塚實氏はあえて中小企業に活路を見出した。1社あたりの取引額は小さく回収にも手間がかかるため、競合が敬遠しがちな層である。そこへ実機を持ち込んで現金決済で売り切る独自の手法で入り込み、台数を積み上げて顧客基盤を築いた。相次ぐ挫折の末にたどり着いた創業だったからこそ、大塚實氏は徹底して公平を期した評価制度を重視し、社訓の冒頭に『人生は勝者に楽しく、敗者には悲惨な道だ』[引用元]を据えた(日経ビジネス 1993/7/26)。

顧客基盤の核となったのが、地域を面で押さえる支店網である。大塚商会は新聞配達店に並ぶ密度で支店を配置し、各支店に営業と保守の人員を置いて、コピー用紙1冊でもすぐ届けられる体制を業界に先駆けて整えた(ダイヤモンド・オンライン 2021/1/22)。1978年時点で都下25・大阪9・神奈川4・埼玉2・千葉1の計41支店[19]を構え、約4万5000軒のユーザーを1支店平均1000軒の密度で抱え、巡回サービス車を1日4便走らせる体制を敷いていた(日経ビジネス 1978/7/17)。大塚實社長はこの体制を『支店が軍隊の最小単位である分隊に相当し、支店が三つか四つ集まって小隊を形成している』[引用元](同)と説明した。複写機の消耗品を定期的に届ける接点を使い、訪問のたびにオフィスの様子を観察して最新OA商材を提案する。この消耗品配達と提案を組み合わせた営業手法が、後年の『重ね売り』の原型にあたる。

  • 日経ビジネス 1978年7月17日号(218号)
    • [19]1978年時点で都下25・大阪9・神奈川4・埼玉2・千葉1の計41支店、ユーザー数約4万5000軒、巡回サービス車1日4便
  • 日経ビジネス 1989年12月4日号(543号)
    • [16]大塚實氏は1922年10月栃木県益子町生まれ、真岡中学卒業後の受験失敗を経て中央大学進学、1943年学徒出陣でビルマ戦線に送られ1947年復員
    • [17]復員後、理研光学工業(現リコー)に入社し創業社長・市村清氏への退陣要求運動を主導、闘争に敗れてリコーを去った
    • [18]理研紙工業・ルミナ閃光電球の相次ぐ倒産、複写機用品販売会社・山本商会勤務を経て大塚商会を創業
  • 日経ビジネス 1978年7月17日号(218号)
    • [19]1978年時点で都下25・大阪9・神奈川4・埼玉2・千葉1の計41支店、ユーザー数約4万5000軒、巡回サービス車1日4便

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大塚商会の沿革1961〜2023年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1961〜1990年複写機商社からの脱皮──業務用パッケージ「SMILE」誕生まで大塚商会を創業
法人組織に改め、大塚商会を設立
大阪支店を開設
電算機事業に参入★★
自社開発の業務用パッケージソフト「SMILE」販売開始★★
パソコン・ワープロ専用機の販売開始★★
OAセンターの地区展開・教育ビジネスを開始
CADシステム事業に参入
大塚システムエンジニアリングを設立
ネットワーク事業に参入★★
たよれーる保守サービス開始★★
1991〜2010年ISP・たのめーる・東証1部上場・たよれーる──ストック型ビジネスの確立期経営刷新構想「大戦略」の策定と、支店ごとに分かれていた顧客情報の全社一元化

1993年、創業者の長男で取締役経営企画室長だった大塚裕司氏が、経営の刷新構想『大戦略(大塚経営戦略)』をまとめた。支店ごとに分かれていた顧客情報を営業から経理、サポートまで全社で一本化し、基幹系と情報系をPC-LAN上でつなぐ設計である。着手の動機は借入金の膨張への危機感にあった。

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★★★
商用インターネット接続サービスα-Web開始
震旦大塚股份有限公司を設立
会員制通信販売「たのメール」販売開始★★
東京証券取引所市場第一部に株式上場
大塚インターネットデータセンター開設
大塚裕司創業者・大塚實から長男・大塚裕司への社長交代と、データで判断する営業への移行

2001年8月1日、40年間社長を務めた創業者の大塚實氏が会長へ退き、長男で代表取締役副社長だった大塚裕司氏が代表取締役社長に就任した。就任と同じ年、大塚商会は顧客管理と営業支援を一体化したSPR(セールス・プロセス・リエンジニアリング)を始めている。

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★★★
大塚裕司大塚實氏が会長に就任
大塚裕司サービス&サポート事業をたのめーると たよれーるの2大ブランドに集約
2011〜2026年DX・ESG・プライム市場移行──総合 ITソリューション企業としての成熟期(2011〜現在)大塚裕司OSK とアルファシステムを合併
大塚裕司DX 推進委員会を設置
大塚裕司DX 認定取得事業者として認定取得
大塚裕司東京証券取引所プライム市場に移行
大塚裕司中・長期経営方針を発表
出典・参考
  • 有価証券報告書
  • 日経ビジネス 1978年7月17日号(218号)
  • 日経ビジネス 1989年12月4日号(543号)

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