第一製薬 第一サントリーファーマ設立 酒類大手の医薬品事業部門を分社化して受け止める共同出資会社の発足

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時期 2002年7月
論点 研究開発力の調達
何をなぜ決めたか
概要

2002年7月30日、第一製薬とサントリーは、サントリーの医薬品事業部門を分社化したうえで共同出資の新会社を12月末に設立することで合意したと発表した。出資比率は第一製薬66%、サントリー34%で、サントリーの医薬品部門から約300人が移籍した。

背景

1998年5月の長期ビジョン"グローバル・テン"は2006年度に連結売上高5000億円を掲げたが、当時の実績は2900億円だった。世界の大手は合併で規模を積み上げ、2002年には中外製薬がロシュの傘下に入るなど、国内にも再編の波が届いていた。

内容

新会社の社長にはサントリーの中山讓治取締役が就任し、両社から役員を派遣した。研究開発費は第一製薬が負担し、開発した新薬は第一製薬の販売網などを利用する。将来は第一製薬の完全子会社にすることも視野に入れ、サントリーは医薬品事業から事実上撤退した。

含意

完成した薬ではなく、薬を生む研究部隊と経営者を丸ごと取り込む選択だった。

いつ何が起きたか 6件
筆者の見解
筆者の見解

買えなかったのは、薬になるまでの時間

第一製薬が手に入れたのは、売れる薬ではなく、薬を作る人の集団だった。研究開発費を全額引き受け、販売網も自社のものを使いながら、34%はサントリーに残す。完全子会社にするまでの移行の時間を、この34%で買っている。1974年に他社の新薬を導入する方針へ転じた会社が、今度は開発の工程ごと引き取る側へ回った。買う対象が、薬から人へ移っている。

買った研究資産が薬になる前に、会社の時間のほうが尽きた。2005年2月に三共との統合で基本合意へ至るまで、約300人の研究者が生んだ新薬が数字に載ることはない。それでも、この合弁が残したものはある。相手側の事業部門を率いていた中山讓治氏は、5年後に統合後の会社を率いた。買えなかったのは研究開発力ではなく、それが薬に変わるまでの年月であった。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

業績の推移
同じ問いに直面した会社

同じ問いに直面した会社

プロ経営者の招聘1999年日産自動車仏大手の出資の受け入れと、再建計画に賭けた立て直し経営再建と資本提携
2002年三菱自動車ダイムラー主導で進んだ、聖域を設けない再建計画の断行隠蔽体質と系列依存からの脱却による事業再建
2002年ファーストリテイリング柳井正氏の社長退任と経営の世代交代創業者への依存からの脱却と世代交代
2003年日本マクドナルド創業者の退場を経た、米本社による直接統治体制への移行資本構造と経営体制
2003年そごうかつての商売敵との統合による、ミレニアムリテイリング傘下入り破綻後の再建方式(自力再建か旧敵との経営統合か)
研究開発への注力2006年東レ戦略的パートナーシップの締結とヒートテックの共同開発繊維事業の存続とアパレルとの垂直連携
2006年三菱重工業ウェスチングハウス買収入札での敗退を受けた、中型炉共同開発への転進原子力事業の海外展開と提携先
1997年日本移動通信次世代携帯電話でのCDMA方式の共同採用と、陣営づくりへの全面的な踏み込み次世代携帯電話の方式選択と提携相手
2008年日本新薬日本を除く全世界の開発販売権を他社へ委ねるという選択自社創製品の世界展開の方法
2008年TOYOTIRE業界首位を相手にした業務提携と、対等ではない株式の持ち合い業界首位との提携と資本の持ち合い
参考文献
出典・参考
  • 共同通信(四国新聞 2002年7月30日)

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