慶松勝左衛門氏がサルバルサンの製造に成功した1915年7月から、匿名組合アーセミン商会の創立までは3か月ほどしかない。先に製法があり、それを工業化するために事業を起こし、株式会社という法人格は2年余り遅れて1918年1月に整えられた。大阪の薬種商が資本を蓄えてから工場を建設したのとは、順序がちょうど逆である。匿名組合、合資会社、株式会社と2年3か月で組織を二度組み替えたのは、製造と販売の実態に法人の形式が追いつくまでに、それだけの時間がかかったからである。
創業を支えた条件は、長くは続かなかった。輸入が戻ると製薬業は不振に陥り、薬種問屋の活動が再び活発になる。10年間・年8分の配当保証も、輸入が止まっている間しか効かない。1923年9月の関東大震災では本社と工場を全焼し、資本金は半分に減少した。国産化の成否を決めたのは、製法の完成度ではない。輸入が戻るまでの短い間に、どこまで事業を根づかせられるかであった。