会社の出発点に創業者がいない例は珍しくないが、発注元が最初から株主として同席していた例はそう多くない。関東電気工事は、統合の相手も、資本を入れる相手も、営業の区域も自分では決めていない。決まっていなかったのは、与えられた区域のなかで何をどこまで請け負うかだけであった。1959年の大阪支社、1970年の土木工事と空調管工事、1979年の原子力関連工事は、いずれもその余白を使う判断にあたる。
与えられた関係は保護であると同時に制約でもあった。工事量が発注元の設備計画に従う以上、計画が縮めば受注も縮む。1990年代後半、電気事業の規制緩和で東京電力が設備工事の費用を抑えにかかったとき、関電工は電力会社系の同業のなかで最も依存度の高い会社として、自立を求められる側に立った。1984年の改称も、2000年代の同業各社への資本参加も、2012年の発電事業への進出も、この一点に対する応答にあたる。株主名簿の一行目は80年変わらず、完成工事高の最大区分だけが配電線から屋内線・環境設備へ入れ替わった。