三菱重工業ウェスチングハウス買収入札での敗退と、仏アレバとの中型炉共同開発合弁の設立
師匠筋を買うか、兄弟会社と組むか——縮む国内市場を前にした加圧水型の出口探し
- 概要
- 2006年、米ウェスチングハウス社の買収入札で東芝に敗れた三菱重工業が、仏アレバとの中型原子炉の共同開発に合意し、2007年9月に合弁会社ATMEAをフランスに設立した経営判断。
- 背景
- 加圧水型軽水炉はウェスチングハウス社からの技術導入に始まり、国内で製造できるのは三菱重工業1社であった。一方で国内の新設は1980年代から細り、輸出の商談も実らず、技術を運ぶ器を海外に求める必要があった。
- 内容
- 2005年に2,000億円規模でウェスチングハウス買収に応札したが、6,000億円を投じた東芝が落札。加圧水型の国内生産が基本特許から解放されていたことを逆手に、2006年10月に仏アレバと出力100万キロワット級中型炉の共同開発で合意し、翌2007年に合弁会社ATMEAを設けた。
- 含意
- 高値を追わず算盤で降りた点は筋が通っていた。ただし共同開発した炉型を採用したトルコの計画は断念に至り、原子力事業の中心は国内の再稼働工事と燃料サイクル、革新軽水炉へ戻っている。
買わなかったことで決まったもの
6,000億円という落札価格を前に、浦谷良美常務は「経済合理性のない価格は出せない」と述べて降りた。のれん代を20年で償却すれば年300億円、買収資金の金利負担が年120億円、対するウェスチングハウス社の税前利益は約100億円という計算が社内にあった。数字の上では、降りた判断に理があったとみることができる。ただ、この場で決まったのは値付けの是非だけではなく、加圧水型という技術を誰と組んで海外へ運ぶかという座組そのものであった。
選び直した相手も、順風ではなかった。アレバは新型炉の建設で1兆円を超える損失を抱え、共同開発した炉型を採る予定だったトルコの計画は2018年に断念が報じられる。2005年の応札から十数年を費やして、輸出という出口は開かないまま終わった。残ったのは国内の再稼働工事と燃料サイクル、そして2030年代半ばを見据えた革新軽水炉であり、1986年に中根秀彦常務が案じた国内需要の細りという問いに、会社はいまも同じ場所で向き合っているといえる。
Yutaka Sugiura, 2026年8月
背景
ウェスチングハウスから受け継いだ加圧水型
新三菱重工業が1952年2月に米国ウェスチングハウス社と結んだ蒸気タービンの技術提携[1]は、のちに加圧水型軽水炉の導入へつながった。三菱重工業は1995年1月に三菱原子力工業を合併し、原子炉の設計と製造を自社の内側へ取り込んでいる。加圧水型の基本設計特許はウェスチングハウス社が持つが、同社もゼネラル・エレクトリック社も30年来、原子炉そのものを製造していない。国内で加圧水型をつくれる企業は三菱重工業1社であった[2][3]。
国内市場の細りは早くから見えていた。1986年の時点で全国32基が稼働し、原子力発電所は年平均2基のペースで建てられてきたが、その後の5年間は年平均1.4基まで落ちると見込まれていた。1基3,000億〜4,000億円という規模だけに、減少はメーカーの経営を直撃する。原動機事業本部の中根秀彦常務は「ここ1年ぐらいのうちに、新規受注がなければ、原発機器の主力工場、神戸造船所の製造ラインが止まりかねない」と危機感を語っている[4]。
輸出という出口の乏しさ
1985年3月期の売上高1兆9,997億円のうち38.3%を原動機部門が占め、その売上のおよそ3分の1が原発関連機器によるものといわれた。ただし収益の厚みは見かけほどではない。中根常務は「うちの原子力事業は15年前から始まった。やっと5年ぐらい前から累積で黒字になったばかり」と述べ、このままでは10年もしないうちに再び赤字へ転落しかねないと先行きを案じていた。原子力事業本部の研究開発費は年間70億〜80億円に上っていた[5]。
輸出に活路を求める試みも、成果は乏しかった。1983年末のエジプトの200万キロワット級案件では、ウェスチングハウス社と連合を組んで応札したものの、応札価格でフランス勢に20%以上の差をつけられ3番札に終わっている。ユーゴスラビア向けは農作物での支払いという条件が折り合わず、植手敏泰原子力部長が断念の経緯を語った。中国でも外貨不足から原発計画の縮小が決まり、狙っていた蘇南原発は棚上げとなった[6]。
決断
師匠筋の売り出しと、2,000億円の応札
2005年7月1日、ウェスチングハウス社の親会社である英国核燃料会社が同社の売却を表明した。三菱重工業は7月中旬に応札の意向を伝え、買収額は2,000億円に上るとみられた。単独では負担が重く、三菱商事や米国企業と連合を組む方針であった。当時の原子力事業本部の売上高は約2,000億円、従業員は3,000人。国内では北海道電力泊3号機が建設中で、ほかに2基の計画があるだけで、その先の新設計画は無かった[7][8]。
海外売上高を100億円から2008年3月期に300億円へ伸ばす計画を掲げていた同社にとって、買収は器を一気に広げる手であった。だが2006年2月、落札したのは東芝で、価格は6,000億円に達した。原子力事業本部長の浦谷良美常務は「われわれは、4回も5回も会議して(入札価格を)検討した。最後は経済合理性。経済合理性のない価格は出せない」と述べている。三菱重工業の2006年3月期の連結売上高は2兆7,921億円、営業利益は709億円であった[9][10][11]。
「欧州カード」への転回
敗退は、提携相手を選び直す自由と裏表であった。加圧水型の国内生産についてウェスチングハウス社の基本特許から解放されていたため、東芝の傘下に入った旧師匠から離れれば、ゼネラル・エレクトリック社でもアレバでも自由に組める。2006年10月19日、三菱重工業は仏アレバと出力100万キロワット級の中型原子炉の共同開発で協調することに合意した。東芝による買収完了のわずか2日後という発表であった[12][13]。
アレバの原子力部門は元をたどればウェスチングハウス系列で、加圧水型を共有する兄弟会社にあたる。フィンランドの案件では三菱重工業が原子炉本体と上部容器を手掛け、六ヶ所村の再処理工場でも協力関係にあった。佃和夫社長は「時間をかけることは許されない」と語り、提携によってその時間を買ったと評された。2007年7月に両社は覚書に署名し、同年9月、電気出力110万キロワットの第3世代加圧水型炉ATMEA1を担う合弁会社ATMEAをフランスに設立している[14][15][16]。
結果
開かなかった輸出の出口
合弁が生んだ炉型は、輸出の主役として送り出された。2013年10月、三菱重工業は黒海沿岸のシノップ地区に4基を建てるトルコの計画で商業契約の大枠合意に達し、ATMEA1の採用が決まった。ところが福島第一原子力発電所の事故を経て安全規制への対応費用が膨らみ、2000年代半ばに1基5,000億円といわれた建設費は、1基1兆円でも足りない水準に達する。実行可能性調査に加わっていた伊藤忠商事は2018年に撤退を表明した[17][18]。
伊藤忠商事の岡藤正広会長は「費用が倍になっている」と理由を挙げ、「(三菱重工は)降りられないから大変だ」と同情を寄せている。宮永俊一社長は同じ時期に「いろんな形で可能性を追求しながら、FSを続けている」と述べるにとどめた。2018年12月、官民連合がトルコ計画を断念することが報じられる。共同開発した新型炉が有力とみられていたベトナム案件も、2016年に経済的な理由で白紙となっていた[19][20][21]。
国内市場への回帰
選び直した相手も安泰ではなかった。アレバはフィンランドとフランスで進めた新型炉の建設遅延と費用超過で累計1兆円を超える損失を計上し、仏政府主導の再編に追い込まれる。三菱重工業は2017年3月、その再編で生まれる燃料・再処理・廃炉の新会社へ日本原燃とともに5%ずつ出資することで最終合意した。海外での受注が取れていないことが、かえって同社の傷を浅くしたという見方も当時から出ていた[22]。
事業の中心は国内へ戻った。2023年、三菱重工業は2030年代半ばの実用化を目標に革新軽水炉「SRZ-1200」の開発を進め、関西電力などとの標準設計は8割方固まった段階にあると説明している。ただし中身は既存の軽水炉の改良で、大きく変わったのは安全策の部分にとどまる。東日本大震災の後に20社が原子力事業から撤退し、国内では調達できない部材も出ていた。開発の狙いは、サプライヤーを含む産業基盤の維持に置かれている[23]。
泉澤清次社長は2023年に「原子力も防衛も、基本的には国の政策に従って進めるところがある」「これは創業以来変わっていない」と語っている。足元の稼ぎも国内に寄っている。2024年に日本原子力発電敦賀2号機の再稼働が認められなかった際、同社は再稼働が承認されれば関連の工事を受注できたと説明した。2026年2月には燃料サイクル関連の受注が伸びたとして、原子力の年度受注見通しを上方修正している[24][25][26]。
- 日経ビジネス 1986年4月28日号「三菱重工の原子力事業 電力需要伸び悩みで“収益の核”に厳しい試練」
- 週刊東洋経済 2005年7月30日号「米原子力大手めぐる争奪戦 三菱重工、2000億円買収の成算 国内原発市場縮小にらみ、海外強化に活路」
- 週刊東洋経済 2006年7月8日号「ビジネスリポート01 WH入札には敗退したが——よみがえる『重厚長大』三菱重工業の“転生”」
- 週刊東洋経済 2006年11月4日号「再編 世界規模で起こる原子力産業の再編劇 瀬戸際の三菱重工が選択した『欧州カード』」
- 週刊東洋経済 2007年7月21日号「スペシャルリポート01 東芝、日立、三菱が激突! 日本がリード役『原発三国志』」
- 週刊東洋経済 2017年4月22日号「原発御三家の葛藤 進むべきか退くべきか 三菱と日立の深まる苦悩」
- 週刊東洋経済 2018年5月26日号「ニュース深掘り 難題山積の海外事業 日立、三菱重工が挑む 原発輸出のジレンマ」
- 週刊東洋経済 2023年2月18日号「三菱重工が開発を主導 『革新軽水炉』は既存技術の改良型」
- 週刊東洋経済 2023年6月10日号「トップに直撃 三菱重工業 社長 泉澤清次 『原子力・防衛は政策に従う 現場は浮ついてはいない』」
- 三菱重工業「第3世代原子炉のための新会社ATMEAをフランスに設立」(2007年9月3日)
- 三菱重工業「トルコ共和国 シノップ原子力発電所プロジェクトの商業契約に大枠合意」(2013年10月30日)
- 日本経済新聞(2018年12月5日)「袋小路の国産原発輸出、三菱重などトルコ計画断念」
- 三菱重工業 2024年度第1四半期 決算説明会 質疑応答(2024年8月6日)
- 三菱重工業 2025年度第3四半期 決算説明会 質疑応答(2026年2月4日)
- 会社銀行八十年史(東洋経済新報社、1955年)「新三菱重工業」の項
- 三菱重工業 有価証券報告書【沿革】/有価証券報告書(2006年3月期・2007年3月期・連結)