相川賢太郎
三菱重工業・元取締役社長
社長就任までの出自
出自
1951年に西日本重工業へ入社し、社長を退くまで三菱重工業の一社で職歴を重ねた。西日本重工業は1950年に三菱重工業が三分割されて生まれた会社で、1964年に三社が再び合併して現在の三菱重工業となった。1988年6月に取締役副社長、1989年6月に取締役社長へ進んでいる。副社長就任から1年での昇格であり、原動機部門を歩いた技術者としての実績が背景にあったとみられる。
社長に選ばれた経緯
抜擢
1989年6月、飯田庸太郎氏の後任として社長に就任した。造船不況と重厚長大への逆風で人員の削減が進み、1978年11月には2年間で1万人を減らす合理化案が労働組合へ示されていた。1980年3月期の売上高は1兆3,492億円、経常利益は225億円である。造船に代えて原動機と機械プラントで稼ぐ会社へ組み替える人選だったとみられる。
在任中の主な施策
施策
アジア諸国の工業化がもたらす発電プラントと機械プラントの需要を取りに行った。1995年1月には三菱原子力工業を合併し、加圧水型原子炉の設計と製造を自社へ取り込んでいる。連結売上高は1992年3月期の2兆7,898億円から1995年3月期の2兆8,485億円へ、当期純利益は1,056億円から779億円へ動いた。海外受注をアジアへ寄せた収益の作り方は、退任後の1996年度に過去最高益を生んだ。
在任の評価
評価
執筆予定
経歴 1951〜1995年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-