日立との火力発電システム事業の統合と三菱日立パワーシステムズの設立
全社経営統合が破談した翌年、なぜ長年のライバルと基幹事業の火力だけを一体化する道を選んだのか
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- 概要
- 2012年11月29日、三菱重工業と日立製作所が、火力発電システム分野の事業統合で基本合意した経営判断。両社の開発・製造・販売・エンジニアリング機能を新設合弁へ移し、三菱重工が65%、日立が35%を出資する。合弁は2014年2月1日に三菱日立パワーシステムズ(MHPS)として発足した。
- 背景
- 前年2011年夏、両社は社会インフラ全般をまたぐ全社的な経営統合の協議に入ったと報じられたが、規模差とプライドの問題から三菱重工が公式に否定し、破談していた。全社統合という大きな枠組みが崩れたのち、対象を火力に絞る形で交渉が組み直された。
- 内容
- 東日本大震災後の国内電力会社の財務悪化と競争入札の広がりで、国内の火力発電インフラ市場は急速に縮んでいた。一方、新興国を中心に海外の火力需要は拡大が続く。両社は国内で消耗戦を続けるより一体で世界に挑む道を選び、GE・シーメンスに次ぐ世界3位級の規模を得た。
- 含意
- 自社開発にこだわってきた三菱重工が、基幹事業である火力で他社との合弁に踏み切った点に転換があった。世界市場での規模を優先した判断だが、日立が持ち込んだ海外プロジェクトの損失が後年に係争を招き、2020年の合弁解消へつながる火種も同時に抱えた。
規模の統合が抱えた火種
この判断の核心は、縮む国内市場を分け合う消耗戦を避け、規模を束ねて世界の上位に食い込むという狙いの明快さにある。全社の一体化という大風呂敷が規模差とプライドで破談した翌年に、収益の8割を稼ぐ原動機の中でも中核の火力に対象を絞り、三菱重工が過半を握る形で折り合いをつけた。自社開発にこだわってきた同社が基幹事業で他社との合弁に踏み切った点に、単独主義からの転換がうかがえる。震災後の国内市場の急収縮という外圧が、長年のライバル同士を短期間で一つの会社に押し込んだ経緯には、この時期の日本の重電が置かれた立場が映っている。
もっとも、世界3位という規模がそのまま果実に結びついたわけではなかった。日立が持ち込んだ南アフリカの火力プロジェクトの巨額損失が後年に両社の対立を招き、合弁は2020年に解消され、MHPSは三菱重工の完全子会社・三菱パワーへと姿を変える。世界で戦うために束ねた規模が、統合時に詰め切れなかった損失負担の取り決めによってほどけていった点に、この決断のその後がにじむ。国内で消耗するより世界で組むという判断の是非は、入口の合意ではなく、その後に生じた条件面の溝の始末までを含めて問われていくとみられる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
破談した全社経営統合
火力の統合に先立って、両社の間ではより大きな枠組みが一度は模索されていた。2011年8月、日立製作所と三菱重工業が経営統合の協議を始めることで合意し、2013年春に新会社を設立して主力の社会インフラ事業を統合する方針、と大手紙が特報した。原子力から鉄道、産業機械、ITシステムまでを網羅する売上高12兆円超の総合インフラ企業が生まれるという構想で、日立の中西宏明社長は報道陣に協議の事実を認めた。国内の製造業では、トヨタ自動車に次ぐ規模の再編劇になるはずであった[1]。
だが全社統合はまとまらなかった。連結売上高は日立が約9兆円で三菱重工が約3兆円、従業員数は日立の36万人に対し三菱重工は7万人弱と、規模の開きが大きすぎた。自社開発にこだわりプライドの高い三菱重工にとって、日立主導と映る統合は受け入れがたい。中西社長が統合を認める発言をしたことが三菱重工側を刺激し、同社は「決定した事実もないし合意する予定もない」と将来の可能性まで否定する公式コメントを出して、話は流れた。大きな枠組みが崩れたところから、対象を絞り直す動きが始まった[2]。
震災後に激変した国内火力市場
火力への絞り込みを促したのは、両社に共通する顧客である国内電力会社の環境激変であった。東日本大震災後の原発稼働停止で電力各社は軒並み巨額の赤字に陥り、財務が悪化する。高コスト構造への批判も強まり、業界に急速にコスト意識が広がった。それを象徴したのが中部電力の西名古屋火力発電所の業者選定で、1000億円規模の刷新案件が競争入札にかけられ、初期費用だけでなく完成後の長期保守費用まで競わされた。落札額は従来相場より2割以上安いといわれ、業界に衝撃を与えた[3]。
国内電力会社の設備投資はもともと長期の減少傾向にあり、そこへ競争入札が常識になれば受注単価の下落は避けられない。一方で世界に目を移せば風景は逆になる。新興国の成長で世界の電力需要は拡大を続け、国際エネルギー機関は火力の発電設備容量が2035年までに7割前後増えると見通していた。ただし海外では米GEと独シーメンスが圧倒的で、大型ガスタービンを造れるのはこの2社と三菱重工、仏アルストムの4社のみ。三菱重工の世界シェアは2割弱の3番手にとどまっていた。縮む国内と伸びる海外という落差が、単独での戦いに限界を意識させていた[4]。
決断
火力に絞った統合という選択
2012年11月29日、三菱重工と日立は火力発電システム分野の事業統合で基本合意したと発表した。全社の一体化ではなく、両社の火力発電の開発・製造・販売・エンジニアリング機能を新設の合弁へ移し集約する。交渉が始まったのはこの年の7月で、そこから基本合意までわずか4カ月と、中核事業を対象にした案件としては異例の早さであった。三菱重工にとって発電インフラを含む原動機部門は全社営業利益の約8割を占め、その大半を稼ぐ火力は文字どおりの基幹事業で、新会社への出資比率は収益規模で勝る三菱重工が65%と過半を握った[5][6]。
統合の中身をみると、両社の製品はむしろ補完の関係にあった。三菱重工は大規模発電所向けの大型ガスタービンを主力とする一方、日立は同社が手掛けない小規模発電所向けの中小型ガスタービンを自社で生産し、電気・情報系の運転制御技術を得意としていた。新興国には幅広い出力の電源需要があり、製品の品ぞろえが広がれば提案力が増す。基幹事業を明け渡す側と受け取る側という関係でありながら、技術の面では互いの欠けを埋め合う組み合わせであった点が、短期間での合意を後押ししたとみられる[7]。
消耗戦を避け、世界へ
会見で三菱重工の大宮英明社長は、統合に踏み切る理由を「日本の企業が国内で消耗戦をするより、一緒になって世界で戦っていくべきだと判断した」と述べた。縮む国内市場を分け合うのではなく、規模を束ねて欧米勢や台頭する中国・韓国勢に挑む狙いであった。統合効果への期待は大きく、三菱重工は東南アジアや中東・北米、日立は欧州・アフリカに実績が多く、地域の補完も見込めた。「今回の再編で競争力を高め、早期に世界3強の一角に入りたい」と大宮社長は語った[8]。
相手の日立にとって、この統合は火力の主導権を渡すことを意味した。それでも中西宏明社長は「売却するわけじゃない。どうやったら世界で勝てるか。5年、10年先を考えての再編だ」と述べ、プライドより実利を取る立場を明確にした。日立は社会インフラへの選択と集中を進めており、単独では見劣りする火力を三菱重工と束ねて世界規模へ引き上げる計算があった。前年に破談した全社統合が「日立主導」への警戒でつまずいたのに対し、火力では三菱重工が過半を握る形にしたことで、両社のプライドの折り合いがついたとみることができる[9]。
結果
三菱日立パワーシステムズの発足
基本合意から約1年2カ月を経た2014年2月1日、統合新会社の三菱日立パワーシステムズ(MHPS)が発足した。国内9社・海外49社の計58社からなるグループで、売上高は約1.1兆円。GE、シーメンスに次ぐ火力発電の世界3位に並んだ。出資比率は三菱重工が65%、日立が35%で、日立はマイノリティに回った。日立からは火力を担ってきた海岸工場(茨城県日立市)を含め、グループ全体で約9000人が新会社へ移った。長年のライバル同士が、縮む国内を離れて世界で戦うために手を組む再編が、ここで形になった[10][11]。
分離する側の日立では、火力は祖業に連なる中核であった。タービンや発電機を造る海岸工場は1930年の設立以来、創業者の小平浪平ゆかりの日立事業所を取り囲む同社のモノ作りの心臓部で、その大半が新会社へ移った。2012年11月の発表直後は現場から「われわれはどうなってしまうのか」と戸惑いの声が数多く寄せられたという。中西社長は「世界で戦うための統合で事業売却ではない」「新会社を日立は使い倒す」と繰り返し、社内調達が新会社経由に変わっただけだと説明して、動揺の鎮静を図った。世界規模を得る統合は、当事者にとっては祖業の一部を手放す決断でもあった[12]。
- 週刊東洋経済 2011年8月13日号「経営統合か、破談か 日立と三菱重工の決断」
- 週刊東洋経済 2012年12月15日号「火力事業を統合する三菱重と日立の本気」
- 週刊東洋経済 2014年1月18日号「日立製作所 火力分離で事業急縮小 問われる祖業の成長戦略」
- 三菱重工業 ニュースリリース 2012年11月29日「三菱重工と日立製作所が火力発電システム分野での事業統合に基本合意」(https://www.mhi.com/jp/news/121129.html)
- 三菱重工業 ニュースリリース 2014年1月28日「三菱日立パワーシステムズのグループ会社について」(https://www.mhi.com/jp/news/14012803.html)
- 三菱重工業 有価証券報告書(2013年3月期・連結)