三菱重工業国産ジェット旅客機スペースジェット(MSJ/旧MRJ)の開発中止
1兆円を投じ半世紀ぶりの悲願をどこで断つか——型式証明の直前で撤退を選んだ判断
- 概要
- 2020年秋に開発を凍結してから約2年半、事業を再開するに足る採算性を見いだせないとして、泉澤清次社長が撤退を決断した。開発子会社の三菱航空機はトヨタ自動車など出資者との協議を経て清算する方針が示された。
- 背景
- 三菱重工は2008年に事業化を決め、YS-11以来およそ半世紀ぶりの国産旅客機に挑んだ。ボーイング787の主翼を供給するなど航空機の有力サプライヤーであったが、機体全体を設計し量産する経験は乏しく、米国での型式証明取得に手間取って納入は6度延期され、開発費は当初の1500億円規模から1兆円超へ膨らんでいた。
- 内容
- 2020年10月に『立ち止まる』として開発を事実上凍結したうえで事業性を検討したが、再開しても販売開始まで毎年1000億円規模の開発費が数年かかる見通しで、量産開始が当初計画から10年遅れて投資回収の余地が細っていた。ビジネスとして成り立たないと判断し、型式証明取得の直前で開発を打ち切った。
- 含意
- 関連資産の減損は2020年3月期・2021年3月期に済ませており、中止が当期の三菱重工の経営に与える直接の影響はほとんどなかった。稼ぎ頭の火力発電が脱炭素の逆風にさらされるなか、次の柱を模索する過程で半世紀の悲願を断つ判断となり、投じた1兆円で得たものの多くは戦闘機など他分野への知見にとどまった。
筆者の見解
挑戦の代償と、撤退という決断
この決断の中心にあるのは、埋没費用にどう向き合うかという問いである。1兆円と15年を注いだ事業が型式証明の直前まで到達していただけに、あと一歩で完成するという心理は撤退を難しくする。だが三菱重工は、再開後もなお毎年1000億円規模の開発費が数年続き、10年の遅れで回収の見込みが立たないという冷徹な計算のうえに撤退を選んだ。減損を先に済ませて損失を確定させていたことが、感情に流されずに幕を引く助けになったとみることができる。
一方で、これほどの国家的挑戦が形にならずに終わった重みは、財務の健全さだけでは測れない。半世紀ぶりの悲願を掲げながら、機体全体を設計・量産する経験の不足が最後まで制約となった点に、技術の一部で秀でることと、産業として旅客機を成立させることの隔たりがうかがえる。撤退が正しかったかは、培った知見が次期戦闘機など後続の事業でどこまで生きるかによって、なお問われ続けるとみられる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
- 三菱重工業「当社SpaceJet開発活動の中止に関するお知らせ」(2023年2月7日)
- 三菱重工業 有価証券報告書(2023年3月期・連結)