岡三証券グループ新入社員研修の2週間から1年間への延長と、支店への「新入営業課」の設置

人を減らすか、入り口で育て直すか——3期連続の減収減益と損失補填のなかで問われた営業のつくり方

時期 1993年4月
意思決定者(推定) 加藤哲夫 岡三証券 専務(人事研修部門担当)
論点 営業体質の改善と新人教育への投資
概要
1993年、岡三証券が新入社員研修を従来の2週間から1年間へ延ばした経営判断。金融・証券業界で最長にあたり、同年4月入社の総合職71人を対象に、前半の半年を知識研修、後半の半年を支店での営業研修に充てた。人事研修部門を担当する加藤哲夫専務が経営会議の反対を押し切って実施した。
背景
バブル崩壊後の株価低迷のもとで、損失補填や強引な勧誘といった証券営業のルール違反が相次いで表面化した。岡三証券でも1993年3月に当時の専務が参議院予算委員会へ参考人招致され、同年3月期は営業収益361億円・経常損益184億円の赤字で、減収減益が3期続いていた。
内容
前半の知識研修は午前8時15分から午後6時まで、分析能力と商品知識、証券税制・法令の3本柱で組んだ。席順は模擬テストの成績順とし、二種外務員試験では71人全員が合格した。後半は支店に既存の営業課とは別の「新入営業課」を設け、ノルマを課さずトレーナーを一人ずつ張り付けた。
含意
大手4社の研修は1〜4カ月で、71人を1年間戦力から外す判断を業界他社は冷ややかに見た。押し切れた条件は相場の低迷そのものにあり、支店が人員の補充を必要としなかったことが役員間の調整を決着させた。加藤専務は「量で質を変える」(日経ビジネス 1993/8/9)と述べた。
筆者の見解

赤字が可能にした教育投資

184億円の経常赤字と3期続いた減収減益は、人を減らす理由としては十分に揃っていた。岡三証券が延ばしたのは、逆に新入社員71人を現場から外す時間であった。押し切れた条件も相場の低迷にある。日経平均が1万円台半ばに沈み、支店が人員の補充を求めなかったからこそ、難航した役員間の調整はまとまった。加藤哲夫専務の「量で質を変える」(日経ビジネス 1993/8/9)という言い方は、個々の営業社員を叱るのではなく、入り口の教育量で分布を動かす発想だったとみられる。

教育の効果を業績の反転として示す数字は、残っていない。6年後に加藤精一会長が語れたのは「トントンのところまで来て」(週刊東洋経済 1999/3/20)という水準にとどまる。1999年10月の手数料完全自由化とオンライン専業の参入は、営業社員の質とは別の次元で収益の前提を崩し、2000年には準大手以下が挟撃される構図に置かれた。教育で作り替えられるのは営業の作法までであり、委託手数料に頼る収益の形そのものではなかったとみることができる。

Yutaka Sugiura, 2026年8月

背景

損失補填と参考人招致が続いた1993年

バブルの崩壊と株価の低迷が続くなかで、証券営業のルール違反が次々に表沙汰になった。岡三証券の損失補填は約5億円で、数百億円に上った大手証券の額に比べれば小さかったものの、問題はそれで収まらなかった。1993年3月には、金丸信・前自民党副総裁の巨額脱税事件に当時の専務が関与したとして、参議院予算委員会に参考人として招致された。同年5月には元本店営業課長が客から預かった資金の運用に失敗し、行方をくらます事件も起きた[1]

業績も傷んでいた。営業収益は1993年3月期に361億円まで落ち、前期を32.3%下回っている。経常損益は184億円の赤字で、減収減益はこれで3期目に入った。同じ決算期には野村証券と日興証券を除くほとんどの証券会社が赤字に沈み、相場の低迷と不祥事による信用の失墜が業界を覆っていた。手数料収入が1年で3分の2に減れば、経営がまず検討するのは人員の整理である。岡三証券にも余裕はなかった[2]

上昇相場を前提にした営業の限界

岡三証券の収益は個人客からの委託手数料に多くを頼り、1973年の上場時には受入手数料が営業収益の71.1%を占めていた。相場全体が上がっているあいだは、どの株を勧めても客に損をさせることは少ない。銘柄を数多く並べておけば一銘柄で損をさせても全体としてはプラスにできる、と大手証券の幹部は日経ビジネスの取材にふり返っている。上昇相場が期待しにくくなると、この大ざっぱな営業は成り立たなくなった[3][4]

営業社員に求められる知識も変わった。客に金融商品を勧めるには経済や金融の動きを見極め、ときには先物やオプションの仕組みを説明できなければならず、本社が選んだ銘柄を押し売りする形は通らなくなっていた。岡三証券の都内支店に勤める若手営業社員は、いったん営業に出て顧客ができると惰性で活動に没頭してしまい、勉強する気は起こらないと打ち明けた。東京・新宿支店の支店長も、これまでの新入社員は知識が身についていないと述べた[5]

決断

2週間の研修を1年間に延ばす

1993年、岡三証券は新入社員研修を従来の2週間から1年間へ延ばした。金融・証券業界で最長にあたる。対象は同年4月に入社した総合職71人で、前半の半年を東京・江東区の木場ビルでの知識研修に、後半の半年を支店での営業研修に充てた。同じ年の大手4社の研修は、野村証券が155人に2カ月、大和証券が244人に約4カ月、日興証券が151人に1カ月、山一証券が103人に2カ月であった[6]

提案したのは人事研修部門を担当する加藤哲夫専務で、経営会議では反対意見が続出した。それでも加藤専務は「営業マンの質の向上」(日経ビジネス 1993/8/9)を掲げて主張を通した。狙いはもう一つあり、そちらは採用の実情に関わる。「好き好んで岡三証券に入ってきた人ばかりではない」(同)以上、証券営業への不安は強いはずで、学生と営業社員の間をつなぐ手立てが要るとみていた[7]

難航した役員間の調整に決着をつけたのは、相場の低迷そのものであった。日経平均株価が1万円台半ばという低い水準にとどまり、支店が人員の補充を必要としなかったため、71人を1年間現場から外しても支店の営業は回る。赤字が人員削減を促す一方で、同じ赤字が新人を戦力から外す余地をつくり、研修にゴーサインが出た[8]

知識研修と、ノルマのない「新入営業課」

知識研修は午前8時15分から午後6時まで続き、分析能力と商品知識、証券税制・法令の3本柱で組まれた。講義の席順は模擬テストの成績順とし、当初の1カ月半に10回のテストを実施して、その都度座席を入れ替えた。上位者が肘掛け付きの椅子に座る一方、下位20人は折り畳み椅子に移された。5月末の二種外務員試験では71人全員が合格し、300点満点で合格ラインが210点のところ、平均点は288点であった[9]

9月に知識研修を終えた新入社員は全国35支店へ散り、1支店に2人ずつ配属されて1カ月間は支店の経理業務を経験した。10月からは3グループに分かれ、東京・渋谷・横浜・千葉の各支店で半年間の営業に入る。既存の営業課とは別に「新入営業課」を設け、ノルマは負わせない。各支店にはトレーナーが新入営業課長として一人ずつ張り付き、MMFなど実質元本保証の商品から新規の客を開拓させたうえで、株式営業へ進ませた[10]

結果

社内に出た手応えと、業界他社の冷ややかな視線

効果は入社の年のうちから現れた。人事部の小泉一紀課長は、現場に出た新入社員が2、3年目の社員より知識や分析能力で上回っていると話す。コンピューターによる株取引のシミュレーションでも、同じ相場を与えると新入社員のほうがリスクの低い取引を選び、支店の営業社員はいちかばちかの勝負に出た。都内支店の3年目の営業社員は「正直言って、すぐに抜かれたくない」(日経ビジネス 1993/8/9)と対抗心をのぞかせた[11]

業界他社の見方は冷ややかであった。大和証券人材開発部の岩室充次長は、営業社員に求められる知識が高度化して自社でも研修期間を延ばす議論はあると認めつつ、入社したばかりの新人に膨大な知識の習得を求めるのはどうかと疑問を投げかけた。野村証券人事部の古賀信行部長も、営業現場を知らない人に知識だけを身につけさせるのは難しいと述べた。加藤専務はそれでも「5年は続ける」(日経ビジネス 1993/8/9)と語り、狙いを「量で質を変える」(同)と言い表した[12]

6年後に語られた立て直しと、崩れた前提

加藤精一氏は1997年6月に会長へ退き、社長の座は加藤哲夫氏へ移った。加藤精一会長は1998年から日本証券業協会の会長を務め、その立場で受けた取材で自社の立て直しに触れている。すごい赤字が出ていた状態からは抜け、「トントンのところまで来て大きな損を出す状況ではなくなりました」(週刊東洋経済 1999/3/20)という言い方であった。得意な市場で強くなる方向として挙げたのは、投信への商品の入れ替えと、三重県で保つ約40%のシェアである[13][14]

営業の作法を整える間に、収益の前提のほうが崩れた。1998年12月には改正証券取引法に基づく総合証券会社として登録したが、1999年10月の委託手数料の完全自由化とオンライン専業証券の参入が続く。2000年11月の週刊東洋経済は、準大手以下の上場18社で経常赤字の会社が第1四半期の1社から第2四半期には5社になったと報じ、岡三証券を9月単月で赤字に陥らなかった側に置いた。対面の営業社員を抱えたまま大手証券とネット専業の双方に顧客を削られる位置は、それでも変わっていない[15][16]

出典・参考
  • 日経ビジネス 1993年8月9・16日号「岡三証券 1年間研修で新人鍛錬 営業体質を下から改善」
  • 週刊東洋経済 1999年3月20日号「編集長インタビュー 加藤精一 日本証券業協会会長」
  • 週刊東洋経済 2000年11月11日号「準大手証券以下は冬の時代」
  • 証券 1973年6月号「新規上場会社紹介 岡三証券株式会社」
  • 岡三証券グループ 有価証券報告書【沿革】

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