この一時国有化を、一地方銀行の破綻という言葉だけで片づけるのは、起きたことの半分しか見ていない。繰延税金資産を全額取り崩した時点で純資産はマイナス1,023億円へ沈み、株主の価値は失われた。それでも預金は全額が守られ、窓口は翌日も開き続けた。制度が救ったのは預金者と決済の流れであり、失われたのは株主価値と、拡大路線を止められなかった経営そのものであった。救うものと救えないものの線を、預金保険法という枠組みがはっきり引いた事例だったと推察される。
もっとも、公的管理が地域の痛みまで引き受けられたわけではない。足利銀行の融資に依存していた取引先では連鎖的な倒産が起き、その打撃は制度では償えなかった。国有化は破綻を防ぐ仕組みではなく、破綻の後始末を秩序立てる仕組みにとどまる。約4年8か月の公的管理を経て足利銀行は再民営化され、やがて常陽銀行と組んで北関東最大級の地銀グループへ合流した。危機そのものより、危機をどう収拾し、どの枠組みで次へ渡すかに、地域金融のその後が表れるといえる。