デジタルカメラ事業の構造改革による黒字転換
祖業カメラのデジタル化で膨れ上がった在庫と赤字を、部品共通化でどう立て直したか
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- 概要
- 2005年4月、オリンパスは前年度に239億円の営業赤字へ転落したデジタルカメラ事業の再建に着手し、映像子会社オリンパスイメージングの社長に大久保雅治氏を据えた。製品ごとにバラバラだった部品を共通化する「プラットフォーム改革」を軸に構造改革を進め、2008年3月期には映像事業を黒字へ転換させた経営判断。
- 背景
- 1996年にゼロから立ち上げたデジカメ事業はシェアを伸ばして念願の売上高1兆円を支えたが、市場の伸びが鈍化するなか各社が増産に走り、過剰在庫を抱えた。ビス一つまで個別最適で選ぶ「選択部品」の職人気質が部品点数を膨張させ、2005年3月期に映像事業は239億円の営業赤字に陥り、創業以来初の希望退職に踏み切った。
- 内容
- 大久保雅治氏は現場を回って部品の複雑さを把握したうえで、μやFEなど各シリーズで構成部品の7割を共通化するプラットフォームを構築した。商品戦略本部を新設して製品コンセプトの決定を一元化し、SCM推進部による「在庫の上流化」で在庫を部品の状態で持つ体制へ改めた。三洋電機とのOEMでは画像エンジンの共通化も進めた。
- 含意
- 映像事業の営業利益率は2005年3月期のマイナス8.6%から2008年3月期予想のプラス11.5%へ改善し、内視鏡一本足だった収益構造に第二の柱が戻った。だが菊川剛社長が掲げたデジタル一眼レフの世界シェア30%は実現せず、映像事業は後にスマートフォンの普及で再び苦境に陥り、2020年の事業譲渡へつながっていく。
筆者見解
オリンパスの映像事業再建は、派手な新製品でなく部品と在庫という地味な足元を整える改革であった点に特徴があるといえる。ビス一つまで個別最適を貫く職人気質は、多品種を競う時代には過剰在庫と非効率の温床となっていた。門外漢の大久保雅治氏を据えて外からの目で当たり前のことを徹底させた手順は、内視鏡で培った現場主義を別の事業へ移し替える試みだったとみることができる。
ただし黒字転換は事業構造の転換までは意味しなかったとみられる。コンパクト機の収益はスマートフォンの普及とともに再び細り、狙ったデジタル一眼レフでの飛躍も果たせなかった。2005年の再建で映像事業に取り戻した第二の柱は、15年後には手放す対象となる。祖業カメラをどこまで抱え続けるかという問いに、この時の再建は答えを先送りした一手であったとみることもできる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
デジカメ参入から赤字転落へ
オリンパスは1996年にゼロからデジタルカメラ事業を立ち上げ、内視鏡に続く収益の柱として育てた。銀塩カメラでは競合の後塵を拝した同社も、デジタル化を機にコンパクト機で世界シェア3位規模へ躍進し、2004年に達成した売上高1兆円を支える一角となった。ところが市場の伸びが鈍化するなかで各社が一斉に増産へ走り、オリンパスも大量の在庫を抱えた。2005年3月期、映像事業は239億円の営業赤字に転落した[1]。
創業以来初の希望退職
赤字は事業単体にとどまらなかった。2005年3月期のオリンパスの連結決算は当期純損益が118億円の赤字となり、9期続いた経常増益が止まった。菊川剛社長は国内で200名の希望退職を募ったが、これは戦後の混乱期以降で初めての規模であった。デジカメ事業を自ら立ち上げてきた菊川氏は、成長を自分の力と過信した驕りが市場のニーズとのミスマッチを招いたと振り返っている[2][3]。
決断
門外漢を再建役に据える
2005年4月、菊川氏は映像事業を担う子会社オリンパスイメージングの社長に大久保雅治氏を据えた。大久保氏は入社以来おもに顕微鏡事業を歩み、デジカメを直接担当した経験はなかった。事業に直接かかわっていない人間が外から見ることで別の見方ができる、という起用であった。着任した大久保氏はまず工場や事業所を回り、製品ごとの開発責任者から部品の説明を聞いたが、調達先も機能もあまりにバラバラで頭に入らないほどであったという[4][5]。
プラットフォーム改革
大久保氏が核に据えたのが「プラットフォーム」と呼ぶ共通基盤の構築であった。オリンパスにはビス一つまで個別に最適な部品を選ぶ「選択部品」の職人気質があり、取り扱う部品点数が膨大に膨らんでいた。μやFEといった各シリーズで、機能やデザインの差別化は残しつつ、1台を構成する部品の7割程度を複数機種間で共通化した。外部委託していたOEM製品でも部品を指定し、三洋電機との間では画像エンジンの4分の3を共通化して各社独自の構想を4分の1に絞る形を探った[6][7]。
結果
黒字転換とV字回復
改革は在庫管理にも及んだ。大久保氏は2006年にサプライチェーンを統括するSCM推進部を設け、完成品にせず部品の状態で在庫を持つ「在庫の上流化」を進めた。商品戦略本部の新設で製品コンセプトの決定を一元化し、長期の技術開発計画も描けるようになった。その結果、映像事業の営業利益率は2005年3月期のマイナス8.6%から改善に転じ、オリンパスは2008年3月期に映像事業で400億円規模の営業利益を見込むまでになった[8][9]。
一眼レフへの照準とその後
コンパクト機で一定の地位を築いたオリンパスが次に狙ったのがデジタル一眼レフであった。同社はフォーサーズ規格で世界最軽量機を投入していたが、キヤノンとニコンの2強が8割超を占める市場でシェアは7%程度にとどまっていた。菊川剛社長は3年以内に世界シェア30%を取ると意気込んだ。だが一眼レフでの飛躍は果たせず、映像事業はその後スマートフォンの普及で再び採算が悪化し、2020年に日本産業パートナーズへ譲渡されることになる[10]。
- 週刊東洋経済 2005年8月27日号「トップの履歴書 デジカメ再生に邁進 大久保雅治 オリンパスイメージング社長」
- 週刊東洋経済 2005年12月3日号「オリンパス社長 菊川剛 デジタルカメラ事業再建の行方」
- 週刊東洋経済 2007年12月1日号「デジカメ利益が急上昇 3年で激変したオリンパス」
- オリンパス 有価証券報告書(2005年3月期・連結)
- オリンパス 有価証券報告書(2007年3月期・連結)