高橋冏

オリンパス・元代表取締役社長

Takahashi Akira(敬称略)

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社長就任 1952年
生年月日 —
出自 —
社長就任までの出自
出自

1897年に東京で生まれ、1923年に東京大学経済学部を卒業した。1929年1月に日本生命保険相互会社へ入り、オリンパス光学工業に移ったのは1948年11月で、常任監査役として迎えられている。1950年5月に代表取締役常務取締役、1951年1月に取締役副社長へ進んだ。顕微鏡やカメラの技術ではなく、生命保険会社で通した財務の畑を歩いた。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1953年6月、神田正吉氏が取締役会長へ退き、高橋氏が取締役社長に就任した。神田氏は安宅商会から送り込まれた経営者で、1945年10月から1957年11月まで安宅産業の社長を兼ねている。高橋氏も日本生命保険から移った外部出身で、入社から社長就任までは5年に満たない。戦後のオリンパス光学工業は、商社と生命保険という社外の系列から続けてトップを迎えたことになる。

在任中の主な施策
施策

1955年5月に高千穂商会の経営へ参加し、写真機の国内販売を強めた。1960年2月には事業部門制へ改め、第一事業部門・第二事業部門・研究部門・業務部門にそれぞれ担当の常務取締役を置いている。同年10月には測定機の製造を開始した。単体売上高は1959年10月期の15.6億円から、社長として迎えた最後の期にあたる1961年10月期の28.6億円へ伸び、当期純利益も1.28億円から1.8億円へ増えた。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1952〜1961年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献 2件

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