中野撤夫

オリンパス・元代表取締役社長

Nakano Tetsuo(敬称略)

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社長就任 1961年
生年月日 —
学歴 ピットマン高等商業学校(英国)
出自 —
社長就任までの出自
出自

1902年に長野で生まれ、1928年に英国のピットマン高等商業学校を卒業した。1929年1月からロンドン日本人会の書記長を務め、1932年9月に安宅商会へ入っている。オリンパス光学工業へ移ったのは1940年12月で、総務部長として迎えられた。1945年6月に取締役、同年12月に代表取締役常務取締役、1953年2月に専務取締役へ進んだ。海外と総務を通した経歴で、光学の技術者ではない。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1961年12月、高橋冏氏が取締役会長へ退き、中野氏が取締役社長に就任した。入社から21年、専務取締役としての在任は8年に及ぶ。高橋氏が日本生命保険から移ってきたのに対し、中野氏は戦後に社長を務めた神田正吉氏と同じ安宅商会の出身にあたる。オリンパス光学工業は、これで3代続けて社外から来た経営者に社長を委ねた。

在任中の主な施策
施策

1963年8月に東京都八王子市へ八王子事業場を新設した。同じ1963年には自社製の光学繊維でファイバースコープを完成させ、胃カメラを内視鏡へ広げている。1964年5月には欧州の販売会社 Olympus Optical Co.(Europa) GmbH を設立し、欧州での販売を強めた。単体売上高は1961年10月期の28.6億円から、社長として迎えた最後の期にあたる1966年10月期の79.8億円へ増えた。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1961〜1966年
在任中の業績
就任前(FY60)29億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
参考文献 3件

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