上場企業の経営論点>再建・危機対応

固定費の削減

固定費の削減は、赤字が出てから始めると設備の閉鎖と人員の削減が同時に来て、次の投資原資まで失う。石油危機後の減量経営がその例で、ユニチカは名古屋・犬山・桐生の3工場を一度に閉鎖し、帝人は大屋晋三氏の下で約2,600名を削減して、需要が戻らない前提へ計画を書き換えた。バブル崩壊後も順序は変わらず、日産自動車は座間工場の車両生産を打ち切り、日本アイ・ビー・エムは三次にわたる人員と事業の絞り込みに踏み切った。これを裏返したのが業績の山での削減で、日立化成は丹野毅氏が好況のうちに低収益の品目を選り分け、JTは本田勝彦氏が国内工場の大量閉鎖と4,000人の削減を決め、パナソニックは楠見雄規氏が好業績下で1万人の削減へ動いた。削減の時期は業績の谷から山へ移り、閉鎖と新規投資が一つの計画に載るようになった。

財務諸表のどこを見るか

固定費は損益計算書の一行では見えない。販売費及び一般管理費の明細で従業員給料・賞与、賃借料、減価償却費の各項目を年次で並べ、売上高が減った年に同じ比率で下がっているかを確かめる。人については従業員の状況の人数と平均年齢、特別損失の事業構造改革費用や割増退職金の計上額を見る。設備については設備の状況に載る各工場の帳簿価額と生産能力、セグメント情報の減価償却費と設備投資額を突き合わせ、閉鎖した拠点が翌期に消えているかを追う。

2020年代

2026年 ホンダ 脱エンジン宣言の撤回 2040年目標の事実上の取り下げと、上場来初の最終赤字 2026年 イオン ダイエー東西2分割 関東の事業を吸収分割で切り出し、近畿は光洋との合併で残した食品スーパーの再編 2026年 名古屋鉄道 名鉄百貨店本店の閉店 百貨店事業の店じまいと、名古屋駅地区再開発への資産の振り向け 2025年 グンゼ アパレル事業の構造改革 主力事業の作り替えと、機能ソリューション・メディカルへの中核の移行 2025年 資生堂 藤原憲太郎の構造改革 過去最大級の赤字と構造改革 2025年 フジクラ AI・データセンターへ集中 需要の伸びる領域への資源の寄せ集めと、電線大手という自己規定の作り替え 2025年 パナソニック 楠見雄規社長の1万人削減 中期戦略の未達を受け、国内外1万人規模の人員適正化に踏み込んだ固定費構造の改革 2025年 日産自動車 Re:Nissanで7工場統廃合 2万人規模の人員削減と生産体制の縮小に踏み込んだ経営再建計画 2025年 キヤノン キヤノンメディカルの減損 医療機器事業ののれん1651億円減損と本社一体化による立て直し 2025年 サンウェルズ PDハウスの不正請求発覚 受けた中期経営計画の取り下げと訪問看護体制の全面見直し 2024年 住友化学 岩田圭一の構造改革 過去最大の赤字を受けた抜本的構造改革と資産圧縮による再建 2024年 電通G イージス買収の巨額減損 海外事業(電通インターナショナル)の巨額減損とM&A路線の転換 2024年 メルカリ 米国縮小とメルカリ ハロ投入 海外の拡大に区切りをつけ、成長の軸を国内へ戻す転換 2024年 コーセーHD 小林一俊の中国事業整理 中国生産子会社の持分譲渡と、在庫処分・店舗整理 2024年 日本発條 2026中計でROIC導入 ROICとWACCの比較に基づく事業別の立て直しと政策保有株式の売却 2024年 オムロン NEXT 2025で2000人削減 制御機器の不振を受けた構造改革と、これに伴う大規模な人員削減 2024年 ヤマハ 国内製造子会社の吸収合併 生産機能の国内集約 2023年 日本ハム ウルグアイBPUの売却 井川構造改革と「自前主義」からの転換 2023年 東急不動産HD 東急ハンズなど非中核譲渡 抜本的再構築による非中核事業の一斉譲渡(ゴルフ場・スキー場・フィットネス) 2023年 住友ファーマ ラツーダ特許切れで北米半減 総額1,809億円の減損計上と、北米人員半減・パイプライン圧縮による構造改革 2023年 中外製薬 研究拠点の横浜集約 富士御殿場・鎌倉の両研究所の閉鎖と、創薬機能を一カ所に束ねる選択 2023年 ピジョン 第8次中計で中国を安定成長へ 成長市場としての位置づけ引き下げと、米州・欧州への成長投資の集中 2022年 ENEOS HD 和歌山製油所を閉鎖 製油所としての役割を終えた拠点の次世代燃料拠点への転換 2022年 太平洋セメント セメント価格を値上げ 石炭サーチャージ制度の導入表明と撤回を経た、1トン3000円の直接転嫁と収益重視への価格政策の転換 2022年 JFEHD 倉敷の大型電炉化 高炉1基の休止に踏み込んだ脱炭素に向けた生産体制の転換 2022年 名村造船所 佐世保重工業の新造船休止 子会社の新造船からの撤収と、伊万里への造船機能の集約 2022年 西日本旅客鉄道 赤字ローカル線収支を公表 輸送密度2,000人未満30区間の収支初開示による、地域との存廃協議の提起 2021年 DeNA 岡村信悟へ社長交代 10年ぶりの社長交代と、費用構造の筋肉質化による収益基盤の立て直し 2021年 ユー・エス・エス ジェイ・エー・エー子会社化 完全子会社化と併せて踏み切ったHAA神戸会場の減損188億円の計上 2021年 ホンダ 早期退職優遇制度導入 定年を65歳へ延ばした先の早期退職優遇と退職特別加算金429億円 2021年 ヤマハ発動機 浜北工場の閉鎖 創業地・国内二輪生産の本社工場への集約 2021年 ユナイテッドアローズ コロナ禍で不採算店舗整理 赤字転落を受けた店舗網の絞り込みと、EC基盤の刷新 2021年 青山商事 リーバイス事業撤退 コロナ禍での159店の統廃合と、創業以来初の希望退職 2021年 東日本旅客鉄道 Suica軸の二軸経営へ転換 二期で六千七百億円を失った後の、二軸経営への組み替え 2020年 三菱自動車 東南アジア集中への転換 全方位の拡大路線を捨て、欧州縮小とパジェロ生産終了に踏み込んだコロナ危機下の構造改革 2020年 丸紅 チリ銅権益の減損 資源投資の含み損を一括処理したうえでの、18年ぶりの最終赤字計上 2020年 三陽商会 大江伸治の粗利率重視転換 規模の追求からの決別と、2020年の収益構造の立て直し 2020年 ANAHD コロナ禍の公募増資で再建 過去最大級の資本調達と事業構造改革による自力再建の選択

2010年代

2019年 クックパッド 縮小均衡への転換 動画レシピの台頭による会員離れと、身の丈に合わせた事業の畳み込み 2019年 SWCC 古河電工と汎用電線統合 ROIC を経営指標に据えたことによる低資本効率事業の整理 2019年 曙ブレーキ工業 事業再生ADRの申請 560億円の債権放棄を前提とした国内外の生産拠点の縮小 2019年 野村HD 国内店舗の2割削減 対面営業モデルの転換と、ウェルス・マネジメントへの構造改革 2017年 神戸製鋼所 神戸製鉄所の上工程休止 加古川製鉄所への一貫工程の集約 2017年 村田製作所 ソニーの電池事業を譲受 リチウムイオン二次電池の取り込みと、8年続いた構造改革の帰結 2017年 ホンダ 狭山工場閉鎖し寄居集約 国内四輪生産を一拠点にまとめる生産体制の再編 2017年 みずほFG 佐藤康博の1.9万人削減 約1.9万人・約100拠点削減による低収益体質へのメス 2017年 川崎汽船 コンテナ船事業をONEへ切り出し 半世紀続けた自社運航の終了と、共同出資会社への事業移管 2016年 カルビー 収益体質改革の断行 松本晃氏の主導による、数字で管理する経営への作り替え 2016年 旭化成 水島エチレンセンター停止 自社設備を手放し、西日本3社による生産集約に加わる選択 2016年 ニコン 岡昌志主導の希望退職 二本柱同時不振と1143名の希望退職──2016年の全社構造改革 2015年 セブン&アイHD イトーヨーカ堂40店閉鎖 祖業として続けてきた総合スーパー事業からの段階的な撤退戦 2015年 ワールド 上山健二の500店閉鎖 大規模な構造改革による店舗網の縮小と、不採算ブランドの廃止 2015年 セガサミーHD アミューズメント施設撤退 事業会社の機能別3社への分割と、施設運営事業の切り離し 2015年 ソシオネクスト 富士通・パナソニックのSoC統合 両社の半導体設計部門を会社分割で束ねた新会社ソシオネクストの発足 2015年 太陽誘電 光記録メディア事業撤退 一領域の切り離しによる、電子部品単一セグメントへの事業構成の回帰 2015年 三菱自動車 イリノイ工場の閉鎖 現地生産の看板を下ろし、米国での自社生産から全面撤退 2015年 ヤマハ 半導体のファブレス化 製造事業の譲渡による自前工場の手放しと、電子部品事業の縮退 2015年 ヤマダHD 46店閉店と桑野光正登用 一斉閉店を伴う構造改革 2014年 ローランド 常若コーポレーションの子会社化 創業者の反発の中でのMBOによる非公開化 2014年 三井倉庫HD ソニー系物流子会社の取得 持株会社への移行とのれん減損254億円と分社の再統合 2012年 SUMCO 太陽電池用ウェーハ撤退 事業再生計画に基づく尼崎・生野工場の閉鎖と生産能力の圧縮 2012年 ルネサスエレクトロニクス 産業革新機構らの出資受入 官民ファンドと主要顧客連合を引受先とする1500億円の資本増強 2012年 アルバック 半導体・パネルに集約 純損失499億円を受けて踏み切った、創立以来初めての事業構造改革 2012年 カプコン 第二次構造改革 モバイル過大投資の反動とアミューズメント機器事業の見直し 2011年 トヨタ自動車 トヨタ自動車東日本の新設 他社との統合ではなく完全子会社3社を1社に統合し、東北を国内第3の生産拠点に据える 2011年 東京建物 SPC評価損で畑中誠辞任 出資SPCの評価損の一括計上による純損失717億円と、再開発・物件売却を両輪とする収益構造への組み替え 2010年 日本冶金工業 川崎・大江山を吸収合併 川崎・大江山の分社実験と、2010年の本体一体運営への回帰 2010年 セイコーエプソン SE07で中小型液晶を譲渡 電子デバイス事業の縮小と、中小型液晶ディスプレイ事業資産の譲渡

2000年代

2009年 エディオン デオデオがミドリ電化吸収合併 事業会社を東西2社へ集約後に持株会社が吸収合併、純粋持株会社体制から単一運営体制への移行 2009年 ムニノバHD 事業再生ADRで存続 大手4社で唯一、会社更生も銀行傘下入りも避けた独立系としての再建 2009年 ヤマハ発動機 柳弘之の構造改革と工場再編 リーマン後の構造改革と損益分岐点型経営への転換 2008年 日立化成 日立ハウステックの譲渡 投資ファンドへの株式売却による住宅設備事業からの撤退 2008年 ENEOS HD 新日鉱と経営統合 新日本石油を母体とする共同持株会社JXホールディングスの設立 2008年 中部電力 浜岡1・2号機の廃炉 運転終了と隣接地への6号機新設という設備更新の選択 2007年 ディスコ Will会計で収益構造改革 市況の谷でも黒字を保つ収益構造への作り替えと、経費管理レベルの導入 2007年 シチズン時計 電子デバイス事業から撤退 携帯電話向けカメラ部品と小型液晶パネルを切り離す選択と集中 2007年 アコム グレーゾーン金利の消滅 過払金返還への対応——崩れた収益モデルの再建 2006年 ライブドア マザーズ上場廃止後に現金化 上場廃止後の子会社売却による現金化と、解散を選ばなかった法人の存続 2006年 ヤマハ レクリェーション事業の撤退 減損会計の適用による損失の一括計上と、抱えてきた事業の整理 2005年 三越 横浜など4店を閉鎖 大阪・枚方・倉敷を含む不採算店の整理と早期退職の実施、新設合併による連結欠損金の一掃 2004年 富士フイルム 「VISION75」で第二の創業 本業の消失を前提に据えた構造改革と、事業の組み替え 2004年 日本精工 委員会等設置会社へ移行 2期連続の最終赤字を受けた、経営の監督と執行を分ける統治機構への作り替え 2004年 NTN 「NP21」で最高益に復活 部門間の壁の打破を掲げた全社運動による収益力の立て直し 2004年 GSユアサ 日本電池・ユアサ統合 株式移転による経営統合と、高槻事業所の閉鎖・希望退職を伴う減産 2004年 三菱自動車 ダイムラー撤退後の自主再建 三菱グループ各社の支援を軸とした自主再建体制への移行 2003年 JT 本田勝彦の国内工場閉鎖 好業績のうちに踏み切った工場の大量閉鎖と4,000人の削減 2003年 そごう 西武百貨店と経営統合 かつての商売敵との統合による、ミレニアムリテイリング傘下入り 2003年 丸井 青井浩の下で撤回された制度改革 組織制度改革——希望退職・成果主義・システム刷新の同時断行と撤回 2002年 雪印メグミルク 全農主導での再建受け入れ 市乳事業の切り離しと、農協系資本の下での経営の立て直し 2002年 NEC NECエレクトロニクス設立 主力事業だった半導体の分社化と、本体からの切り離し 2002年 三菱自動車 エクロート氏の構造改革 ダイムラー主導で進んだ、聖域を設けない再建計画の断行 2002年 岩谷産業 牧野明次の戸建住宅撤退 規模を追う経営からの決別と、収益源を水素へ移す先行投資 2002年 KDDI auのCDMA一本化とPDC除却 二方式の併走を解いてCDMAへ寄せ、稼働中のPDC設備1,283億円を一期で落とした資産の入れ替え 2001年 アスクル EC期待による株高の反動 株価の急落を受けた、岩田彰一郎社長による原点への引き返し 2001年 三菱化学 昭和電工等と事業統合 合成樹脂5社によるポリエチレン・ポリプロピレン事業の統合 2001年 三井金属 神岡鉱山を止め電子材料へ 鉱山の段階的縮小と、銅箔・TABを柱とする事業への転換 2001年 コマツ 坂根正弘の「ダントツ経営」 新体制が進めた経営構造改革とV字回復 2001年 セガサミーHD ドリームキャスト製造中止 セガの家庭用ゲーム機ハード事業からの撤退とソフトメーカーへの転身 2001年 パナソニック 中村邦夫氏「破壊と創造」 長年の事業部制の解体と、グループ5社を取り込む組織の作り替え 2001年 山水電気 福島工場閉鎖し生産撤退 自社で作る体制を手放し、生産機能を持たない事業構造への転換 2001年 ロイヤルHD 経営構造改革本部と129店閉店 4年間の店舗整理に伴う300億円超の特別損失処理 2001年 マルハ ギル&ダファスの損失処理 本社ビル証券化による穴埋め 2000年 グッドウィルG コムスン1208カ所を同時開設 公的介護保険の開始に合わせた全国一斉のケアセンター展開と、2か月半後の4割統廃合 2000年 赤井電機 セミ・テックの傘下入り 延命と、独立電機メーカーとしての終焉 2000年 伊藤忠商事 丹羽宇一郎の3,950億円一括処理 特別損失約3,950億円の一括計上によるバブル期 2000年 ゴールドウイン 卸型ビジネスからの転換 多角化事業の整理と自主管理売場への切り替え

1990年代

1999年 三菱ケミカルG 四日市エチレン停止 赤字事業の撲滅を通じた「脱・総合」への路線の切り替え 1999年 住友金属工業 和歌山製鉄所を再建 熱間圧延ラインの休止を含む、主力製鉄所の身の丈に合わせた立て直し 1999年 DOWA 吉川廣和の緊急対策 1999年の緊急対策に始まる事業構造改革と、ROAを物差しにした資産・人員の圧縮 1999年 NEC 西垣新社長への交代 過去最大の連結赤字の公表と、金子尚志社長の退任 1999年 兼松 総合商社からの撤退 1,500億円の債権放棄を伴う「構造改革計画」 1999年 名古屋鉄道 中部圏集中と不採算事業整理 多角化で広げた路線と関連会社の切り離し、本業への経営資源の絞り込み 1998年 田辺製薬 田中登志於の非常事態宣言 全社員に向けた危機認識の共有と、構造改革委員会の設置による立て直し 1998年 ジャストシステム ソニー出資による再建 「一太郎オフィス8」の失速による初の赤字と、人員削減を伴う外部資本の受け入れ 1998年 太平洋セメント 日本セメントと合併 太平洋セメントの発足と、浅野・小野田・秩父の三系譜の一体化 1998年 日本鋼管 トーア・スチールを清算 上場子会社の任意清算と、エヌケーケー条鋼への条鋼事業の承継 1998年 沖電気工業 DRAM事業から撤退 量産競争から降りたうえでの、半導体事業そのものの売却 1998年 ヤマハ発動機 マリン事業の構造改革 広げすぎた事業の整理と、船外機を軸に据えた資源の集中 1998年 ファミリーマート 伊藤忠商事グループ入り 西友による1,350億円での保有株譲渡と、親会社の交代 1998年 さくら銀行 三井物産・トヨタへ増資要請 三井グループ各社への総額約 1998年 東京海上HD 樋口公啓の販売網維持 料率自由化を前に直販へ踏み込まず、代理店経由の販売を軸に据える選択 1997年 森永製菓 エンゼルの森構想の見直し 菓子事業の社内分社と、構想を取り下げての本業立て直し 1997年 三菱石油 泉井事件で会長辞任 山田菊男会長の引責と泉谷良彦社長の続投という責任の分け方 1997年 ヤオハン ダイエーへ主力店売却 資金繰り危機下で主力16店、熱海の高収益店まで含めた稼ぎ頭の手放し 1997年 大丸 奥田務の利益第一主義改革 売上至上主義から海外百貨店からの撤退・売場業務の再設計 1997年 松坂屋 利益供与事件で岡田邦彦体制へ交代 総会屋への利益供与事件を受けた経営陣の退任と、不採算店舗の閉鎖・人員削減 1996年 キッコーマン プロダクトマネジャー制導入 商品ごとに責任者を置く体制づくりを通じた、事業運営の方針転換 1995年 キッコーマン トップダウン経営への転換 米国流を持ち込んだ、意思決定の様式そのものの作り替え 1995年 ツムラ 多角化子会社の整理 バブル期に広げた裾野の縮小と、創業家の外からの社長招聘 1995年 三菱商事 槙原稔社長の体制刷新 社長主導のトップダウン型の改革として進めた経営体制の作り替え 1995年 住友銀行 8000億円の不良債権償却 1995年3月期での一括処理に踏み切った結果としての、都市銀行初の経常赤字の計上 1995年 住友不動産 高島準司氏の現場再建 バブル不況からの再建——都心ビル路線の継続 1995年 東急 五島昇の死後の事業整理 五島家の個人支配の終焉と、バブル期に膨らんだ 1994年 ダイキン 井上礼之による空調改革 多角化の中止と、主力一本への経営資源の集中 1994年 三菱電機 北岡改革と社長引責辞任 長く3位にとどまった地位からの脱却を掲げた改革と、半導体投資の誤算 1994年 パナソニック 森下改革で事業部制回帰 事業本部の廃止と、社長直轄へ現場を戻す組織の作り替え 1994年 三井住友トラストG 麻布グループ再建案策定 取引先の再建案の策定と、1994年度の不良債権2,000億円の償却 1994年 小田急電鉄 小田急百貨店の再建 不採算資産の処理と、商品を絞った専門大店化による本業への立て直し 1994年 京王電鉄 京王百貨店の構造改革 自主MD化と専門大店化 1994年 靴のマルトミ 不採算店の一括閉鎖 180店の即時整理を含む、3年で380店を減らす経営改善計画 1993年 JSR フォトレジストへ集中投資 合成ゴム事業のリストラによる投資原資の捻出と、光・電子材料への集中投資 1993年 大塚商会 「大戦略」で顧客情報一元化 支店ごとに分かれていた情報の集約を軸とする経営刷新構想の策定 1993年 横浜ゴム 萩原晴二への社長交代 冨永靖雄氏へと受け継がれた、危機感に発するコスト削減と構造改革の10年 1993年 日本ビクター 無配転落を受けたリストラ 上場以来初の無配に沈んだ経営再建と、単一規格に偏った体質の改造 1993年 横河電機 美川英二の解雇なきリストラ 人員整理に頼らずに進めた収益構造の立て直しと、雇用を守る経営路線の選択 1993年 日産自動車 座間工場の生産中止 主力拠点の車両生産打ち切りと、規模の拡大を追わない事業構造への転換 1993年 日本航空 公社体質との決別 民営化後初の大幅赤字を受けて着手したコスト構造の全面的な見直し 1993年 日本アイ・ビー・エム 初の赤字とリストラ 三次にわたる人員と事業の絞り込みによる収益構造の立て直し 1992年 ハウス食品G本社 チルド食品事業の撤退 低シェア事業は持たないという方針に沿った全面撤退 1992年 ジャパンエナジー 日鉱金属を分離設立 金属3部門を切り出しての新会社化と、東証一部への子会社上場 1992年 ローム 佐藤研一郎の受注整理 半導体不況下の受注整理と生産改革 1992年 ペンタックス 松本徹氏の再建組織委員会 再建組織委員会の設置と、人員削減によらない全社コストダウン、カメラ生産の海外移管 1992年 ミノルタ ハネウェルとの特許和解 陪審評決を受けて控訴を見送り、1億2,750万ドルを支払う決着 1992年 丸紅 鳥海巌による初期リストラ 財テクによって生じた損失の後始末と、経営体質の立て直し 1991年 東ソー エチレン増設と事業撤退 バブルをまたいだ強気拡張と反動、10事業の整理と塩ビへの選別再投資 1991年 日立化成 丹野毅の低収益製品見直し 好況のうちに低収益の品目を選り分け、抱えきれない範囲の切り捨て 1991年 横浜FG リテール重視への転換 国際・証券部門の不振を受けた海外展開の縮小と地元市場への回帰 1990年 ヤマハ 多角化路線の見直し 2期連続の減益を受けた事業の絞り込みと、減量経営への転換

1980年代

1989年 タカラトミー 流山工場の閉鎖と分社化 円高危機を受けた生産拠点の整理と、つくる機能を切り離す経営再編 1988年 片倉工業 熊谷工場休止で蚕糸撤退 蚕糸事業を1製糸工場・1蚕種製造所へ集約し、製造業務から完全に撤退 1988年 本州製紙 釧路工場の子会社譲渡 主力拠点の売却代金1,198億円の借入金返済への充当 1987年 日本製鉄 第4次合理化で能力賃金導入 管理職の処遇を年功から実力本位へ改める人事制度の転換 1987年 住友重機械工業 造船・製鉄機械部門の希望退職 主力2部門を対象とした1,700人の人員削減と事業規模の縮小 1987年 IHI 造船依存からの事業転換 造船不況の直撃を受けた事業構成の抜本的な作り替え 1986年 カナデビア 因島・向島工場を縮小 二度の合理化策による人員・設備の削減と生産拠点の絞り込み 1985年 三井化学 浮島集約と超石化転換 エチレン生産の一極化と、汎用品からの脱却を掲げたビジョンの提示 1985年 藤沢薬品工業 ピコレットなどライオンへ譲渡 トイレ用芳香剤を含む家庭用品20品目の一括での切り離し 1985年 日本国有鉄道 分割民営化でJRへ移行 旅客6社・貨物1社に分ける案の提言と、一体経営の終幕 1983年 ヤマハ発動機 HY戦争での敗北 敗北の代償として受け入れた、年産半減までの縮小再建 1982年 日本国有鉄道 三塚委員会への情報提供 国鉄内部の改革派の形成と、臨調 1980年 明治製菓 薬品部門への経営資源集中 不採算な菓子工場の閉鎖による食品事業の構造改善と主力の入れ替え

1970年代

1979年 日東紡績 特化作戦による事業絞込 「特化作戦」による多角化からの絞り込みと品質重視への転換 1979年 NTN 等速ボールジョイントで回復 守りから攻めへの転換と、需要変動に合わせて生産量を調整する体制の立て直し 1978年 鹿島建設 石川六郎氏がTQC導入 全社的な品質管理の導入による経営体質の立て直し 1978年 帝人 大屋晋三の2600人削減 減量経営による約2,600名の人員削減 1978年 東京製鐵 江戸川工場閉鎖と電炉化 岡山工場の平炉停止とあわせて進めた電炉一貫体制への移行 1977年 東京海上HD GoGo作戦の開始 序列の維持ではなく、創業100周年の1979年度に保険料収入5,500億円とシェア1%増を掲げた3年計画 1975年 ユニチカ 名古屋・犬山・桐生工場閉鎖 一度に3拠点を手放す国内生産体制の縮小と減量経営への転換 1975年 日本軽金属HD 日軽アルミ吸収で垂直統合 アルミ製錬の拡張計画の撤回と、減量経営・垂直統合への転換 1975年 九州電力 玄海1号機による電源多角化 石油に頼りきった発電構成から抜け出すための、原子力を先頭に据えた組み替え 1974年 日立建機 土浦一貫生産への集約 製販統合による新生日立建機の発足と、足立工場の閉鎖 1974年 日本光電工業 危機突破2-4作戦 無配転落下での減量経営「」と、復配目標「0、1、2、3計画」の設定 1974年 コクヨ 黒田暲之助の受注残240億円撤回 受注残240億円の全件白紙撤回と紙製品の3割減産、三事業部制への移行 1970年 日本セメント 大型工場へ生産集約 小規模工場を関連製品で自立させる第1次体質強化策の実行 1970年 常磐興産 常磐湯本温泉観光を吸収合併 石炭生産部門の新会社への営業譲渡と、常磐炭礦から常磐興産への商号変更 1970年 日本国有鉄道 生産性向上運動の中止 全国展開した労使協調路線の、不当労働行為認定による撤回

1960年代

1950年代

1940年代

1930年代

再建・危機対応のほかの問い

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