好業績下で断行した国内たばこ事業の構造改革——工場の大量閉鎖と4,000人削減

縮む国内市場を前に、本田勝彦社長はなぜ稼げるうちに工場と人員を削ったのか

更新:

時期 2003年8月
意思決定者 本田勝彦 社長
論点 国内たばこ事業の構造改革と縮小均衡
概要
2003年8月6日、日本たばこ産業(JT)が単独社員の約2割にあたる4,000人の希望退職募集と国内たばこ工場の追加閉鎖を柱とする大規模リストラ策を発表した経営判断。前年2002年7月に打ち出した国内8工場の閉鎖に続く国内構造改革の中核で、初の生え抜き社長である本田勝彦社長のもとで進められた。
背景
喫煙人口は1998年にピークを越え、増税と健康志向の高まりで国内たばこ市場は構造的な縮小へ入っていた。専売公社時代に雇用確保を目的として全国へ張り付いた小規模で老朽の工場群は、民営化と上場で利潤の最大化を求められる会社にとって重い固定費であった。
内容
2002年7月に国内たばこ工場8カ所と営業7拠点の統廃合を、2003年8月には単独社員1万7,500人の約2割にあたる4,000人の希望退職と工場の追加閉鎖を打ち出した。2005年4月には米フィリップ・モリスの「マールボロ」を国内で作り売るライセンス契約も終了し、稼ぎ頭の一つを手放した。
含意
リストラ特損の一巡した2006年3月期に純利益1,890億円と過去最高益を更新する一方、国内シェアは専売公社時代の98%から2006年に65%台まで下がった。国内で稼ぐ力を整えたことがギャラハー買収(2007年)の投資余力を生み、海外で攻め国内で縮む二正面の経営が定着していった。
筆者の見解

稼げるうちに畳むという論理

この構造改革の中心にあったのは、市場が本格的に縮む前に、まだ稼げるうちに拠点と人員を削るという判断であった。喫煙率の低下と増税で国内需要の先細りが避けられないと見たJTは、危機に追われて縮むのではなく、好業績のうちに固定費を軽くする道を選んだ。効率の論理としては一貫しており、そのつど利益を守った点で成果もはっきりしている。ただ、その対象が、専売公社という国家財政の装置として全国の産地に張り付いた工場群であったために、この判断は単なる生産再編を超えて、地方の雇用と会社の来歴にどう向き合うかを問う場面にもなったとみることができる。

もっとも、稼ぐたびにリストラを重ねる構図は、別の重さも残した。人員削減が利益を下支えする限り、削減の効果が一巡すれば次の削減が期待されるという循環に入りやすい。国内で縮んだ分を海外で埋める二正面の経営は、たばこを中核に据える限りほぼ必然の帰結ではあったが、それは国内市場の縮小を前提として初めて成り立つ均衡でもあった。稼げるうちに畳むという選択が、会社をどこまで身軽にし、どこから縮小そのものを常態にしてしまったのか——その境目は、なお見極めの難しいところに残されているといえる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

縮みゆく国内たばこ市場

日本たばこ産業(JT)の収益は、国内たばこ事業に深く依存していた。この事業が連結営業利益の8割を占めるなかで、その柱に先細りの懸念が強まっていた。喫煙人口とされる20〜65歳の人口は1998年にピークを越え、少子高齢化に禁煙意識の高まりも重なって国内市場の長期縮小は避けられそうになかった。国内のたばこ販売本数は1999年度以降、3年連続でマイナス成長となり、JTは2002年の中期経営計画で「今後3年間の国内総需要は年平均1%ずつ減少する」と、初めて公式に需要減の見通しを示した[1]

市場そのものの縮小は、その後も止まらなかった。日本のたばこ総需要は1996年度の3,483億本をピークに減り続け、2012年度には1,951億本と最盛期の6割弱まで落ち込んだ。健康志向の高まりで喫煙率が年々下がり、そこへ相次ぐたばこ増税が追い打ちをかけた。稼働率の下がった国内工場の多くは、遅かれ早かれ閉鎖を迫られる位置に立たされていた。JTが2000年代前半に踏み込んだ構造改革は、この長い縮小の入り口で下された判断であった[2]

専売公社が残した過剰な生産体制

JTが抱えていた国内工場の数は、市場の実勢とかけ離れていた。旧日本専売公社の時代には、雇用の確保を目的とする国策として、葉たばこ産地に隣接するかたちで全国に数十の工場が置かれていた。だが多くは古く、従業員が数百人規模の小さな工場が各地に点在し、生産効率は悪かった。1985年の民営化と1994年の株式上場を経て、JTは一般企業と同じように利潤の最大化を求められる立場へと移り、外部株主の目も加わって、適正な生産規模をより厳しく問われるようになっていた[3][4]

生産体制の重さに加え、国内市場ではもう一つの矛盾が芽生えていた。JTは1999年に米RJRナビスコの海外たばこ事業を買収し、海外ではフィリップ・モリス(PM)と激しく競い合う一方で、国内ではPMの「マールボロ」を委託を受けて生産・販売していた。マールボロは若年層を中心に支持を広げ、その国内シェアは2002年に6.2%と1998年比で1.5倍へと伸びており、敵に塩を送る格好になっていた。委託販売はJTの数量を下支えする一方で、契約が続くほど解消時の反動が増す構造をはらんでいた[5]

決断

8工場閉鎖から4,000人削減へ

最初の大きな一手は、2002年7月4日に打たれた。JTはこの日、3年内に国内たばこ製造工場を8カ所閉鎖し、東京・大阪など営業7拠点を統廃合すると発表した。国内生産拠点の3分の1を一気にたたむ荒療治で、閉鎖する工場の数は全体の3割にのぼったが、その生産量は全体の13%にすぎなかった。生産性の低い工場を先に畳む選別であった。筧正三副社長はこの狙いを「生産性の低い工場の閉鎖で競争力を高め、中期経営計画を達成するため」と説明した。跡地は売却し、工場従業員770人の大半も事実上、希望退職の対象となった[6]

この改革は、わずか1年で規模を広げた。2003年8月6日、JTは4,000人の希望退職者募集と国内工場の追加閉鎖を柱とする大規模リストラ計画を打ち出した。全国31支店の2割を統合し、本社間接部門も見直して、単独社員1万7,500人の約2割にあたる4,000人を2005年度末までに削減する内容であった。前年に8カ所としていた工場閉鎖に、さらに5〜6カ所を上乗せする。本田勝彦社長は市場の縮みを「予想以上」と述べ、2003年7月の増税も踏まえて市場の縮小幅を年率3%減へと厳しく見積もり直した[7]

マールボロ返上と海外シフトの表裏

4,000人削減の判断を後押ししたのが、稼ぎ頭であったマールボロの去就であった。PM製のマールボロはJTの国内販売本数の11%を占め、連結営業利益1,890億円のうち500億円を稼いでいた。2005年4月末に期限を迎える国内の生産・販売ライセンス契約について、JTは「双方が納得して」更新しない道を選んだ。海外でPMと戦うJTが国内でマールボロを売り続ける矛盾を断つ選択であり、同時に年間400億円規模のライセンス料に見合う利益を自ら手放すことでもあった。その逸失利益を埋めるうえでも、固定費の圧縮は避けて通れなかった[8]

JTがこの構造改革に踏み切った理由は、二つに整理できる。一つは国内たばこ需要の低下に備えた固定費の削減、もう一つは海外たばこ市場へ主力を移すためであった。計画は順次実行へ移され、2005年には上田・函館・高崎・高松・徳島・臼杵・鹿児島・都城の国内8工場が閉鎖された。1970年代後半から続いてきた工場集約の流れが、市場縮小を背景にこの時期へ一気に集中した形であった。国内で身軽になった分だけ、経営は海外へと傾いていった[9][10]

結果

史上最高益とシェア低下の併存

リストラの数字は、まず利益に表れた。JTは2005年から2006年にかけて国内従業員の3分の1にあたる5,800人の早期退職を断行し、その多くには通常の退職金に加えて平均3,000万円の特別退職金が上乗せされた。特別損失の計上で2004年3月期の連結最終損益は76億円の赤字へ沈んだが、特損が一巡した2006年3月期には純利益が前期の3倍、1,890億円と過去最高を更新した。株価も2003年9月の70万円台から、2005年12月には183万円まで駆け上がった。業績も株価も、一気に山を登った時期であった[11][12]

もっとも、利益の回復と裏腹に、国内の足元は痩せていった。専売公社の時代には98%に達していた国内シェアは、マールボロの返上もあって2006年には65%台まで下がると見込まれた。2006年3月期の増益額を分解すると、マールボロ返上による減益470億円を、海外たばこの増益215億円と人員削減の効果570億円で埋め合わせる姿であった。稼ぐ力を人員削減で捻り出す構図が繰り返されるなかで、JTには「リストラでしか利益を出せない会社」というレッテルさえ貼られた[13]

好業績下でなお続いた工場閉鎖

2000年代前半の構造改革は、一度で終わらなかった。2013年10月30日、JTは福島県の郡山工場と浜松工場、原材料の平塚工場、岡山印刷工場の合計4工場を閉鎖し、あわせて1,600人規模の希望退職を募ると発表した。本体社員の2割弱にあたる規模であった。この年度、JTは過去最高の営業利益を更新する見込みでありながら、なお国内の生産と人員に手を入れた。宮崎秀樹副社長は「企業体力がある今なら、退職一時金の割り増しや再雇用支援も、十分にできる」と、好業績のうちに踏み切る理由を語った[14][15]

一連の集約の結果、民営化した1985年に50あった国内工場は、2016年3月末には5工場まで減った。30年で9割を畳んだ計算になる。国内で生産と人員を絞り込む一方、JTが力を注いだのは海外であった。2007年には英ギャラハーを約2兆2,500億円で買収し、2009年には海外たばこの売上高が国内を逆転した。稼働率の下がった国内工場を閉じて捻出した現金と余力が、海外での規模拡大を支える構図であった。国内で縮み海外で伸びる二正面の経営は、この構造改革を土台として定着していった[16]

出典・参考
  • 週刊東洋経済 2002年7月20日号「リストラ一気の8工場閉鎖でも JT改革にまだ残る課題」
  • 週刊東洋経済 2003年8月23日号「JTの大規模リストラ 生え抜き社長の土壇場 4000人削減の“切実度”」
  • 週刊東洋経済 2006年1月28日号「大リストラで「公社意識」は変わったか “独占”でもシェア低下 JT、遅れた社内改革」
  • 週刊東洋経済 2014年3月7日号「工場は日本で成立するのか 民営化で残ったのは、50工場中の5工場 国内大リストラのJT」
  • 日本経済新聞(2013年10月30日)「JT、国内4工場閉鎖へ 社員も2割近く削減 販売減少で事業再編」
  • 日本たばこ産業 有価証券報告書【沿革】
  • 日本たばこ産業 有価証券報告書(2003年3月期・連結)
  • 日本たばこ産業 有価証券報告書(2004年3月期・連結)