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石川六郎社長のTQC導入による経営体質改善

1978年実施

石油危機後の低成長期に、女婿として社長を継いだ石川六郎氏はなぜ品質管理を建設業へ持ち込んだのか

時期 1978年2月
意思決定者 石川六郎(社長)
論点 低成長期の経営体質改善と品質管理
概要
1978年2月、鹿島守之助会長の女婿として社長を継いだ石川六郎氏が、TQC(総合的品質管理)の実施を経営の基本課題に据え、製造業で実績のあった品質管理手法を建設業に持ち込んで経営体質の改善に取り組んだ経営判断。
背景
1973年の第1次石油危機は建設市場に需要の低迷をもたらし、その2年後の1975年には1938年から経営を率いた鹿島守之助会長が逝去した。低成長期にどう収益力を立て直すかが、新体制の課題となった。
内容
石川社長は低成長期に対応して経営体質を改善するため、TQC(総合的品質管理)の実施を基本課題に掲げた。工場での品質管理として発展してきた手法を、一品ごとに条件の異なる建設現場の管理へ応用した。
含意
収益は1980年度から上向き、1981年度には受注高が業界初の1兆円に達した。1982年にはデミング賞実施賞を受賞し、受注規模と品質管理の両面で業界をリードする存在として認知された。低成長期の課題に品質管理で応えた取り組みが、続く受注拡大の下地となった。
筆者の見解

低成長期を、価格ではなく品質管理で乗り切る

この経営判断の核心は、市場が縮むなかで、値下げによる受注争いではなく、品質と管理の徹底という遠回りに見える道を選んだ点にある。石油危機で需要が細り、頼みとしてきた創業家会長も失うなかで、石川社長は工場向けと見られていたTQCを建設業へ持ち込んだ。一品ごとに条件の異なる現場を規格品の工場と同じようには扱えないという反論もあり得たはずだが、鹿島建設は全社的な取り組みとしてこれをやり遂げ、受注高業界初の1兆円とデミング賞実施賞という形で成果を確かめた。

もっとも、1981年度の受注1兆円やその後の増収には、1980年代の建設需要の回復という外的な追い風も働いており、TQCだけがすべてを生んだわけではない。それでも、低成長期に価格競争へ逃げ込まず、品質管理で経営体質を鍛え直した選択は、続くバブル期の受注拡大を支える土台となった。規模の拡大そのものより、市場が縮んだときに何で稼ぐか――石川社長のTQC導入は、その問いに品質と管理という答えを与えた経営判断だったとみることができる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

石油危機後の建設市場低迷と創業家会長の逝去

1963年に受注高で世界1位に立ち、1968年には日本初の本格的超高層・霞が関ビルを完成させて、鹿島建設は超高層・原子力など先端分野で先行してきた。だが1973年の第1次石油危機は建設市場にも需要の低迷をもたらし、高度成長期の旺盛なインフラ投資に支えられた受注環境は一変した。その2年後の1975年、1938年から長く経営を率いた鹿島守之助会長が逝去した。市場の縮小と創業家の求心力の喪失が重なるなかで、低成長期にどう収益力を立て直すかが経営の課題となった[1]

女婿・石川六郎氏の社長就任

1978年2月、鹿島守之助会長の女婿である石川六郎氏が社長に就任した。1938年に守之助会長が社長に就いて以来、経営の中心には長く創業家の当主があったが、その逝去を経て、低成長期の立て直しは女婿が率いる新体制に託された。石川社長が最初に据えた課題は、拡大ではなく、市場が縮んでも利益を出せる経営体質への改善だった[2]

決断

建設業へのTQC(総合的品質管理)導入

石川社長は、低成長期に対応して経営体質を改善するため、TQC(総合的品質管理)の実施を基本的な課題に据えた。TQCは、工場で不良を減らし品質を高めるために製造業が磨いてきた管理手法である。一品ごとに立地も条件も異なり、規格品を作る工場とは性格の違う建設現場に、この手法を全社的に持ち込むことは、当時の建設業では踏み込んだ選択だった。受注環境が悪化するなかで、価格ではなく品質と管理の徹底で収益力を立て直そうとする狙いがあった[3]

結果

受注高業界初の1兆円とデミング賞実施賞

TQCの取り組みは数字となって表れた。収益は1980年度から上向き、1981年度には受注高が業界初の1兆円に達した。単体の売上高も、石川社長就任時の1978年11月期の5756億円から、1982年11月期には8631億円へ伸びた。石油危機後の低迷を抜けて、鹿島建設は受注規模で業界トップの地位を固めた[4][5]

品質管理そのものの評価も得た。1982年、鹿島建設はデミング賞実施賞を受賞した。品質管理の普及に功績のあった企業に贈られるこの賞を建設会社が受けたことは、工場向けと見られてきたTQCが建設現場でも成果を上げることを示した。受注規模と品質管理の両面で業界をリードする存在として広く認知され、1984年には鹿島昭一氏が社長を継いだ。低成長期に品質管理で築いた収益基盤が、1980年代後半の受注拡大へ引き継がれた[6][7]

出典・参考
  • 日本会社史総覧(東洋経済新報社, 1995)
  • 会社年鑑(単体)
  • 鹿島建設 有価証券報告書【沿革】