鹿島の歩みが示すのは、一人の大工棟梁の家業として江戸期に生まれた起こりと、1930年の株式会社化という近代企業としての出発が、90年の隔たりをもって二層に重なっている点である。1840年に京橋で店を構えた鹿島岩吉氏の個人営業は、法人でも資本市場でもなく、大名屋敷と町家の普請を直接受ける職人の請負として続いた。その長い個人棟梁の時代に蓄えた大規模建築の技術と得意先が、のちの横浜の洋館建築や鉄道土木への進出を担う人と技の下地になっていたのだろう。
もう一つ見えてくるのは、実績のある業態をあえてたたんで次の主力へ移る判断が、この会社で繰り返されてきたことである。2代目・岩蔵氏が洋風建築の"鹿島方"を解散して鉄道専業の鹿島組へ移り、3代目・精一氏が個人営業を株式会社へ改め、鹿島守之助氏が鉄道専業を総合建設へと広げた流れは、いずれも既存の強みに安住せず業態を組み替える選択の連なりとして読める。江戸京橋の一棟梁から近代の総合建設会社へと姿を変えた初期百年余りの歩みが、その後の技術内製化と事業多角化を支える下地になっていったといえる。