鹿島建設の決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

前例のない構造物を最初に引き受けることを、受注の条件にしてきた。1918年着工の丹那トンネルでは、毎秒3.3立方メートルの湧水と大断層の崩壊に対し水抜トンネル・グラウト・シールド工法を投入し、16年をかけて1934年12月に開通させた。1949年4月に建設業界で初の技術研究所を新設して研究開発を自社に置き、1956年起工の東海村・日本原子力研究所第1号原子炉を清水建設との共同企業体で施工して、以後は原子力発電本館で業界一の実績を積む。1963年には年間受注高で世界1位へ立った。1968年4月には日本初の柔構造超高層となる霞が関三井ビルを完成させ、耐震構造の武藤清氏を副社長に迎えて特許・新案80件超を得ている。1978年2月のTQCの導入で受注高は業界初の1兆円を達成し、デミング賞実施賞につながった。

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