筆者の見解
好況の絶頂で立てた計画が、不況の入り口で覆される
この決断の芯にあるのは、好況の絶頂で立てた計画が、不況の入り口で覆されるという逆説である。1985年のシミズスプリング計画は、建設周辺から異業種まで裾野を広げる将来図を描いたが、その後の空前の建設ブームによって皮肉にも本業の存在感がかえって増し、多角化目標は宙に浮いた。今村治輔社長が就任時に語った『デベロッパーなどの新規分野を広げていく』という攻めの構えも、就任からわずか半年ほどでバブル崩壊という現実に押し戻された形になった。"遅まきながら"という当時の評言が示すように、SHIMZ-21による本業回帰は、市場の反転を追いかけるように打ち出された判断と推察される。
もっとも、この判断が単なる守りへの転換ではなかった点は見落とせない。本業回帰と同時に打ち出されたのは、長らく手薄だった関西市場への攻勢であり、近畿営業本部の新設や関西総支配人への権限集中は、縮小均衡ではなく新たな成長領域への再配分を意図していた。ただし業界の反応が"まずはお手並み拝見"にとどまったように、掲げた数値目標の実現にはなお時間を要する構えであったこともうかがえる。バブル崩壊後の受注低迷が長期化するなかで、経費削減が経営課題の中心に据えられていったことは、2000年に売上高3兆円を目指した長期ビジョン発表当初の熱量とは、いくぶん異なる展開であったといえる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月