東京海上ホールディングスGoGo作戦の開始:序列の維持ではなく、創業100周年の1979年度に保険料収入5,500億円とシェア1%増を掲げた3年計画

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時期 1977年4月
意思決定者(推定) 菊池稔 東京海上火災保険 社長
論点 経営目標の立て方と体質強化
概要

1977年4月、東京海上火災保険は創業100年に向けた3年間の経営体質強化計画を始めた。GoGo作戦と名づけた社内運動で事務処理を総合的に合理化し、創業100周年にあたる1979年度に保険料収入5,500億円・マーケットシェア1%アップという数値目標を掲げる。菊池稔社長のもとで決めた、業界内の序列ではなく自ら置いた数字で経営を測る運動である。

背景

保険事業は保険業法により大蔵大臣の免許を要し、過去25年間、新規参入は一切認められていなかった。保険料率は損害保険料率算定会などが算定して大蔵大臣の認可を受ける横並びで、体力の劣る会社でもやっていける水準に置かれる。この護送船団行政のもとで首位は動かなかったが、損保22社の正味保険料に占める東京海上のシェアは昭和41年度の16.6%から49年度の15.6%へ、8年で1ポイント下がっていた。

内容

運動の中身は、営業拠点の設置といった量的な拡大の転換と、事務処理の合理化による経営の質的向上だった。誌面はこれを100年間のアカ落としと呼んでいる。菊池稔社長は 『GOGO作戦は営業拠点の設置など、これまでの量的な拡大を転換し、経営の質的向上を図るもの。社内の意思統一が簡単にできるので、これからもシェアや収益がかなり伸びると思う』 と語った。目標年度の1979年度に保険料収入5,500億円・シェア1%アップをともに達成し、以後は1980年・85年・90年と3〜5年の中期経営計画を継いだ。

含意

正味収入保険料は1977年3月期の3,090億円から1983年3月期の5,626億円へ、6年で1.8倍になった。1978年7月に社長を継いだ渡辺文夫氏は、量の保険料と質の純資産の双方で世界一を目指すとし、1977年度で保険料は世界6位・純資産は世界2位という自社の位置を示したうえで、名実ともの世界一は西暦2000年ごろと見通した。3年ごとに数字を置き直す型は、ここから常態になる。

筆者の見解

比較で測る会社から、数字で測る会社へ

GoGo作戦は効率化運動という名前のわりに、実際には自らの測り方を変える決断だった。免許制と認可料率に守られた業界で、東京海上の位置は常に他社との比較でしか語られてこなかった。『損害保険業界には、1位はあっても2、3位はない』という言い方がそれである。だが比較で見ているかぎり、シェアが16.6%から15.6%へ8年かけて1ポイント落ちても、首位である事実は動かない。創業100周年という期限を切り、保険料収入5,500億円・マーケットシェア1%アップという自分だけの数字を置いたとき、東京海上は他社にではなく目標に対して負けうる会社になった。

もっとも、この運動が数字を動かしたと言い切るのは難しい。正味収入保険料は1977年3月期の3,090億円から1983年3月期の5,626億円へ伸びているが、自動車保険と積立保険が広がった時代の追い風と運動の効き目は分けられない。むしろ残ったのは型のほうだろう。1980年・85年・90年と3〜5年の計画を継ぎ、1982年からはGT運動を重ねている。後任の渡辺文夫氏が保険料6位・純資産2位という自社の順位を臆せず口にできたのも、社内が数字で自社を語る言葉を持ったからだとみることができる。

Yutaka Sugiura, 2026年9月

計画の枠組み

科目 概要 備考
計画の名称 経営体質強化計画(社内運動名はGoGo作戦) 1977年4月開始。事務処理を総合的に合理化して業績を上げる効率化運動
期間 1977年度から1979年度までの3年 目標年度の1979年度は、1879年8月の創業から100周年にあたる
目標① 保険料収入5,500億円 1978年3月期の正味収入保険料は3,502億円だった
目標② マーケットシェア1%アップ シェアは昭和41年度16.6%から49年度15.6%へ8年で1ポイント低下していた
運動の中身 量的な拡大から経営の質的向上へ 営業拠点の設置といった拡大の転換。誌面は100年間のアカ落としと呼んだ
決めた人 菊池稔(社長) 1972年6月就任。1978年7月に渡辺文夫が後任の社長に就いて計画を継いだ
結果 1979年度に両目標とも達成 保険料収入5,500億円とマーケットシェア1%アップをともに達成した
後続の計画 1980年・85年・90年の中期経営計画 3〜5年の計画を3回にわたり逐次実施。1982年4月からGT運動を1年間

出所:日本会社史総覧(1995年)「東京海上火災保険」 / 日経ビジネス 1978年5月8日号「東京海上火災保険 厚い人材の秘密は入社後の教育と処遇」

東京海上ホールディングス:正味収入保険料と当期純利益の推移(単体)

(億円) 正味収入保険料当期純利益 備考
1973年3月期 1,635162
1974年3月期 1,942159
1975年3月期 2,326145 業界2位の安田火災は1,734億円、3位の大正海上は1,165億円
1976年3月期 2,681150 シェアは昭和41年度16.6%から49年度15.6%へ8年で1ポイント低下
1977年3月期 3,090196
1978年3月期 3,502162 1977年4月にGoGo作戦を開始。3年間の経営体質強化計画の初年度
1979年3月期 3,954203
1980年3月期 4,751207 1979年度は創業100周年。目標の5,500億円は正味収入保険料とは基準が異なる
1981年3月期 5,050245 1980年から3〜5年の中期経営計画を逐次実施する型に移る
1982年3月期 5,337229 1982年4月から1年間にわたるGT運動を開始
1983年3月期 5,626219
正味収入保険料
正味収入保険料(億円)

出所:会社年鑑(1976年版)掲載の東京海上火災保険 単体業績(1973年3月期〜1975年3月期) / 会社年鑑(1986年版)掲載の東京海上火災保険 単体業績(1976年3月期〜1983年3月期) / 日経ビジネス 1975年12月22日号「東京海上火災保険 保護行政にあった独走の秘密」(昭和49年度の他社比較・シェア)

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出典・参考
  • 日本会社史総覧(1995年)「東京海上火災保険」
  • 日経ビジネス 1975年12月22日号
  • 日経ビジネス 1978年5月8日号
  • 日経ビジネス 1978年9月11日号
  • 日経ビジネス 1979年10月22日号

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