渡辺文夫

東京海上ホールディングス・元取締役社長

Watanabe Fumio(敬称略)

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社長就任 1978年7月
生年月日 —
学歴 東京帝国大学経済学部
出自 —
社長就任までの出自
出自

1939年に東京海上火災保険へ入社した。1968年に取締役、1971年に常務取締役、1975年に専務取締役、1977年に取締役副社長と昇格を重ね、副社長から社長へ就任した。入社から社長就任までの39年を社内で勤め、取締役に就任した1968年から数えて10年で社長に届いている。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1978年7月、菊池稔氏の後任として取締役副社長から社長に就任した。1978年3月期の収入保険料は3502億円だった。1977年から1979年にかけての経営体質強化計画が進行中で、1977年4月にはGoGo作戦と名づけた社内運動が始まっていた。正味保険料で業界首位を保つ一方、大衆保険での弱さが指摘されていた。

在任中の主な施策
施策

創業100周年にあたる1979年度に、保険料収入5500億円とマーケットシェア1ポイント上積みの目標を達成した。1977年度の実績で保険料は世界6位、純資産は米ステートファームに次ぐ世界2位。東京海上は保険料だけでなく質と純資産でも世界一に立つことを目標に掲げ、達成時期を西暦2000年ごろに置いた。1979年10月時点の資産は1兆円、海外は30カ国48カ所に拠点を開設した。1982年には業界初の全種目オンラインを完成させた。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1939〜1984年
在任中の業績
就任前(FY77)3,502億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-

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