- 創業
- 1878年12月に日本初の保険会社として設立され、翌1879年8月に営業を始めた。渋沢栄一氏の主唱で、岩崎弥太郎氏をはじめ旧藩主が金禄公債を持ち寄って出資した。初代頭取は華族出身の政治家である蜂須賀茂韶氏で、伊達宗城氏、池田茂政氏と旧藩主が座を継いだが、1896年で途切れた。以後トップに出資者の家系は戻っていない。
- 登用
- 持株会社を置いた2002年以降の社長は石原邦夫氏・隅修三氏・永野毅氏・小宮暁氏・小池昌洋氏の5人で、全員が東京海上火災保険への新卒入社である。外部から招いた社長はいない。入社から就任までは31年から38年、出身学部は法学・商学・理工・工学と割れていて、学部で絞り込まれた形跡はない。
- 任期
- 英国での損失から会社を立て直した各務鎌吉氏は1925年から14年トップの座にあったが、戦後の長期政権は田中徳次郎氏の10年が最後である。2001年以降は6月の総会ごとにきっかり6年で代わり、永野毅氏も小宮暁氏も6年で会長へ退いた。2025年6月に就いた小池昌洋氏も同じ区切りが想定されていると思われる。
- 含意
- 2023年12月に企業保険の価格調整で業務改善命令を受けたが社長は代わらず、小宮暁氏は6年を務めて会長へ移った。取締役17名のうち9名が社外になった一方、指名委員会5人の2人は小池昌洋氏と小宮暁氏で、後任候補を先に挙げるのも社長である。委員会は答申するだけで、決めるのは取締役会である。
1946〜1955年・10年
1956〜1964年・9年/生え抜き
1965〜1970年・6年/生え抜き
1971〜1977年・7年/生え抜き
1978〜1982年・5年/生え抜き
1983〜1988年・6年
1989〜1994年・6年/生え抜き
1995〜1999年・5年/生え抜き
2000〜2005年・6年/生え抜き
2006〜2011年・6年/生え抜き
2012〜2018年・7年/生え抜き
2019〜2024年・6年/生え抜き
小池昌洋現任
2025年〜現在・2年/生え抜き
小池昌洋
こいけ まさひろ
生え抜き(1994年入社)。北米駐在と中南米事業の担当を経て、53歳で社長へ
小宮暁
こみや さとる
生え抜き(1983年入社)。日新火災海上保険の取締役常務執行役員、持株会社の経営企画部長・専務取締役を経て社長へ
永野毅
ながの つよし
生え抜き(1975年入社)。東京海上日動火災保険の社長を兼務したのち持株会社の社長へ
隅修三
すみ しゅうぞう
生え抜き(1970年入社)。ロンドン首席駐在員から常務・専務へ進み、抜本改革推進本部長を経て社長へ
石原邦夫
いしはら くにお
生え抜き(1966年入社)。商品開発・営業・情報システム部門と北海道本部長を経て社長へ。2002年4月のミレアホールディングス設立で持株会社の初代社長を兼務
樋口公啓
ひぐち こうけい
生え抜き(1960年入社)。人事畑を歩み、取締役・常務・専務を経て社長へ
河野俊二
こうの しゅんじ
生え抜き(1951年入社)。人事部長から取締役、副社長を経て社長へ
渡辺文夫
わたなべ ふみお
生え抜き(1939年入社)。取締役・常務・専務・副社長と階段を上り、菊池稔の後任として社長へ
菊池稔
きくち みのる
生え抜き(1934年三菱海上火災保険入社)。1944年の三社合併で東京海上火災保険へ移り、米国駐在を経て社長へ
山本源左衛門
やまもと げんざえもん
生え抜き(1930年入社)。満洲火災保険への出向をはさんで復職し、人事畑から社長へ
高木幹夫
たかぎ みきお
生え抜き(1923年入社)。取締役・常務取締役を経て社長へ