菊池稔

東京海上ホールディングス・元取締役社長

Kikuchi Minoru(敬称略)

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社長就任 1972年6月
生年月日 —
学歴 東京帝国大学法学部政治学科
出自 —
社長就任までの出自
出自

1934年4月に三菱海上火災保険へ入社した。三菱海上は1913年に三菱合資会社内へ設けられた保険課を源流とし、1919年3月に資本金500万円で分離独立した会社で、旧東京海上が総発行株数の99.4%を握っていた。1944年3月の3社合併で東京海上火災保険へ移り、1953年に米国へ派遣された。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1972年6月、山本源左衛門氏の後任として社長に就任した。1972年3月期の収入保険料は1483億円で、前任者が就任した1966年3月期の378億円から6年で3.9倍に伸びていた。伸びを担ったのは自賠責と任意自動車保険だが、この2種目はいずれも高い損害率に悩まされた。企業保険が1件あたりの契約の大きさで経費率に有利だったのに対し、個人向けの大衆保険は1件が小さくコストがかかった。

在任中の主な施策
施策

1974年度の正味保険料の構成比は自動車27.1%、火災24.1%、船舶・積み荷運送23.2%、自賠責と新種が各12.8%で、大衆向けの種目が過半を占めた。東京海上は新商品の開発で大衆のニーズに応える方針を採り、1974年2月に業界初の自動車保険オンライン・システムを実施した。1974年度の正味保険料は2326億円で第2位の安田火災海上保険の1734億円を引き離し、利益金も145億円対54億円だった。 GoGo作戦の開始

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1934〜1981年
在任中の業績
就任前(FY71)1,483億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-

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