ミレアホールディングスの設立は、邦損保が持株会社という新しい会社形態を初めて上場の形で手にした画期であった。金融ビッグバンで解禁されたばかりの制度をいち早く使い、料率自由化と外資の攻勢に備えて生損保を糾合する——構想の射程は広く、時代の先を読んでいた面がある。だが、持株会社を先につくり、中身の融合を後から詰めるという順序は、そのまま構想の弱点にもなった。生保と損保の事業モデルの違い、明治生命を取り込めなかった誤算、株式会社化という重い前提——理念が先に立ち、それを支える実務の設計が追いつかないとき、統合は会社の形だけを残して中身を欠くことになりかねない。朝日生命と共栄火災の離脱は、その帰結であった。
総合金融グループという当初の絵は破れたが、損保2社に絞り込んだミレアは東京海上日動として一本化され、やがて東京海上ホールディングスと名を改めて、海外M&Aで稼ぐグローバル損保へと戦略軸を振り替えていく。業態を広げる枠組みを諦めたことが、地理的拡張という別の成長路線を選び取る前提になったとみることもできる。国内初の上場保険持株会社という制度的な先駆けは、後続の3メガ損保再編の道筋を照らしもした。当初構想の一部が破れた統合であっても、グループの構成をどう組み替え、次の成長へどうつなぐかという問いに、後年の東京海上は自らの答えで応えたといえる。