東京海上ホールディングス:業界初の自動車保険オンラインと保険料世界3位
1974年〜業界初の自動車保険オンラインと、保険料収入5500億円の創業100周年
1972年に社長の菊池稔氏が打ち出した事務の機械化は、1974年2月に業界初の自動車保険オンラインシステムとして稼働した。東京海上火災保険の保険料は、1955年度の99億円から1970年度の1,640億円へ16.6倍に増えていた。同じ15年で主力は海上と火災から自賠責と自動車へ移り、1970年度は両者で53%を占めた。1974年3月期の正味保険料は1,872億円で、前期から19.1%伸びた。その内訳は自動車28%と自賠責15%で、火災の24%や海上の19%を上回った。小口の契約が件数で押し寄せる構造に変わり、手作業の事務では処理が追いつかなくなったのだろう。
- 東洋経済新報社『日本会社史総覧』(1995年)「東京海上火災保険」
- [1]1974年2月、業界初の自動車保険オンラインシステムを実施
- [2]元受保険料は1955年度99億円から1970年度1,640億円へ15年で16.6倍
- [3]種目構成は1955年度に海上49%・火災42%、1970年度に自賠責30%・自動車23%
- 日本企業要覧 1974年版「東京海上火災保険」
- [4]1974年3月期の正味保険料は1,872億円、前期比19.1%増
- [5]正味保険料の構成は火災24%・海上19%・自動車28%・自賠責15%
1974年度の利益金は145億円で、2位の安田火災海上保険の54億円と3位の大正海上火災保険の49億円を合わせても及ばなかった。料率は算定会が算出して大蔵大臣が認可する一本の水準で、新規参入も25年間認められていなかった。正味保険料のシェアは16%で、海上部門の強さと三菱系企業との深い取引が同業との差を支えた。差を生んだのは企業保険の厚さで、大口の契約が経費率を安田火災より一貫して低く保った。人事は若手に権限を委ね、入社6年目までは同期の間に昇進の差を付けない制度を敷いた。認可制では新商品の先行利益が残らず、顧客に合う保険を組み合わせる知識の量が競争の焦点になるという。
- 日経ビジネス 1975年12月22日号
- [6]1974年度の利益金は東京海上145億円、安田火災54億円、大正海上49億円
- [7]保険料率は料率算定会が算定し大蔵大臣が認可する一本の料率
- [8]大蔵省は過去25年間、損保の新規参入を一切認めていない
- [10]企業保険中心で大口契約が多く、経費率は10年間一貫して安田火災を下回る
- 日本企業要覧 1974年版「東京海上火災保険」
- [9]業界シェアは正味保険料で16%、海上部門に圧倒的な強み、三菱系企業との関係が深い
- 日経ビジネス 1978年5月8日号
- [11]若手に大幅に権限を委譲し、主任への昇進は入社6年目に一律で行う
- [12]認可制のため新商品の創業者利潤はほとんどなく、ニーズに合う保険を組み合わせる知識量で差が出る(菊池社長)
石油危機後に成長が鈍るなか、東京海上火災保険は1977年4月に経営体質強化計画(GOGO作戦)を始めた。創業100周年の1979年度を期限とし、保険料収入5,500億円とマーケットシェア1%増を掲げた。社長の菊池稔氏は、営業拠点を増やす量の拡大から経営の質を上げる方向への転換と位置づけた。1978年7月に渡辺文夫氏が社長を継ぎ、1979年度に二つの目標はそろって達成された。渡辺氏は続く目標に、5年後の年間収入保険料1兆円突破と第2次総合機械化計画を据えた。期限と数字を自ら置いたことで、横並びの業界でも前進を測る物差しができたと考えられる。
- 東洋経済新報社『日本会社史総覧』(1995年)「東京海上火災保険」
- [13]1970年代の円高・石油危機を受け体質強化を意識し、1977年4月にGoGo作戦(経営体質強化計画、1977〜79年)を開始
- [14]創業100周年の1979年度に保険料収入5,500億円・マーケットシェア1%アップを目標とした
- [17]1979年度に保険料収入5,500億円とシェア1%アップの目標を達成
- 日経ビジネス 1978年5月8日号
- [15]GOGO作戦は営業拠点の設置など量的拡大を転換し経営の質的向上を図るもの(菊池社長)
- 日経ビジネス 1979年10月22日号 編集長インタビュー 渡辺文夫
- [16]渡辺文夫は1978年7月に菊池稔の後任として社長に就任
- 『80年代わが社の戦略』(1980年)「東京海上火災保険」
- [18]渡辺社長は5年後に年間収入保険料1兆円突破と第2次総合機械化計画の推進を掲げた
参考文献[1]-[18]
- 東洋経済新報社『日本会社史総覧』(1995年)「東京海上火災保険」
- [1]1974年2月、業界初の自動車保険オンラインシステムを実施
- [2]元受保険料は1955年度99億円から1970年度1,640億円へ15年で16.6倍
- [3]種目構成は1955年度に海上49%・火災42%、1970年度に自賠責30%・自動車23%
- [13]1970年代の円高・石油危機を受け体質強化を意識し、1977年4月にGoGo作戦(経営体質強化計画、1977〜79年)を開始
- [14]創業100周年の1979年度に保険料収入5,500億円・マーケットシェア1%アップを目標とした
- [17]1979年度に保険料収入5,500億円とシェア1%アップの目標を達成
- 日本企業要覧 1974年版「東京海上火災保険」
- [4]1974年3月期の正味保険料は1,872億円、前期比19.1%増
- [5]正味保険料の構成は火災24%・海上19%・自動車28%・自賠責15%
- [9]業界シェアは正味保険料で16%、海上部門に圧倒的な強み、三菱系企業との関係が深い
- 日経ビジネス 1975年12月22日号
- [6]1974年度の利益金は東京海上145億円、安田火災54億円、大正海上49億円
- [7]保険料率は料率算定会が算定し大蔵大臣が認可する一本の料率
- [8]大蔵省は過去25年間、損保の新規参入を一切認めていない
- [10]企業保険中心で大口契約が多く、経費率は10年間一貫して安田火災を下回る
- 日経ビジネス 1978年5月8日号
- [11]若手に大幅に権限を委譲し、主任への昇進は入社6年目に一律で行う
- [12]認可制のため新商品の創業者利潤はほとんどなく、ニーズに合う保険を組み合わせる知識量で差が出る(菊池社長)
- [15]GOGO作戦は営業拠点の設置など量的拡大を転換し経営の質的向上を図るもの(菊池社長)
- 日経ビジネス 1979年10月22日号 編集長インタビュー 渡辺文夫
- [16]渡辺文夫は1978年7月に菊池稔の後任として社長に就任
- 『80年代わが社の戦略』(1980年)「東京海上火災保険」
- [18]渡辺社長は5年後に年間収入保険料1兆円突破と第2次総合機械化計画の推進を掲げた
1979年〜渡辺文夫社長の「ワールドマリン」と、保険料で世界3位
創業100周年を越えた1980年、社長の渡辺文夫氏は21世紀に損保で世界一になる目標を社員に示した。1977年度の世界順位は保険料で6位、純資産で2位で、それぞれ米国のオールステートとステートファームが首位だった。保険業法が他業への進出を禁じるなか、渡辺氏は80年代の伸びしろを新分野ではなく国際化に求めた。足場のロンドンでは1970年に現地法人の東京海上火災保険(UK)を立て、ロンドン引受業者協会に加わった。同法人の保険料収入は1972年の90万ポンドから1976年に450万ポンドへ増え、85%が外国企業との契約だった。料率が横並びの国内では、規模の差を広げる余地が海外にしか残っていなかったとうかがえる。
- 『80年代わが社の戦略』(1980年)「東京海上火災保険」
- [19]1980年の年頭あいさつで、21世紀に損保世界一となる目標を掲げた
- 日経ビジネス 1979年10月22日号 編集長インタビュー 渡辺文夫
- [20]1977年度の保険料は世界6位(首位オールステート)、純資産は2位(首位ステートファーム)
- [21]保険業法で兼業が禁じられ、80年代は新分野より国際化を進める方針。海外拠点は30カ国48カ所
- 日経ビジネス 1978年7月3日号
- [22]東京海上火災保険(UK)は1970年9月設立、ILU会員となり大口契約を取る狙いで現地法人化
- [23]保険料収入は1972年90万ポンドから1976年450万ポンド、85%が外国企業との契約
1984年7月に社長へ就任した竹田晴夫氏は、同年8月に顧客別と市場別の機構改革を実施した。10支店と3営業部、51の課支社を増やし、地域営業の拠点を広げた。竹田氏は積立型保険の比重がさらに高まるとみて、自社も注力すべき商品と位置づけた。代理店数では個人向けに強い安田火災海上保険に1983年時点で1万店以上離されており、逆転は1986年だった。1985年4月にTOPS5カ年経営計画を始め、同年9月には「積立特約」の認可を得た。企業保険の厚みだけでは個人の貯蓄需要を取り込めないと判じた布陣と推察される。
- Insurance 1984年10月号第1集「親しまれ信頼される東京海上をめざして――東京海上・社長 竹田晴夫氏語る」
- [24]竹田晴夫は1984年7月に社長就任、8月1日から顧客別・マーケット別の機構改革
- [25]機構改革で10支店・3営業部・51課支社を増設
- [26]積立型保険のウエイトは高まり、当社も力を入れるべき商品とした
- 日経ビジネス 1990年9月24日号
- [27]代理店数は1983年に安田火災と1万店以上の差があり、1986年にわずかに逆転
- 東洋経済新報社『日本会社史総覧』(1995年)「東京海上火災保険」
- [28]1985年4月にTOPS5カ年経営計画を開始
- [29]1985年9月に「積立特約」の認可を取得
1986年以降、東京海上火災保険は積立を含む保険料で世界の上位3社に入った。1990年度の元受保険料は1兆5,501億円となり、20年で9.5倍に増えた。構成比は積立が30%、自動車が28%で、積立保険の伸びが規模を押し上げた。積立保険料の増加はオンライン化を促し、1988年10月に第3次オンラインが本格稼働した。1990年3月末の総資産は4兆1,556億円、同期の正味収入保険料は9,246億円で、ともに2位の安田火災との差を広げた。長期の積立契約を大量に抱えたことが、機械化への投資を続ける理由になったとみられる。
- 東洋経済新報社『日本会社史総覧』(1995年)「東京海上火災保険」
- [30]1986年以来、保険料(積立含む)ベースで世界のベストスリー
- [31]1990年度の元受保険料は1兆5,501億円、20年間で9.5倍
- [32]1990年度の構成比は積立30%・自動車28%
- [33]積立保険料の増大が資産運用多様化とオンライン化を促進、1988年10月に第3次オンライン本格稼働
- 日経ビジネス 1990年9月24日号
- [34]1990年3月末の総資産は東京海上4兆1,556億円・安田火災3兆1,674億円、正味収入保険料は9,246億円・6,820億円
参考文献[19]-[34]
- 『80年代わが社の戦略』(1980年)「東京海上火災保険」
- [19]1980年の年頭あいさつで、21世紀に損保世界一となる目標を掲げた
- 日経ビジネス 1979年10月22日号 編集長インタビュー 渡辺文夫
- [20]1977年度の保険料は世界6位(首位オールステート)、純資産は2位(首位ステートファーム)
- [21]保険業法で兼業が禁じられ、80年代は新分野より国際化を進める方針。海外拠点は30カ国48カ所
- 日経ビジネス 1978年7月3日号
- [22]東京海上火災保険(UK)は1970年9月設立、ILU会員となり大口契約を取る狙いで現地法人化
- [23]保険料収入は1972年90万ポンドから1976年450万ポンド、85%が外国企業との契約
- Insurance 1984年10月号第1集「親しまれ信頼される東京海上をめざして――東京海上・社長 竹田晴夫氏語る」
- [24]竹田晴夫は1984年7月に社長就任、8月1日から顧客別・マーケット別の機構改革
- [25]機構改革で10支店・3営業部・51課支社を増設
- [26]積立型保険のウエイトは高まり、当社も力を入れるべき商品とした
- 日経ビジネス 1990年9月24日号
- [27]代理店数は1983年に安田火災と1万店以上の差があり、1986年にわずかに逆転
- [34]1990年3月末の総資産は東京海上4兆1,556億円・安田火災3兆1,674億円、正味収入保険料は9,246億円・6,820億円
- 東洋経済新報社『日本会社史総覧』(1995年)「東京海上火災保険」
- [28]1985年4月にTOPS5カ年経営計画を開始
- [29]1985年9月に「積立特約」の認可を取得
- [30]1986年以来、保険料(積立含む)ベースで世界のベストスリー
- [31]1990年度の元受保険料は1兆5,501億円、20年間で9.5倍
- [32]1990年度の構成比は積立30%・自動車28%
- [33]積立保険料の増大が資産運用多様化とオンライン化を促進、1988年10月に第3次オンライン本格稼働
1990年〜河野俊二社長の県本部制と、樋口公啓社長の東京海上あんしん生命
世界3位の規模の陰で、東京海上火災保険は1988年度上半期に海上を除く保険料で安田火災海上保険に抜かれた。1990年3月末の県別の個人向けシェアでは、東京・千葉・埼玉・神奈川のいずれでも首位を取れていなかった。1990年6月に社長へ就任した河野俊二氏は、副社長時代に営業強化を主眼とする3カ年計画を作っていた。同月の機構改革で首都圏など12支店を本部に格上げし、県別の営業体制へ組み替えた。本部長が決められる保険金の支払額は従来の3倍強になり、個人の案件は多くを県本部で決められるようになった。代理店も毎年6,000〜7,000店のペースで増やし、自動車整備工場やガソリンスタンドにも取扱いを求めた。
- 日経ビジネス 1990年9月24日号
- [35]1988年上半期、海上部門を除く保険料(積立含む)で安田火災に抜かれた
- [36]1990年3月末の県別リテールシェアで東京・千葉・埼玉・神奈川はいずれも首位でない
- [39]1990年6月の機構改革で12支店を本部に格上げ、本部長裁量の保険金支払額は従来の3倍強
- [40]代理店を毎年6,000〜7,000店のペースで増設し、整備工場やガソリンスタンドを乗り合い代理店に
- 日経ビジネス 1991年4月8日号
- [37]河野俊二は1990年6月社長就任。副社長時に営業強化主眼の3カ年経営計画(1990年4月開始)を作成
- 東洋経済新報社『日本会社史総覧』(1995年)「東京海上火災保険」
- [38]全国拠点展開として県別営業体制・チャネル別代理店網を拡充
護送船団の枠は1990年から緩み始め、同年4月に料率を上下10%の幅で各社が決められるようになった。それでも全社が同じ料率にそろい、新商品も認可後に業界へ開示されるため先行の利益は残らなかった。同年5月には大蔵大臣の諮問機関である保険審議会の総合部会が、自由化を基本とする中間答申を出した。東京海上火災保険は1993年4月、1995年度を目標年度とする新中期経営計画IC-95を始めた。1995年6月には改正保険業法が公布され、事業環境の大きな変化が見込まれた。料率と商品で差を付けられる時代に向け、組織の組み替えを先に済ませる計画だったと言えそうだ。
- 日経ビジネス 1990年9月24日号
- [41]1990年4月から料率を上下10%の範囲で自由に設定できるようになった
- [42]結局全社同じ料率に落ち着き、新商品は認可後に業界へ開示するため先行者メリットがない
- [43]1990年5月の保険審議会総合部会の中間答申で、今後の基本的な流れは自由化
- 東洋経済新報社『日本会社史総覧』(1995年)「東京海上火災保険」
- [44]1993年4月にIC-95新中期経営計画を開始、1995年度が目標年度
- [45]1995年6月に改正保険業法が公布され、事業環境の大きな変化が予測された
1996年4月に新保険業法が施行され、生保と損保が子会社を通じて互いの分野へ参入できるようになった。同年6月には専務の樋口公啓氏が5人を飛び越えて社長に就任し、副社長を経ない昇格は30年ぶりだった。抜擢の背景は競争の自由化で、生保子会社は同年10月にも営業を始める予定だった。この子会社がのちの有価証券報告書に載る東京海上あんしん生命保険である。同年12月には日米保険協議が決着し、損保の料率を1998年7月までに完全自由化する方針が決まった。自動車保険料も地域や年齢で分けて決められるようになり、価格で競う時代が目前に迫った。
- 日経ビジネス 1996年8月26日号
- [46]1996年4月施行の新保険業法で生損保の相互参入が認められた
- [47]1996年6月、専務から5人抜きで社長昇進。副社長でない役員の社長就任は30年ぶり
- [48]抜擢の背景は競争の自由化。生保子会社は10月にも営業開始
- 東京海上ホールディングス 有価証券報告書 2024年度「沿革」
- [49]子会社の東京海上あんしん生命保険が2003年10月に日動生命と合併し商号変更
- 日経新聞 1996年12月15日
- [50]日米保険協議の決着で損保料率を1998年7月までに完全自由化、第三分野は2001年1月から
- [51]日米合意により自動車保険料などは地域や年齢で自由に設定できるようになる
参考文献[35]-[51]
- 日経ビジネス 1990年9月24日号
- [35]1988年上半期、海上部門を除く保険料(積立含む)で安田火災に抜かれた
- [36]1990年3月末の県別リテールシェアで東京・千葉・埼玉・神奈川はいずれも首位でない
- [39]1990年6月の機構改革で12支店を本部に格上げ、本部長裁量の保険金支払額は従来の3倍強
- [40]代理店を毎年6,000〜7,000店のペースで増設し、整備工場やガソリンスタンドを乗り合い代理店に
- [41]1990年4月から料率を上下10%の範囲で自由に設定できるようになった
- [42]結局全社同じ料率に落ち着き、新商品は認可後に業界へ開示するため先行者メリットがない
- [43]1990年5月の保険審議会総合部会の中間答申で、今後の基本的な流れは自由化
- 日経ビジネス 1991年4月8日号
- [37]河野俊二は1990年6月社長就任。副社長時に営業強化主眼の3カ年経営計画(1990年4月開始)を作成
- 東洋経済新報社『日本会社史総覧』(1995年)「東京海上火災保険」
- [38]全国拠点展開として県別営業体制・チャネル別代理店網を拡充
- [44]1993年4月にIC-95新中期経営計画を開始、1995年度が目標年度
- [45]1995年6月に改正保険業法が公布され、事業環境の大きな変化が予測された
- 日経ビジネス 1996年8月26日号
- [46]1996年4月施行の新保険業法で生損保の相互参入が認められた
- [47]1996年6月、専務から5人抜きで社長昇進。副社長でない役員の社長就任は30年ぶり
- [48]抜擢の背景は競争の自由化。生保子会社は10月にも営業開始
- 東京海上ホールディングス 有価証券報告書 2024年度「沿革」
- [49]子会社の東京海上あんしん生命保険が2003年10月に日動生命と合併し商号変更
- 日経新聞 1996年12月15日
- [50]日米保険協議の決着で損保料率を1998年7月までに完全自由化、第三分野は2001年1月から
- [51]日米合意により自動車保険料などは地域や年齢で自由に設定できるようになる
1974年〜1997年の業績
| 決算期 | 区分 | 売上高 | 経常利益 | 純利益 | 主な投資 | ||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 億円 | YoY | 億円 | 億円 | 利益率 | |||
| 1974年03月期 | 単体 | 1,942 | n/a | 488 | 159 | 8.2% | n/a |
| 1975年03月期 | 単体 | 2,326 | +19.8% | 448 | 145 | 6.2% | n/a |
| 1976年03月期 | 単体 | 2,681 | +15.3% | n/a | 150 | 5.6% | n/a |
| 1977年03月期 | 単体 | 3,089 | +15.2% | n/a | 195 | 6.3% | n/a |
| 1978年03月期 | 単体 | 3,502 | +13.3% | n/a | 161 | 4.6% | n/a |
| 1979年03月期 | 単体 | 3,953 | +12.9% | n/a | 203 | 5.1% | n/a |
| 1980年03月期 | 単体 | 4,750 | +20.2% | n/a | 207 | 4.4% | n/a |
| 1981年03月期 | 単体 | 5,049 | +6.3% | n/a | 245 | 4.9% | n/a |
| 1982年03月期 | 単体 | 5,336 | +5.7% | n/a | 229 | 4.3% | n/a |
| 1983年03月期 | 単体 | 5,626 | +5.4% | n/a | 219 | 3.9% | n/a |
| 1984年03月期 | 単体 | 5,962 | +6.0% | n/a | 230 | 3.9% | n/a |
| 1985年03月期 | 単体 | 6,387 | +7.1% | n/a | 250 | 3.9% | n/a |
| 1986年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1987年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1988年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1989年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1990年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1991年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1992年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1993年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1994年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1995年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1996年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
| 1997年03月期 | 単体 | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a | n/a |
出所:会社年鑑
出典・参考
13件
- 東京海上ホールディングス 有価証券報告書 2024年度「沿革」
- 東洋経済新報社『日本会社史総覧』(1995年)「東京海上火災保険」
- 日経ビジネス 1975年12月22日号
- 日経ビジネス 1978年5月8日号
- 日経ビジネス 1978年7月3日号
- 日経ビジネス 1979年10月22日号 編集長インタビュー 渡辺文夫
- Insurance 1984年10月号第1集「親しまれ信頼される東京海上をめざして――東京海上・社長 竹田晴夫氏語る」
- 日経ビジネス 1990年9月24日号
- 日経ビジネス 1991年4月8日号
- 日経ビジネス 1996年8月26日号
- 日経新聞 1996年12月15日
- 日本企業要覧 1974年版「東京海上火災保険」
- 『80年代わが社の戦略』(1980年)「東京海上火災保険」