GSユアサ日本電池とユアサ コーポレーションの株式移転による経営統合と、高槻事業所の閉鎖・希望退職による減産

規模を取るか、生産能力を削るか——縮む鉛蓄電池市場で国内二強が選んだ統合の形

時期 2003年7月
意思決定者(推定) 日本電池・ユアサ コーポレーション両社取締役会
論点 過剰な生産能力の削減と統合効果の実現
概要
1917年設立の日本電池と1918年設立の湯浅蓄電池製造を源流とするユアサ コーポレーションは、2003年7月に経営統合の基本合意書を締結し、2004年4月に株式移転で共同持株会社ジーエス・ユアサ コーポレーションを設立した。統合の中身は規模拡大ではなく、高槻事業所の閉鎖と600人規模の希望退職による固定費と生産能力の圧縮であった。
背景
2002年度の国内鉛蓄電池市場は四輪車用約890億円、産業用約410億円、二輪車用約85億円、小型シール約120億円にとどまり、四輪車用の需要はほぼ横ばい、小型シールは減少傾向にあった。両社は公正取引委員会への届出で、主力の鉛蓄電池が需要低迷と価格下落により厳しい事業環境にあると説明している。
内容
2003年9月に株式移転契約書を締結、12月に両社の臨時株主総会で承認を得て、2004年4月に持株会社が発足し東証一部・大証一部へ上場した。翌2004年6月には会社分割で製販・機能別の事業会社へ再編し、2005年5月27日の取締役会で「構造改革計画」を承認、高槻事業所の閉鎖と希望退職に踏み込んだ。
含意
統合第1期の2005年3月期は147億32百万円の当期純損失、第2期は特別損失169億12百万円を計上した。一方で販管費は4.7%減り、連結従業員は12,437人から11,710人へ縮んだ。第一次中期経営計画にはHEV・EV市場への本格参入と大型リチウムイオン電池事業の拡大が並び、削って得た余力の行き先が示された。
筆者の見解

畳むための持株会社

この統合を対等合併による規模拡大として読むと、実際に起きたことを取り落とす。統合後の国内シェアは四輪車用の補修で約40%、二輪車用新車では約85%に達したが、持株会社ができて最初に実行されたのは高槻事業所の閉鎖と600人規模の希望退職であった。両社が株式移転という対等の形式を選んだのは、どちらが吸収されるかを先に決めずに生産能力の削減へ進める形式が要ったからだとみられる。

もっとも、痛みの配分まで対等ではなかった。閉じられたのは、湯浅側が1919年に大阪府三島郡へ設けた工場から続く高槻事業所であり、持株会社の本店は京都市南区の日本電池の所在地に置かれた。2006年1月の合併でも存続会社は日本電池で、商号はジーエス・ユアサ インダストリーへ改められている。二期分の特別損失を払って得た余力の行き先は、第一次中期経営計画に並んだHEV・EV市場への参入と大型リチウムイオン電池事業であった。畳むことと次を仕込むことを同じ二年のうちに決めた点に、この統合の性格が表れているといえる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

京都と大阪に並んだ二強

日本電池は1917年、島津製作所の蓄電池工場の業務一切を継承して京都に設立された。技術の源流は日本海海戦の無線に用いられた電池までさかのぼり、戦後は自動車ブームを機に製造方式を機械化して量産へ進み、鉛蓄電池のトップメーカーとしての地位を固めた。もう一方のユアサ コーポレーションは、湯浅七左衛門が始めた事業を1918年に法人化した湯浅蓄電池製造を源流とする。京都と大阪の二社が同じ官公需と自動車需要を追い、80年以上にわたって国内二強として並んだ[1][2]

その二社が向き合っていた市場は狭かった。2002年度の国内鉛蓄電池は四輪車用が約890億円、産業用が約410億円、二輪車用が約85億円、小型シールが約120億円という規模で、四輪車用の需要はほぼ横ばい、小型シールは減少傾向にあった。両社は公正取引委員会への届出において、主力の鉛蓄電池が需要低迷と価格下落により厳しい事業環境にあると自ら説明している。同じ規模の二社が生産能力を抱えたまま国内に並ぶ余地は、すでに失われていた[3][4]

決断

株式移転で持株会社を作り、中身を削る

2003年7月、両社は臨時株主総会と関係官庁の承認を前提として、経営統合に関する基本合意書を締結した。同年9月には取締役会の決議を経て株式移転契約書を結び、12月の臨時株主総会で、株式移転により持株会社を設立して両社がその完全子会社になることを承認した。2004年4月、株式移転により株式会社ジーエス・ユアサ コーポレーションが発足し、普通株式を東京証券取引所市場第一部と大阪証券取引所市場第一部に上場した。本店は日本電池の所在地である京都市南区に置かれた[5][6]

持株会社を作った先に控えていたのは、中身を削る作業であった。2004年6月には会社分割で製造・販売・機能別の事業会社9社へ再編し、2005年5月27日の取締役会で「構造改革計画」を承認する。経営体制の変革、事業構造の改革、費用の削減、財務体質の強化の4項目を骨子とし、適正人員体制を早期に実現するため、2005年度上期中に国内グループ会社全体で600人の希望退職を募る計画であった。あわせて大阪府高槻市の高槻事業所を閉鎖し、跡地はユアサ開発を中心に再開発へ回した[7][8][9]

結果

二期分の特別損失と、費用側に出た効果

統合第1期にあたる2005年3月期の連結売上高は2,396億円、営業利益は11億91百万円にとどまり、147億32百万円の当期純損失を計上した。続く第2期は、希望退職費用53億41百万円、高槻事業所跡地再開発関係費用41億61百万円、子会社退職年金特別費用22億36百万円などで特別損失が169億12百万円に膨らむ。土地や投資有価証券の売却益を積み上げた特別利益131億71百万円で埋め、当期純利益5億98百万円をかろうじて残した[10][11]

効果は費用の側に表れた。販売費及び一般管理費は、人件費の削減と経営統合に伴う重複費用の排除により494億94百万円と前期比4.7%減り、売上高販管費率は21.7%から20.4%へ改善した。連結従業員数も12,437人から11,710人へ縮んでいる。連結営業利益は56億52百万円と前期の約4.7倍になった。そして統合第3期を迎えるにあたって策定した第一次中期経営計画には、HEV・EV市場への本格的参入と大型リチウムイオン電池事業の拡大が事業戦略課題として並んだ[12][13][14]

出典・参考

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