資生堂 ブランドの集約 散らばった商標の絞り込みによる、チェーン店の立て直し

更新:

時期 2001年4月
当時の社長 池田守男
論点 ブランドの選択と集中・販売網の立て直し
何をなぜ決めたか
概要

バブル崩壊後に約100まで膨らんだブランドの分散と、コンビニ専用ブランドの失敗による2001年3月期の赤字転落を受け、2001年に社長へ就任した池田守男氏が、中核ブランドへの集約と大正時代からのチェーン店網の再生に着手した経営判断。新チャネルの開拓ではなく既存の販売店組織への回帰を選び、スキンケアという創業の原点へ経営資源を絞り込んだ。2005年のメガブランド戦略の前史をなす。

背景

連結売上高は1998年3月期の6209億円を頂点に下落し、2001年3月期には最終損益が450億円の赤字へ転じた。国内化粧品市場の縮小に加え、1994年頃から毎年20〜30もの新ブランドを投入して数が約100に膨らみ、経営資源が分散して投資効率が悪化していた。前年に立ち上げたコンビニ専用ブランドも1年で戦略変更を迫られた。

内容

2001年6月に弦間明氏から社長を承継した池田守男氏は、口紅やファンデーションなど量販向けブランドを大幅に削り、売上上位の中核ブランドへ販促・人員を集中する方針を掲げた。同時に、約2万5000店のチェーン店にPOS端末を無償提供してSCMを導入し、リベートを仕入れ基準から店頭売上基準へ改め、"もっと仕入れて"から"一緒に売る"提案営業への転換を進めた。

含意

新興チャネルの低価格競争に飛び込まず、最寄り性という既存資産を磨く道を選んだ判断は、2003年3月期の黒字転換につながった。ブランドを絞って広告投資を集中させる発想は、2005年に前田新造氏が掲げるメガブランド戦略(TSUBAKI等)へ引き継がれ、多品種・チェーン店依存モデルからの脱却を決定づけた。

いつ何が起きたか 7件
筆者の見解
筆者の見解

選択と集中という、資生堂の反復

この判断の意味は、拡大の反対側へ転じた点にある。1987年の販社在庫の一括回収で数量拡大モデルを断ち切り、1997年に70年続いた再販価格維持を手放して市場競争に参入した資生堂は、その競争のなかでブランドを乱立させ、かえって資源を薄く広く散らしてしまった。池田守男氏の決断は、その反省の上で"増やす"から"絞る"へと経営を切り替え、創業の原点であるスキンケアと、最寄り性という固有資産に立ち返るものであった。

新しいチャネルの華やかさに背を向け、古い販売網の再生に賭ける選択は、一見すると保守的に映る。だが低価格競争に体力を削られる前に、他社が容易に真似できない系列店網へ資源を集中したことが、赤字からの反転を可能にした。ここで確立された"選択と集中"の型は、2005年のメガブランド戦略へと受け継がれ、多品種と系列依存で組み上がってきた資生堂の事業モデルを、少数ブランドへの集中投資という次の段階へ押し上げていった。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

業績の推移
同じ問いに直面した会社
参考文献
出典・参考
  • 日経ビジネス 2001年4月9日号(日経BP社)
  • 資生堂 有価証券報告書(連結)

免責事項およびポリシー