米ベアエッセンシャルの買収と初の大型クロスボーダーM&A

攻めあぐねた北米市場で、資生堂はなぜ約1800億円を投じて高収益ブランドを買ったのか

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時期 2010年1月
意思決定者 前田新造 社長
論点 北米市場の強化とグローバルブランドの獲得
概要
2010年1月、資生堂が米ミネラル化粧品大手ベアエッセンシャルを総額約1800億円で買収すると発表した、初の大型クロスボーダーM&A。1株18.2ドルの現金公開買付で完全子会社化し、長年攻めあぐねてきた北米市場への足がかりを得ようとした経営判断。
背景
資生堂の北米事業は長年の赤字体質で、2008年の構造改革で持ち直しかけたところを金融危機が直撃して再び失速していた。北米ではSHISEIDOブランドしか育っておらず、買収で多ブランドを持つロレアルやP&Gに対して成長力の限界が見え始め、別の強いブランドを求めていた。
内容
対象のベアエッセンシャルは、ミネラルファンデーション市場でシェア67%、年商500億円超、営業利益率31.5%という高収益ブランドであった。資生堂は3カ月平均株価に40.8%のプレミアムを付け、前田新造社長は「成長性が高く割高とはとらえていない」と説明した。米国売上比率を8%から14%へ引き上げる狙いであった。
含意
「日本をオリジンとしアジアを代表するグローバルプレイヤー」を掲げ、海外売上比率5割超を目指す成長戦略の一手であった。もっとも高収益で買った事業は後に赤字へ転じ、2021年に約770億円で売却され、規模を追った海外買収の難しさを残した。
筆者の見解

規模を買うという選択

この判断の核心は、自前で育てるには時間のかかる北米での地歩を、高収益ブランドの買収で一気に埋めようとした点にある。SHISEIDO一本で伸び悩んだ市場に対し、シェア67%・利益率31.5%という完成された事業を買えば、欧州に匹敵する柱を短期間で立てられる——40.8%のプレミアムと巨額の借入を承知で踏み切った背景には、この時間を金で買う発想があったとみることができる。海外売上比率5割超という長期目標に照らせば、北米の底上げは避けられない一手であった。

もっとも、買った時点の高い収益性が、買った後も続くとは限らない。ダイレクトマーケティングで伸びたベアエッセンシャルの強みは市場環境の変化のなかで薄れ、高収益ブランドはやがて赤字へ転じて、2021年に売却で整理された。強いブランドを外から取り込む戦略それ自体は、その後の資生堂も繰り返したが、買収した事業を自社の中でどう伸ばし続けるかという問いは残されたままであった。規模を追う海外M&Aの最初の大型事例として、この決断はその難しさを先取りして示していたとみられる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

攻めあぐねる北米市場

資生堂の海外展開のなかで、北米は長く弱点であった。欧州やアジア・オセアニアと違い、北米事業は長年にわたって赤字体質が続いていた。2008年には米国子会社の統廃合など大胆な構造改革を進めて改善傾向に入ったものの、金融危機による世界的な市場低迷が直撃して再び失速した。世界最大の化粧品市場である北米をどう立て直すかは、グローバル化を掲げる資生堂にとって避けて通れない課題であった[1]

弱さの一因は、ブランドの数にあった。欧州や中国では複数のブランドを並立させたのに対し、北米ではSHISEIDOしか育っていなかった。世界市場を網羅するロレアルやP&Gが買収で多数のブランドを抱えるのに対し、資生堂は数の少なさから成長力に限界が見え始めていた。現状を打破するには、自前で育てるのを待つのではなく、すでに市場で強いブランドを外から取り込むほかない——買収という手段が、北米の停滞を破る現実的な選択として浮かび上がっていた[2]

グローバルプレイヤーという長期目標

買収の前提には、資生堂が掲げた長期の成長戦略があった。同社は「日本をオリジンとしアジアを代表するグローバルプレイヤー」の実現を経営戦略の柱に据え、2017年に売上高1兆円超、海外売上比率50%超、営業利益率12%以上、ROE15%以上という目標を掲げていた。海外での成長をどう加速するかが問われるなかで、成長市場への積極投資や未進出国への進出と並び、既存市場での基盤強化が課題として残されていた[3]

この目標は、危機のなかでも動かさない方針が示されていた。前田新造社長は買収の前年、最終的には日本をオリジンとしたアジアを代表するグローバルプレーヤーを目指すという目標を定めた、その初年度に極めて厳しい状況に陥ったが考え方やゴールを変えるつもりは毛頭ない、と海外拡大の意思を明言していた。国内市場が縮小し、低価格品の台頭で足元の収益が伸び悩むなかで、成長の軸を海外に求める方針が、大型買収へと具体化していった[4]

決断

初の大型買収に踏み切る

2010年1月15日、資生堂は米ベアエッセンシャルの買収を発表した。米国に新設した買収子会社を通じて現金公開買付を行い、続く現金合併で完全子会社化する友好的買収で、両社の取締役会はすでに買収を承認していた。株式取得の総額は約17億ドル、1株あたり18.2ドルで、負債の引き継ぎを含めた総額は約19億ドル(約1800億円)にのぼった。国内首位のメーカーが海外企業へこの規模の資金を投じるのは初めてで、資生堂にとって最初の大型クロスボーダーM&Aとなった[5]

買付価格は、3カ月の平均株価に40.8%という高いプレミアムを付けた水準であった。前田新造社長は、成長性が高く割高とはとらえていないと説明し、価格の高さを事業の成長力で正当化した。買収の意義として資生堂は、新ブランドの獲得、流通・研究開発面での相互補完、そして北米事業基盤の強化を挙げ、なかでも北米での売上を欧州地域に匹敵する規模へ拡大できると位置づけた。攻めあぐねてきた市場を、一度の買収で欧州並みの柱に引き上げる構想であった[6]

高収益ブランドと巨額の借入

買収の対象となったベアエッセンシャルは、天然由来成分を使う自然派化粧品の草分けであった。ミネラルファンデーション市場でシェア67%を握るトップブランドで、テレビショッピングなどのダイレクトマーケティングを通じて年商500億円超の規模に育っていた。営業利益率は31.5%と、資生堂本体の7.2%を大きく上回る高収益であり、資生堂が高いプレミアムを付けてでも取り込みたいと考えた理由がここにあった。強いブランドと稼ぐ力を、時間をかけずに買うという判断であった[7]

一方で、これだけの買収を賄うには、外部からの資金に頼らざるをえなかった。資生堂は当初、買収総額約1800億円のうち約300億円を手元資金、残る約1500億円をすべて銀行からのブリッジローンで充てると発表していた。後に手元資金からの充当を約300億円増やし、銀行借入の総額はブリッジローン1000億円に米国子会社の借入約200億円を加えた約1200億円となる見込みへ修正した。高収益ブランドの獲得は、相応の借入という財務上の負担と引き換えの判断でもあった[8]

結果

成立と当初の期待

公開買付は2010年1月25日から3月8日まで行われ、発行済株式総数の約86.9%にあたる株式が応募して成立した。資生堂は買付けに約14.6億ドルを投じ、続く簡易合併でベアエッセンシャルを完全子会社とし、同社はNASDAQの上場を廃止した。前田新造社長は、真のグローバルプレーヤーになるという目標に一層近づくと期待を示し、グループ全体に占める米国売上比率は8%から14%へと欧州並みに高まる見通しであった。攻めあぐねてきた北米は、買収を機に成長の軸へ位置づけ直された[9]

もっとも、買収を主導した経営陣は間もなく交代した。前田新造社長は翌2011年に社長を退き、後任には末川久幸氏が就いた。末川氏は、中国などアジアで存在感を確立する一方、国内はリーマン・ショック後に苦戦しており、過去の成功体験にとらわれず社内の風土改革を進めたいと述べた。海外での大型買収に踏み切った路線を引き継ぎつつ、その果実をどう国内外の収益へ結びつけるかが、次の体制の課題として残された[10]

11年後の売却という後始末

高収益を見込んで取り込んだ事業は、時間の経過とともに姿を変えた。2021年、資生堂はベアミネラルを含む米国3ブランドを、米投資ファンドのアドベント・インターナショナルへ約770億円(7億ドル)で売却すると発表した。約1800億円を投じたベアエッセンシャルの買収は、主力ブランドの手放しによって事実上整理された。買収時に31.5%だった高い利益率は保たれず、売却対象の3事業は2021年の時点で売上高523億円・営業損失73億円という赤字体質に転じていた[11]

高値で買った事業を、十余年を経て手放したこの経緯は、後年の資生堂の経営を測るうえで一つの参照点になった。規模と海外比率を追ってブランドを買い集める路線は、2010年代を通じてなお続いたが、買収した事業の収益がついてこない場合には、減損や売却という重い後始末が待った。ベアエッセンシャルは、その最初の大型事例として、規模の拡大と収益性の確保をどう両立させるかという問いを、資生堂に残した[12]

出典・参考

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