福原義春

資生堂・元取締役社長

Fukuhara Yoshiharu(敬称略)

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社長就任 1986年
生年月日 —
出自 —
社長就任までの出自
出自

1984年11月時点では専務取締役を務め、役員名簿には慶應義塾大学経済学部の昭和28年卒と記されている。創業家の一員として入社し、米国法人の代表や取締役外国部長といった海外畑を歩いてから副社長へ進んだ。ただし創業家といっても資本の裏づけは薄い。同じ1984年11月時点の大株主は第一勧業銀行・朝日生命保険・日本火災海上保険・住友生命保険が上位を占め、福原家個人は10位までに入らない。

社長に選ばれた経緯
抜擢

前任の大野良雄氏が自ら進めたチェインストア政策は、1983年までに小売店を過保護にしていた。約2万人の社員と全国約2万5000軒のチェーン店を抱える体制は重く、1987年7月には社長が2代続けて急死している。多品種化は在庫の増加を招いただけだったと、のちに弦間明氏が総括した。海外を長く見てきた創業家の一員に立て直しを託した人事だったとみられる。

在任中の主な施策
施策

1986年2月にフランスのカリタ社を、1988年9月には米国のゾートス社を買収した。1990年10月にフランスへボーテプレステージインターナショナルを設立し、翌1991年10月にジアン工場を竣工させている。1991年12月には北京麗源公司との合弁で資生堂麗源化粧品有限公司を設けた。国内では1995年4月に販売会社15社を資生堂化粧品販売へ合併し、同年6月の公正取引委員会による排除勧告を9月末に受諾している。1989年3月には決算日を11月30日から3月31日へ改めた。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1984〜1996年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-

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