福原有信
資生堂・元店主
社長就任1872年
生年月日—
学歴大学東校
出自—
経歴1871〜1924年
経歴
| 区分 | 所属先 | 就任年 | 役職 | 現任 | 1871年主要役職の状況(推定含む目安)1924年 |
|---|---|---|---|---|---|
| 民間 | 海軍病院 | 1871 | 兵部省出仕 海軍病院薬局長 | ||
| 資生堂(旧・資生堂薬局) | 1872 | 創業 店主 | |||
| 1921 | 改組 | ||||
| 1924 | 店主 退任 |
社長就任までの出自
出自
1848年、千葉県安房郡神戸村の福原市右衛門氏の二男として生まれ、幼名を金太郎といった。医師であった祖父のもとで薬学の手ほどきを受け、上京後は同郷の福原道節氏の縁で幕府の医学所に入り、所内の薬局に勤めながら学んだ。医学所が大学東校に改まってからも薬学を専修し、1871年の海軍病院の創設にあたって同院の薬局を主宰した。創業の資金は同僚の軍医2人が出し、福原有信氏は役務を受け持った。
社長に選ばれた経緯
抜擢
1872年の春、海軍病院の同僚であった矢野義徹氏・前田清則氏と三精社の定約を結び、薬舗を興すことを誓った。定約では、福原有信氏が先に官職を辞して表向きの戸籍主となり、内々の事柄には3人が等しく力を尽くすと定めた。同年9月、東京銀座で資生堂薬局を創業した。1874年12月に本町の薬舗会社が赤字で閉鎖されると、福原有信氏は三精社を解散し、店を個人経営に切り替えた。
在任中の主な施策
施策
1873年に大通りの出雲町一番地へ移ると、角地に松本順氏が責任者を務める回陽医院を設け、そこで出た処方箋を資生堂薬局で調剤し、医薬分業を店頭で実践した。1878年には株式会社大日本製薬会社の創立に加わり、専務取締役に就任した。薬業界では薬舗会・製薬会・薬剤師会を順に起こし、全国薬剤師聯合会長と日本薬剤師会長に推された。1888年には帝国生命保険会社を創立し、1893年に同社の社長となった。
創業ストーリー
創業ストーリー
参考文献5件
参考文献
- 資生堂社史 : 資生堂と銀座の歩み85年(資生堂社史編集委員会編, 1957)「創立者 福原有信」略歴
- 資生堂社史 : 資生堂と銀座の歩み85年(資生堂社史編集委員会編, 1957)「第一章 銀座に創業する」
- 資生堂百年史(1972)「第一章 銀座に創業する」
- 資生堂 有価証券報告書(2016年12月期)【沿革】
- Shiseido Annual Report 2012
事実根拠:出所(資生堂)