伊藤隆男

資生堂・元取締役社長

Ito Takao(敬称略)

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社長就任 1958年
生年月日 —
学歴 茨木中学校
出自 —
社長就任までの出自
出自

1955年11月時点では専務取締役として総務部長を兼ね、本社の管理部門を預かっていた。同じ役員名簿で会長は福原信義氏、社長は前任の伊与田光男氏である。1948年12月に設立された大阪資生堂では専務を務めた。中学を出てすぐ入社した生え抜きで、学歴でも血縁でもなく勤続を重ねて社長へ就任した。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1958年、伊与田光男氏の後任として社長へ就任した。就任年度の1958年11月期は売上高100億5100万円で、前期の89億5300万円から初めて100億円を超えた。同年11月の大株主は朝日生命、住友生命、日本火災海上、住友信託が上位を占め、創業家の名は並んでいない。量産へ移る会社が、大阪で生産と販売を見てきた人物を選んだとみられる。

在任中の主な施策
施策

1959年10月に資生堂商事を設立して販売の窓口を分け、翌11月には神奈川・大船へ化粧品専門の工場を建設して化粧水や乳液を量産した。1962年にはシセイドウ・オブ・ハワイを設立し、海外へ自前で出る足がかりを作っている。1963年には経済誌が資生堂の中央集権型チェーン・システムを中山太陽堂の代理店方式と対置して論じた。売上高は1964年11月期に400億3900万円となり、就任時の4倍近くへ伸びた。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1955〜1964年
在任中の業績
就任前(FY57)101億円
退任時-
変化-
就任前(FY57)4.6%
退任時-
変化-

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