松本昇

資生堂・元取締役社長

Matsumoto Noboru(敬称略)

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社長就任 1949年
生年月日 —
出自 —
社長就任までの出自
出自

1917年に資生堂へ入り、初代社長・福原信三氏に招かれて支配人を務めた。ニューヨーク大学で商科を修めた外部の人材であり、研究や製造ではなく売り方と数字の側から加わっている。1923年にはチェインストア・販売会社方式の確立に福原氏とともに関わり、値引きの起きない流通を設計した。1927年に専務取締役へ上がり、戦後の1949年に社長の座に就いた。

社長に選ばれた経緯
抜擢

社長に就任した1949年5月、資生堂は東京証券取引所へ株式を上場した。前年12月には大阪資生堂を設立し、生産の網を整え直している。戦後の窮乏は続き、"花椿香油"と"資生堂石鹸"が売り場へ戻るのは翌1950年である。株式公開と戦後再建が重なる時期に、販売の仕組みを構築してきた専務が社長へ充てられたとみられる。

在任中の主な施策
施策

1950年、"花椿香油"と"資生堂石鹸"が再び売り出された。戦時中に売り場から消えていたほかの商品も、一つずつ戻ってきている。こうした立て直しを支えたのは、戦災に遭わずに残った東京工場であった。1953年11月期の業績は、売上高が29億8300万円、営業利益が1億8000万円である。社業は戦前の盛時をしのぎ、化粧品業界の第一位へ復している。 チェインストア方式確立

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1949〜1953年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-

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