山本吉兵衛
資生堂・元取締役社長
社長就任 1977年
生年月日 —
学歴 大阪市立扇町商業学校
出自 —
社長就任までの出自
出自
1970年5月時点で取締役、1974年11月には常務取締役を務めていた。1936年に入社し、販売の現場を歩んだ。就任前の資生堂は問屋と共同出資した販売会社89社を擁し、傘下に約1万6000店のボランタリーチェーンを抱えて化粧品流通を握っていた。1974年11月時点の大株主は第一勧業銀行6.02%を筆頭に日本火災海上保険3.74%・朝日生命保険3.47%と金融機関が並び、創業家は上位10位に入っていない。資本ではなく販売組織の実務を背にした登用とみられる。
社長に選ばれた経緯
抜擢
福原信和氏の後任として社長に就任した。1974年11月期の役員名簿では福原氏が社長、山本氏は常務として載っている。前年度の1976年11月期は売上高2285億円・経常利益211億円で、増収増益が続いていた。生産の側では1975年7月に掛川工場が完成し、同年10月から稼働に入っている。増えた販売会社とチェーン店をさばく実務を、販売畑の専務に引き継いだ人事とみられる。
在任中の主な施策
施策
1980年代に入ると消費者は年齢に応じて化粧品を選ぶようになり、立地ごとに売れる商品が分かれ、資生堂は多品種少量生産で応じた。生産設備も増え、1983年1月に久喜工場が完成している。海外では1980年7月に資生堂ドイチュラントGmbHを設けた。売上高は1977年11月期の2505億円から1983年11月期の3180億円へ、経常利益は220億円から287億円へ伸びた。品種を増やした運営は、在庫を増やしただけに終わった。
在任の評価
評価
執筆予定
経歴 1970〜1983年
在任中の業績
就任前(FY76)2,505億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-